2・記録の中の彼女達
「混沌とした大地に女神は種を蒔いた。
種は芽吹き、木や草や花となった。
女神はその庭に人を庭師として置いた。
そして神獣を番人として使わした。
人よ、良き庭師となれ。」
これが聖書の中で謳われているこの世界の成り立ちだ。
「素晴らしい。完璧です。」
今は桃姫の言語学習の一環として、聖書の一説をこの国の言語で話してもらったところだ。
すらすらと読み上げられた言葉に、サイラスさんも満足そうに頷いている。
「10日でここまできれいな発音が出来るとは、さすが桃姫です。」
桃姫の言語能力は飛躍的にアップしたと思う。これなら、また腕輪が壊れたとしても、わたしがずっと傍にいなくても大丈夫だろう。
「それにしても、この世界の聖書って面白いですね。人が庭師なんて。」
わたしの感想にサイラスさんが返す。
「ええ、人が統治する大地は女神から与えられた庭にすぎないので、時が来て女神にお返しするまで美しく保っておかなければならない、という平和を謳った一節です。」
「へぇ。では神獣というのも何かの隠喩なんですか?」
これにはラズーロ王子が答えた。
「いや、神獣は実在する。神獣は風をおこし、大地を震わせ、雷を落とすほどの力を持つ言葉通り神の獣だ。世界は神獣の監視下にバランスを保っていて、記録には何百年か前までは何十頭もいたらしい。」
王子が聖書をパラパラとめくって挿絵を見せてくれた。桃姫と一緒にそれを覗き込む。そこには角の生えた馬や翼の生えた龍などの絵が描かれていた。
「今はもういないの?」
「残存するものが今もどこかに隠れ住んでいるらしい。神獣の名残を残した国もある。隣国のカンパールがそうだ。」
「どんなふうに残っているの?」
その質問に王子は意地悪そうに笑った。
「いずれ分かるさ。」
「どういうこと?」
「カンパールの国王陛下が近々この国を訪れます。そのときに分かるということです。」
ディー団長も王子に乗っかって笑って言った。
授業が終わり、今日は初めてわたしを付けずにしばらく過ごしてみることにした。そうして慣れていくことで自信をつけたい、と桃姫の方から提案がのぼったからだ。
せっかくなのでわたしは図書館に行き、『王の盾』の記録を調べてみることにした。
※ ※ ※
王宮の図書館は広くてどこを探したら良いのか分からなかったので、受付けにいた司書に尋ねて大きな本棚の間を入っていった。
本棚の上の方は大人でも手が届かず、梯子を使わないといけないくらい高い。
(とりあえず歴史書とあと地図もあったら便利かもしれない。)
何冊か目ぼしい本をピックアップしていると、
ニャア
目の前を黒猫が横切った。
「何て不吉な・・・じゃない、駄目だよ入ってきちゃ。」
わたしは黒猫を追って、奥へ奥へと入っていった。
見失ってウロウロしていると、
トサッ
薄い本がわたしの頭の上に落ちてきた。随分と古く黄色く変色した本だ。
ニャア
追いかけていた猫が足元に纏わり付いてきた。金色の瞳で見上げてくるのが可愛くて撫でると、ゴロゴロと喉を鳴らして頬を摺り寄せてきた。
「仕様がないな。後で一緒に外に出るんだよ?」
周囲に誰もいないことを良いことに、そのままそこに座って本を開いた。黒猫がわたしの膝の上にちょこんと陣取った。
静かな空間にパラパラとページをめくる音が鳴る。
「これは・・・。」
そこには歴代の『王の盾』の名前が載っていた。呼び出された年代、召喚当時の彼女達の年齢、死亡時の年代、簡素だがしっかりとした記録だ。
初代は300年前に遡るが、その名前と死亡時期などは明記されていなかった。さすがに大昔のことになると、記録があやふやで分からなかったのかもしれない。
桃姫の一つ前、前代の『王の盾』の名は白井 菊子。王様がシラギクと称した人物だ。
召喚されたのは25年前で当時19歳だった。亡くなったのは15年前、29歳のとき。
(この人、この国に来て10年で亡くなったんだ。)
10年はわたしにとっては長いようで、歴史的に考えると短いような気がした。
その前は河田 アヤメ。召喚時は15歳。死亡時は26歳。
(この人は11年。)
またその前は杉本 桜。召喚時は18歳。死亡時は24歳。
(この人は6年しかいなかった。それにしても・・・、)
「何でこんなに早く死亡してるの?」
わたしの呟きに、黒猫がピクリと耳を動かした。
この本の記録が正しいなら、近年の『王の盾』達は召喚から10年前後で死亡している。それ以前の人達は何十年も生きていて(中には早く死んだ人の記録もあったが)寿命を迎えてのことだろうと推察された。
近年の『王の盾』達の早期の死亡は異常に思えた。何故、このようなことになっているのか知りたかったが、残念ながら本には死亡理由は書かれていなかった。
わたしはピックアップした本の中から歴史書を取り出して、符合する年代にあった事件を調べた。
「特に大きな戦争も事件も起こっていない・・・。」
3代前が死んだ頃に、小国との小競り合いがあったという記録は残ってた。歴史書にもその中で死亡したと書かれている。
続く2代は目立った事件もなさそうだった。
たまたま早期の死亡が重なっただけなのかもしれないが、わたしにはそれが気にかかった。
黒猫がストンとわたしの膝の上から降りて、タッタと本棚の向こうに消えて行った。
「待って。」
追っていくと、隣の列でカリカリと本棚を漁っていた。何冊か本が床に落ちている。
「傷が付いちゃうよ。」
黒猫を抱っこして落ちた本を拾い上げる。落ちたのは童話のようだった。
興味を惹かれてめくってみる。
内容は始まりの『王の盾』に関するものだった。
女神様に呼ばれてやってきた人間が、荒涼とした大地を豊かにし、国を繁栄させていくというのが大筋で、他にも、神獣を使役して国を滅ぼそうとする敵をやっつける英雄譚もあった。
「初代は随分と人間離れした人だったみたいだね。」
どの話を見ても、初代の名前や年齢などに触れるような記述はなかった。
(その方が神秘的な感じもするけど、こちらとしては詳しい話を知りたいのに・・・。)
黒猫がニャアと鳴いてこちらを見上げてきた。褒めてくれと言わんばかりの表情だ。
「はいはい。お前のおかげで随分と色んなことが分かったよ。ありがとう。」
撫でると、また気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
(そういえば昔、猫を飼いたいと思ったこともあったな。)
猫を飼う想像をしてはどんな名前にしようかと、飼ってもいないのに頭を悩ませた時期のことを思い出した。
「ねえ、名前を付けてもいい?」
猫は「なあに?」というように首を傾げた。
小さい頃、夢想した名前は確か・・・。
「キティ。」
あのリンゴ3個分の大きさの白い猫の名前だ。語彙の少ない幼児では、他にロクな名前が浮かばなかったので恥ずかしいが、当時は真剣にその名前にしたいと思っていたのだ。
父には始めこそ笑われたが、わたしが泣き出すと「良い名前だよ」と困った顔をして言い直してくれたのは良い思い出だ。この猫は白くはないが、まあ構わないだろう。
「キティ。」
そう呼んで撫でると、黒猫が泣いた。大粒の涙を一つ落として、パッと本棚の向こうへと走り去ってしまった。
「猫ってあんなふうに泣く生き物だったっけ?」
残されたわたしは茫然とそれを見送った。
不思議猫に連れられて過去の記録を垣間見た山田。
続きます。




