33・壊れた腕輪
馬車で王宮を出立するヒューバート様達に手を振り、見送った後、
カラン
乾いた音を立てて、何かが地面に落ちた。
「帰るぞ、桃姫。」
ラズーロ王子が声を掛ける。
「え?今、何ていったの?」
「桃姫・・・言葉が・・・。」
わたしは地面に落ちた物体に目をやった。
(この形は、どっかで見たような・・・。)
それに思い至ったわたしの背中に、タラーっと冷たい汗が垂れた。わたしが気付いたと同時に、周囲の人間達も地面に落ちた物の正体に思い至ったらしい。
「「「翻訳の腕輪が壊れた!?」」」
複数の声が重複して澄んだ青空に響き渡った。
1匹のカラスがこちらをバカにするように、カーッと一声あげて飛び去った。
「ありゃ、こりゃ回路が焼ききれてるね。」
師匠が地面に落ちた腕輪をつまんで「あーあ。」と拾い上げた。
※ ※ ※
「ごめんね。頑張るって言ったそばからこんなことになって。」
「気にしないの。桃姫が悪いわけじゃないんだから。」
壊れた腕輪は師匠が直すことになり、腕輪が直るまでは、わたしが侍従よろしく桃姫にへばりついて翻訳することになった。
出来るだけ公務は抑えて、桃姫が表に出る機会は減らした。言葉の不便さから、桃姫に危害を企てる人間が出てこないとも限らないからだ。
(悪いのはむしろわたしなんだよね・・・。)
師匠とのやり取りを思い出す。
「お前、腕輪に触ったろ。」
よくよく思い返してみれば、うなされて飛び起きたときに桃姫の腕輪に触れていたかもしれない。
「それって、もしかして・・・。」
「お前の力にあてられたんだ。力の制御が利かなくて腕輪の力に反発しちまったんだろうよ。」
(あのとき、バチッとしたのは腕輪の回路に影響した音だったのか。)
「やっぱ、わたしのせいですか。」
わたしは両手で顔を覆った。
(ありえねー。自分、何やってんの。)
「しっかりあのお嬢さんに張り付いて、お前が翻訳機の代わりをすることだね。」
「はーい。」
腕輪を壊してしまった自己嫌悪で項垂れたわたしは、意気消沈した声で返事をした。
腕輪が壊れたのがヒューバート様の出立後であったことだけが救いだった。わたしのせいで壊れたと知られた日には、あの冷たい視線で射殺される。ヒューバート様の瞳を思い出して、わたしはゾクッと肩を震わせた。
「わたしこそごめんね。腕輪が壊れたの、わたしが触ったからみたいだし。責任持って通訳するから。」
今は外国からの使者との謁見の直後だった。桃姫はラズーロ王子の後ろに控えてあまり言葉を交わすことはなかったので良かったが、逐一相手の桃姫への賛辞を翻訳するのは面倒に感じた。
明日からもこの調子で、ずっと翻訳することになるのだろうか・・・。
(もし、今後同じようなことが起こって腕輪が壊れたらどうするんだろう?)
