35・オセロ
ラズーロ王子の部屋を飛び出したわたしは、廊下をめちゃくちゃに走った。
王宮中を右へ左へ上へ下へと駆け回り、ようやく落ち着きを取り戻したわたしは自分の現在地を確かめるべく周囲を見渡した。
(ものすごいロイヤルな香りが漂ってる・・・。)
埃ひとつ見落とさず磨き上げられた廊下。他の回廊とはまた一段と格式の高い調度品の数々。
わたしは普段下々の者が通ってはいけない国王や王妃の居室がある階の廊下にたどり着いていた。
何故分かるかというと、一度だけ訪れたことがあるのだ。この階の掃除担当のお兄さんがデートだとかで、格安で代わりを引き受けたのだ。
この階層には王子の私室もある。さっきまでいた王子の部屋は来客用のもので、ここよりは幾分質素な作りとなっている。それだって、わたしのような身なりのものが立ち入るには敷居が高いのに、ここはその数段格式高い場所というか、一番マックスな場所だったりする。
(やばい。早く立ち去らないと怒られる!)
わたしは誰かに見咎められないよう頭を低くしてこそこそと廊下の端っこに寄った。
そこへ、ツカツカと足音が近づいてくる。
こんなところを通るなんて、王様とか大臣クラスのお偉いさんだ。わたしだって、そんな国の重鎮に見咎められて王宮を追い出されるなんて真似はされたくないので、下げた頭をさらに下げてその人物が前を通り過ぎるのを待った。
その人物が目の前を通り過ぎたとき、ポトッとその人のポケットから何かが転がった。しかし、その人は落としたことにも気付かず歩き去っていく。
わたしはそれを拾い上げた。それは指でつまめるくらいの平べったい小さな円盤で表が白、裏が黒で塗られた物体だった。
(オセロ?)
わたしの疑問はさておき、今は落し物をしたと教えてあげなければ。オセロに見えても、実は大事なものとかだったら困るだろう。そう思って声を掛けた。
「申しわけありませんが、これ落とされませんでしたか?」
わたしの呼びかけにゆっくりと振り返ったのは、王宮に住んで数ヶ月のわたしでも知っている人だった。
(お、王様きたー!!)
わたしは心の中で叫びをあげた。
※ ※ ※
いつも廊下の壁のいたるところで見てきた肖像画の王様が、立体的な形となって動いていた。
「まあ、ゆっくりしていてくれ。」
王様は自らお茶を淹れてくれ、わたしに座っているよう勧めた。
普段、バカ王子相手に噛み付いているわたしだが、
(威厳、というか空気感がハンパない。)
王様ともなると、こうも違うのだろうか。碧い瞳に白髪まじりではあるが綺麗な金色の髪、王子に似ている容貌であるのに、その圧倒的な空気の前にわたしは萎縮するしかなかった。
拾い物を渡したわたしに王様は「オセロは好きか?」とわたしの返事を待たずにさっさと歩き始めた。
これは付いていくのが正しいのだろう、ときびすを返して逃走したい気持ちを押し込めて後を付いてきたのはいいのだが・・・・・。
(何故、畳・・・。)
火が点った暖炉の前に並べられた畳の上にわたしは座っていた。
「粗茶だ。」
出されたのは煎茶だった。
まさかこんなところで日本文化に出会えるとは思わなかった。恐る恐る煎茶を受け取ったわたしはずずっとそれを啜った。因みに煎茶の容器は湯のみの形をしていた。
「タタミが不思議か?そういえばシラギクもこれを初めて見たとき、同じような顔をしていたな。」
シラギクさんというのが誰なのかは分からなかったが、畳と煎茶には驚いたので、同意の意味を込めて縦に頷く。
「シラギクは俺のパートナーだ。タタミは確か3代前の『王の盾』が考案したものだが、この茶はシラギクが教えてくれた。初めは苦いだけにしか感じなかった茶だが、今となってはそれが美味く感じる。」
そういって王様はずずっと煎茶を啜った。
それから王様は格子の線が描かれた盤を取りだし、二人でオセロをパチパチと打った。わたしが白で王様は黒だった。オセロを考案したのも3代前の『王の盾』だと王様は教えてくれた。畳といい、オセロといい、3代前は色々なものをこの国に考案して普及させているようだ。
