5・花の記憶 Ⅲ
[アデリア視点]
私を王宮へ呼んだのはアイツだった。
初めて出会ったのは、いつぐらい前だったか―――――。
その頃、私は人里を離れ、森の奥深くで生活していた。
尋常じゃない魔力のせいか、ある程度成長すればそこから年をとらず、何十年経っても同じ姿のままであった。生まれて100年ほど経つと、何十年と同じ姿でいる私に怯える者も出だし、人の間では生き辛くなった。
魔女の自分には隠遁生活が性に合う。
森に建てた小屋で薬や護符を作っては王都に降りて売り、生計を立てた。
たまに酒が飲みたくなると、酒場へ出掛けて酒を飲んだ。酒だけは小屋で一人で飲むより、人のざわめきの中で飲む方を好んだ。
その日も馴染みの酒場で飲んでいた。
静かに酒を飲んでいても、ときに絡まれることもある。
「なぁなぁねーちゃん。一人寂しく飲んでなんてないでさ、俺と一緒に飲もーよ。」
適当にあしらってやろうかと思っていたら、一人の女が声を掛けてきた。
「ごめんねー。待った?オジサン、悪いけどそこどいてくんない?その人私の連れでさ。今日は女同士で飲む約束してたんだ。」
快活に笑って男の返答を待たずに、ドッカリと隣の席に腰を下ろした。
真っ直ぐな黒髪に人懐っこさを感じさせる黒い瞳。
私に声を掛けてくる女もいるのか、という物珍しさもあって横に座ることを拒むのは止めた。
「マスター、私にもこの人と同じやつお願い。」
私が飲んでいた酒は度数の高いもので、並みの酒豪でも一杯をやるのが限度のもの。それを女が飲めるのか、と思ったが、彼女はそれを何ともなしに飲み干した。
「ぷはーっ!やっぱ仕事上がりの一杯はたまんないわ。」
こちらに向いてニカッと笑った。
「私、サクラ。王宮で働いてんだ。あんたの名前は?」
世間を捨てた無気力な私と違って、生命力に満ちた笑みだった。
「私は―――――。」
気まぐれに近い感情で名を名乗った。久しぶりに自分の名を呼んだ気がした。
その後、何度か酒場で会い、共に酒を酌み交わす仲になった。
サクラの言う仕事が『王の盾』だと知ったのは、そのしばらく後のことだ。
※ ※ ※
「ねえ、いつまでも森の中でなんて暮らしてないで、王宮に来ない?」
ある時、サクラに王宮に来てくれと頼まれた。
「森の生活が性に合っているんでな。」
断ってもサクラはしぶとかった。
「引きこもってるばかりじゃ根暗になっちゃうって言ってるの。人の間で暮らすのも悪くないわよ?あんたにとって私達人間の命はムシケラみたいに短くても、それでもひとりひとり一生懸命に生きてんだから。森の中では時間の感覚が分かんなくなるでしょ?人の間で生きれば、あんたにも時間は流れてるんだって実感出来るわよ。」
その言葉に二度返事で王宮に行くことにした。
敷地内の東側に小さい家を与えられ、あくまでサクラの友人として迎え入れられた。
強大な魔力を利用しようとする者もいたが、全てすげなく接して、しつこい人間には手痛い反撃をくらわした。
そのうち、私に近づく者はサクラのように何の利害も考えない気の良い奴だけになった。
実際、サクラと過ごしたのは短い年月だったが、その一時、一時が己に流れる時間として堆積していくのを感じた。
共に酒を飲み、ときに愚痴を聞き、サクラの国の冷酒というものを作ってみたり、本当に楽しい日々だった。
サクラが国王の花嫁になると決まったときは娘を嫁に出すような気分になって、幸せそうな国王の顔に腹立たしさを覚えて殴ったことも、今となっては幸福な記憶の一つだ。
人の命が儚いものだと、思い返したのはまたそれからしばらくしてのことだった。
小国との小競り合いが始まった。
相手国はどこでその技術を手に入れたのか、古代の戦術兵器を使用しているとのことだった。
その兵器は、術式を掘り込んだ水晶に数十人分の魔力を凝縮して注ぎ込み、砲台で打つという代物だった。
強大な魔力の負荷に耐えられるよう、砲台自体にも複雑な術式を掘り込むため、1台しか完成していなかったようだが、その1台だけでもこの大国相手に遜色なく威力を発揮した。その一撃で一つの街が壊滅するほどの力をもっていた。
現代の技術では成し得ない、あったとしてもそれを解析して実現する能力のある者がいたことに驚きを覚える。