そのとき、わたしが傍にいなかったら桃姫はどうなるのかなんて、考えなくとも分かる。みんなでオロオロうろたえて頭を悩ますに違いない。目にいっぱい涙を溜めて青ざめる桃姫に、異国の言葉で色々と話し掛けて困らせる王子達の姿が思い浮かんだ。
わたしはこの世界で友達が困らないように微力ながらも尽力することに決めた。
「よし、桃姫。いい機会だから言葉を覚えよう!大丈夫、日常会話なんて3日で覚えられるから!」
そう言ってガシッと桃姫の肩を掴んだ。
(わたしだって一晩で何とかしたのだ。優しく教えたって3日もあれば十分こと足りるはず。)
※ ※ ※
ヤマダの日常会話教室は、開始1時間で頓挫の兆しを見せ始めていた。
参加者は桃姫、ラズーロ王子、サイラスさんにディー団長の4名。桃姫だけでないのは、彼らにも多少の日本語はマスターしてもらうため。別々に教えるのは時間がもったいないので、一同に会してもらった。
開始早々から若干1名が邪魔をして、遅々として授業は進まなかった。
ラズーロ王子が桃姫が分からないことをいいことに、さっきからちょっかいをかけて
「大好き」だの「愛してる」だの「貴方だけ」とか言わせているのだ。
「阿呆なセリフを教えないでください!」
と言えば、
「何だと。愛の言葉は重要だぞ!」
と返してくるので、呆れてモノが言えない。
桃姫は言葉の意味が理解できず、
「何?今のどういう意味?」
と聞いてくるので、そんな言葉を言わされているとは言えず、そしてわたしもそんな恥ずかしいセリフは言いたくないので、
「うーん、わたしもよく分からない言語だよ。」
とお茶を濁した。
注意しても注意してもそんな感じなので、
ギ、ギーッ
わたしは教師役で黒板の前に立ち、基本的な文法を黒板に書いていたのだが、苛立ちから白いチョークが黒板を滑りポキッと折れた。箱の中のチョークは、折れたものが半分を占めている。
「お・う・じ。いい加減にしてください。」
ヒュンッ
折れたチョークを投げつけた。王子はサッと軽い身のこなしでそれを避ける。
「ふっ。これぐらい避けられるわ。」
と偉そうにのたまうので、続けて第2弾、第3弾とチョークを飛ばした。最後に黒板消しを投げつけたら見事にクリーンヒットし、キレた王子がわたしが投げた黒板消しを投げ返して応戦。あっと言う間に二人してチョークの粉まみれになった。
最終的にはサイラスさんとディー団長の二人に止められて、その日の授業は強制終了となった。
その日はバイトをせず、部屋にこもって宿題用のプリント作成に当てた。こうしてわたしの授業外でも何とかしなければ、誰かさんのせいで桃姫の言語能力はアップしないだろう。ついでにバカ王子用のプリントも作成してやった。わたしの話を聞いていれば解けるような簡単な問題だ。
わたしはガリガリと問題を作成しながら、
(わたしが招いたこととはいえ、後で王子から授業料ふんだくってやる。バカ王子め、バカ王子めetc...)
と心の中で100回唱えた。
コンコンコンッ
わたしの部屋の扉がノックされ、
「ちょっといいかな?」
と桃姫が入ってきた。
実は、今いる部屋は桃姫の居室に隣接した侍女用の小部屋だったりする。何か用事があればすぐに人を呼べるようにこのような配置になっているそうだ。腕輪が直るまではわたしはこの部屋に待機することになっているのだ。部屋はベッドと小さな机と丸椅子という簡素なもの。どうせ寝るだけなので不便はない。
桃姫に椅子を勧めて、わたしはベッドに腰掛けた。
「どうしたの?何か困ったことがあった?」
「ううん。そうじゃなくて、お礼を言いたくて。」
どうやらわざわざ謝礼を述べに来たらしい。
(こういうとこ良い子なんだよね、桃姫って。大事にされるのが分かるわ。)
「わたし、腕輪があったから今まで言葉も文字も理解出来てたけど、今回壊れてみて初めてこの世界が少し怖くなったの。」
「うんうん、言葉が分からないって怖いよね。」
わたしもこの世界で言葉が分からない間はびくびくしていたものだ。師匠の一夜漬けがあったからいいものの、慣れるまでは細かいフレーズが分からず、人と話すときは多少オドオドしていた部分がある。
「意思疎通が測れないって不安になるのは分かるけど、怖がったりはしなくてもいいと思うよ。みんな桃姫を大事に思ってる。この国の人々は貴女に優しいから、言葉が分からなくても安心していい。」
安心させるように、わたしは桃姫の膝の上に置かれた手を握った。
「山田さんがいてくれて良かった。でも、こんなことになって初めて分かった。山田さんは言葉を覚えるまで、ずっとこんな不安な気持ちだったんだって。」
(今分かったんかい、というツッコミはしてはいけないよね。)
わたしのツッコミ精神が暴走しかけたが、ここは堪える。
「うーん、わたしの場合は不安に思う間もなく孤児院に放り込まれたから。師匠が実地で学べばすぐに身に付くからって・・・。あっ、そうだ。」
わたしは良い思いつきをしたように思った。
「桃姫も一緒に孤児院に行こうよ。大人相手より子供相手の方が気が楽でしょ。」
(桃姫も実地で学べば言葉を覚えやすいはず。)
王子に頼み込んで、さっそく明日から孤児院へ行くことに決めた。
次回、孤児院へレッツゴー。




