3・ヤマダハナコです
閑話的な話。
結局、『王の盾』の記録は他に有用な情報もなく、師匠に聞こうにも「腕輪の修理で忙しいから邪魔するな」とのことで、図書館で調べた日から手詰まりとなっていた。
そんな日々の中でも時間は進むもので、桃姫の壊れた腕輪が明日には直ると師匠からお達しがあった。
(ということは、この会話授業も今日で最後だ。)
桃姫は会話をほとんどマスターしているので、授業というか雑談の場と化しているのだが、それでも開放感はあった。
毎回のようにバカ王子との応戦を繰り返して、ストレスを溜めていた日々ともおさらばだ。
(しばらく王子の顔は見たくないな。)
そんな開放感に浸るわたしに王子が言った。
「ところで、ヤマダは何という名前なのだ?」
「は?わたしはヤマダですよ?」
何言ってんだこいつという目で見たら、王子がもう一度言った。
「桃姫にも家の名と自分の名があるように、お前にも名があるのだろう?お前が作った例題にも、家の名と自分の名の並びがあったんだ。もしや身分が低すぎて、ヤマダが自分の名で家の名がないということはなかろうな。」
この国では、身分の低い者は自分の名前しか持っていない場合がある。孤児院などで育った子は、成人のときに、その孤児院の名称がそのまま家の名として付くらしいのだが、そうでない者は名前しか持たない場合が多いと聞く。だから、例えばわたしが通っている孤児院の子なら、孤児院の名称である『ウェード』を名乗ることになるはずだ。
(余計なことにはよく気が付くな。)
「言われてみれば確かに。」
サイラスさんがそれに同意する。
「ヤマダが名前だと思っていましたが、それは家の名ですか?それとも自分の名ですか?」
わたしは眉間を押さえて深いため息を吐いた。
壁際に立っているディー団長が苦笑している。ディー団長は王子と同じ席につくのは恐れ多いといつも壁際に立っているのだ。
「あなた達、わたしの名前になんか興味ないでしょう。」
「何だ?言いたくないほど恥ずかしい名前なのか?バカにしてやるから言ってみろ。」
(恥ずかしい名前前提ですか。教えたところで、意味を知らないとバカにできないって分かっていないのかこいつ。)
「山田さんの名前はね、」
桃姫がわたしの嫌そうな空気を読まずにわたしの名前を言おうとしたので、仕方が無いので教えてあげた。
「ハナコ。わたしの名前はヤマダハナコです。」
「ハナコと言うのですか。」
サイラスさんがふむふむと頷く。サイラスさんは嘘をつかれることがないので素直に信じたのに、疑い深い王子には嘘だと即効でバレた。
「お前、それは嘘だろう!ものすごい適当感が漂っているではないか!それはお前の例題にあったヤマダタロウというのと同じようなものに感じるぞ。」
(多少は知恵があったんですね。)
「失礼な。全国のハナコさんに謝って下さい。この名前は女子トイレの扉を3回ノックして出てくるのはハナコさん!と決まっているくらいメジャーな名前なんですよ?」
「何かよくわからんが、それ絶対に怪談のたぐいだろう!」
王子の的確なツッコミにもわたしはひるまなかった。
「何ですか?王子はわたしの名前を知らないと夜眠れないくらいにわたしのことが好きなんですか?そうなんでしたら、王子の快適な眠りのために教えてさしあげないこともないですよ?」
「んなわけあるかっ!」
またしてもチョークの投げあいを始めたわたし達をサイラスさんとディー団長が止めるという形で、授業はお開きとなった。
解散し、王子達が去っていった部屋でわたしは床についたチョークの粉を拭き取っていた。
「そんなに名前を教えるのが嫌か?」
わたしを手伝って粉を拭き取ってくれていたディー団長が尋ねてきた。
こんなことを騎士団の団長にやらせていると婦女子のみなさんに知られたら、怒られてしまいそうだ。
ディー団長はファンが多いのだ。何度か恋文を渡すよう頼まれたことがある。その度に、ディー団長には苦虫を噛み潰したような顔をされるのだが、乙女からの恋文なんだから、もっと嬉しそうな顔をすればいいのに、と何度思ったことか。