当初、すぐに鎮火すると思われた戦は数か月に及び、小国対大国にも関わらず、状況は緊迫していた。
「多くの犠牲を伴う戦いになるであろう。」
国の重鎮達の意見は一致した。
国王が出立することになり、盾であるサクラも共に戦場に出ることになった。
かつて二人で植えた桜の木の下でサクラと会合した。
「逃げても良いんだぞ。」
(儚い人の命を更に儚くしてどうする。)
それでもサクラは笑って言った。
「逃げたりしないわよ。分かってるでしょ?」
分かっていた。サクラは『王の盾』としてではなく、愛する者の盾となるべく戦場に行くことは。
「帰ってきたら、また花見でもしましょう。」
もう戻らない予感がした。
※ ※ ※
私は戦闘に参加しなかった。
己の力を十分すぎるほど理解していたので、人の戦や運命を左右するような真似はしないと決めていたからだ。強すぎる力は人の歴史には不要だ。
サクラのこともまた「運命」と諦めた。
それでもまだ諦めきれない自分もいて、サクラの行く末をそっと遠見の力を使って覗いた。
天幕で、国王とサクラが最後の別れをしのんでいた。
「私が先陣を行く。私は盾。王を国を守るのが私の役目。・・・でしょ?」
覚悟を決めた者の目だった。
サクラが国王の腕の中にすり寄った。
「ねえ、私が死んだら、他に奥さんもらって子供を作りなよ。そうね、あんたによく似た男の子がいいな。」
「そんなことを言うな。俺の妻はお前だけだ。」
「駄目よ。諦めなさい。それがあんたの役目なんだから。王として生まれたからには、子を残して、王国を存続させていかなければならないの。一人の女の為に感傷に浸ってなんていられないのよ。」
「愛している。」
国王がサクラの身体を掻き抱いた。
「分かってる。私も。」
サクラは幸せそうに頬を寄せて、男の髪を撫でた。
先陣をきってサクラの馬が走った。周囲を国の優秀な騎士達が固めていたが、敵の攻撃に一騎、一騎とその数を減らしていった。
たくさんの命が散り、サクラ自身にも多くの傷が付いた。
それでも彼女は凛とした美しさを損なわなかった。
砲台に装填された球が今にも発射されそうだった。触れるまでもなく、それが強大でまがまがしいものだと分かったが、彼女は臆することなくそれに向かった。
後ろを守っていた国王が到達する。彼もまた傷つき、多くの血が流れていた。
振り向いたサクラは笑っていた。
「じゃあね。」
短く、それでいて彼女らしい最後の言葉だった。
まがまがしい光がサクラの中にうねりをあげて吸い込まれていった。
戦場に桜の花びらが舞った。
ひらひら ひらひら
美しく、寂しく、哀しく、潔く、・・・・・儚く。
桜の花びらはその儚さが美しいのだとサクラは教えてくれた。共に花見をした時は、その意味がよく理解出来なかったが、このとき初めてその意味が理解できた。
『王の盾』の守りを得て、シルバレン王国は勝利した。
その圧倒的な存在感は畏怖として小国の民族に蔓延し、その戦意を奪った。
小国は制圧され、古代兵器は破棄され国王がその技術もろとも記録を消し去った。
独自でその技術の出所を探ったが、作成に携わった者の記憶はあいまいで、結局どこから出たものなのか不明のまま年月だけが過ぎて行った。
数年後、国王は正妻の座は空けたまま側室との間に男児を設けた。
国王によく似た息子だった。
そして、その息子が後を継ぐとき、再び『王の盾』が召喚された。
これもまた「運命」とその存在を静観していたが、彼女もまたその命を儚く散らした。
その命を奪ったのは、あの時見たあのまがまがしい兵器に似た珠だった。それをもたらしたのは、彼女と敵対していた悪臣の一人だったが、その背後に何者かの意志を感じた。
怒りが私を襲った。
(サクラの死は「運命」ではなかったのか。)
桜の木の下で、今はいない彼女の為に盃を掲げる。
「何者かの意志が存在しているというのなら、この私も参戦してやろうじゃないか。」
人の世に再び介入することに決めたのはこのときだ。
掲げた盃に桜の花びらがひとひら舞い落ちてきた。
師匠の思い出でした。
今後、背後に控える存在が徐々に明らかに・・・。