「うちのバカ息子が迷惑かけてるみたいだな。」
「いえ、そんな。」
先ほど言葉攻めに合いました、とは言えなかった。
白をパチッと置いて黒を2つ白に変える。これで最後だ。オセロの盤は半数以上を白で埋め尽くされた状態でわたしの勝利となった。
もう一度盤からオセロを振り分け、中心に4つ白と黒を並べて打ち始める。
「あれはあれで思うところがあるんだ。やっていることは阿呆だが、『王の盾』が国の贄であることを一番理解しているのはあいつだ。甘やかせられるうちに、精一杯甘やかしてやりたいんだろうよ。」
「贄?・・・」
「慣れた故郷を離され、異界の地で人の為に働けと言われる。贄と呼ぶにはふさわしいだろうよ。」
ふつふつとした怒りがこみ上げてきた。その召喚に巻き込まれたのはわたしだ。それに『贄』という言葉が嫌だった。その言葉は頑張っている桃姫を侮辱している。
この国の人は盲目的に人々の心の拠り所として異世界の人を召喚していると思っていたのだが違ったのか。
「贄と分かっていてどうして」
「どうして『王の盾』が召喚されると思う?」
わたしの疑念を遮るように王様が問いかけた。
「王を支え、王を守り、国を安寧へともたらすため、ですよね?」
それが『王の盾』を呼ぶための理由であることは、初めてこちらに来たときに説明されている。
わたしはぶっちょう面で王様の問いかけに答えた。
「それは建前だ。『王の盾』を呼ぶのはそれが理だからだ。」
(どう違うというのだろう?)
「理とは皆がそれを不変と思っている事象のことだ。理に人は縛られる。」
「つまり理とはみんなで決めたお約束事ということですか?」
疑問のように口にしたが、なんとなく分かる気がした。『王の盾』は人々の希望となる存在だ。『王の盾』という存在がそこにあるだけでいい。それが平和をもたらす。その約束事が前提として成り立っている世界で、『王の盾』に疑問を持つ者はいないだろう。それが当たり前の世界であることは、わたしも桃姫も受け入れている事実だ。
「ははっ。お約束事とは随分と可愛い表現をするな。」
王様はわたしの言葉を否定せず、面白いと笑った。面白いと言いながらもその目は笑っておらず、わたしの頭にふとこんな疑問が湧いた。
「王様は『王の盾』に疑問を持ったんですか?」
ひらめきのように頭に浮かんだままを言葉に出した。
王様の返事はなかった。
パチンと黒が打たれて白が5つ黒に変わった。
「彼女達は緩やかな風の吹く草原に咲く花だと誰もが思っている。そこは暖かい光が降り注ぐ、生育には適した場所だ。だが、そこが実は切り立った崖の上だということに誰も気付いていない。」
白を打ったが、黒は一つしか白に変わらなかった。
「俺は自分が花を照らす太陽だと思っていた。花を生かすための土の一握りだということに気付いたのは、花が枯れた後だ。」
パチン
白がまた4つ黒に変わった。
「何でわたしにそんなことを話すんですか?」
「ただの雑談だ。オセロは分かりやすい。白と黒にはっきりと分かれているからな・・・。」
その後、黙ってオセロを打ち続けた。
わたしも王様も口を開かなかった。
5回勝負をして、わたしが勝ったのは初めの1回きりで残りは全て負けた。
圧倒的な黒に白が少なすぎて、苛立ちとわずかの焦燥感に駆られた。
※ ※ ※
わたしは召喚の部屋に立って床に描かれた陣を見ていた。陣は複雑で、憎たらしい程に均整が取れた美しい文様だった。
(ここから始まった。)
そこの中心にうつぶせに寝そべって瞳を閉じた。ここにこうしてたくさんの人が呼ばれた。
王様は『王の盾』の召喚を理だと言った。
(始まりは何だったのだろう・・・。)
何事にも物事の始まりはある、とわたしは思う。
(わたし、何も知らない。この国のこと。生きていくために必要な知識しか気に止めてなかった。)
王様の「雑談」がわたしの胸に重くのしかかってきた。
『王の盾』という存在に疑問を投げかけられた山田。
次回、王様の話です。