「嫌ということもないですけど・・・。初めてここに来たとき、わたしに出来る精一杯の抵抗が名前を教えないということでしたから。」
「抵抗?」
窓を開けて黒板消しをはたくと、チョークの白い粉が宙に舞った。
「わたしの国では言霊というのがあって、親が子に意味を持たせた名前をつけるんです。その名があらわす本質を持った子になるように、って。それでわたしの本質に触れるようなことなんて教えてやるもんか、気安く名前で呼ばれてやるもんか、っていう抵抗感で家の名しか言わなかったんです。それに名前を教えるということは、この世界に自分と言う存在を刻み付けることのように感じて・・・。ここまでくるともう意地ですよね。」
綺麗になった黒板消しを元の位置に戻す。
わたしの指は白く汚れたままだった。
(洗わないと。)
指先を見て呟いた。
「・・・・・いつまでも元の世界にしがみ付いて、バカみたい。」
未だにこの世界に抵抗感を抱いている自分が情けなかった。
(いつまでも慣れないまま、異分子のままでいる自分は何て頑固なんだろう。)
そんな想いが最後の呟きの中に混じってしまった。
「刻み付ければいい。」
ディー団長がわたしの手を取って自分の頬に当てた。
「汚れます。」
引っ込めようとした指先が、ディー団長の手に引かれてその綺麗な頬を滑った。
チョークの粉が白い線となってディー団長の頬に引かれる。
「こうして、この白い粉のように刻めばいい。」
汚れなのに、その汚れすら綺麗に見えるなんて何なのだろう。どうやらわたしの目はおかしくなっているらしい。
「洗えば落ちます。」
「じゃあ何度でも。」
ディー団長の顔が近づいてきている気がする。
「それで不満なら、洗えば落ちてしまうのが不安なら、名を教えて刻み込めばいい。世界が嫌ならば俺だけに。」
焦ったわたしは思いっきりディー団長の手を振り払って、部屋の扉の方へと逃げた。
「な、なな何なんですか、その無駄な色気はっ!?そこまでして名前が知りたいって、ディー団長はわたしのことが好きなんですか?」
訳が分からなくなったわたしは、気付けばそんなことを叫んでいた。さっきの王子みたいにごまかせたらと思ったのもある。
即否定されるかと思いきや、
「好き?」
ディー団長は首を捻って悩み始めた。
「好きとは違うと思う。どちらかというと・・・」
(真剣に悩むって・・・それって、好意の欠片もないってことですか!?)
冷静に自問自答をし始めるディー団長に少なからずショックを受けたわたしは、
「好きじゃないなら、なんのイヤガラセですか!ディー団長の顔が近いと胃が痛くなるんです。もうわたしの名前はヤマダハナコでいいでしょうがっ!」
自分でもよく分からない捨て台詞を吐いて、バタンっと大きな音を立てて部屋を飛び出した。
悔し涙がちょちょぎれていたのは誰にも内緒だ。
(弟分として懐かせてもらっていたのにこの仕打ち・・・。バカにするにもほどがある!)
王宮の屋上へ向かったわたしは
「だんちょうのバカーっ!」
と空へ向かって3回叫んで気を落ち着かせた。
~ディエルゴside~
また顔が近いと怒られてしまった。
(しかし、俺がヤマダのことを好きではないと勘違いして怒ったのなら・・・。)
自意識過剰かもしれないが、そうかもしれない可能性もある。
(そう前向きにとらえても良いだろうか・・・。)
さっきの「バカみたい」という呟きも自分に甘えて漏れ出たことなのかもしれない、と思うと自然と嬉しさが込み上げてくる。
遠くの方から「だんちょうのバカーっ!」と叫ぶ声が届いた。
それに苦笑して、一人応えた。
「好きというより、愛に近いんだ、この想いは。」
まだ伝えるには早すぎる。ヤマダはきっと怯えて逃げ出すに違いない。
その存在はすでにこの身に刻み込まれてしまっている。
先ほど、ヤマダに触れさせた頬をこすった。
チョークの粉が薄く、確かに白く指にこびりついた。
ディー団長はどんどん自覚していっているという話でした。




