32・出立の日
「熱はもう下がったのか?」
ようやくディー団長が口を開いて出てきた言葉は、そんなありふれた見舞いの言葉だった。
(その不機嫌さにビビッて血の気が引きました。ついでに熱もかなり下がった気分です。)
なんてことは言えないので、無難な返事をした。
「はい。もう大分熱は下がりました。」
そう答えれば、ディー団長は少し顔を緩めて「そうか。」と一言だけ返してきた。
人の見舞いに来ておいて不機嫌とかやめて欲しい。わたしは何とか機嫌を直してもらおうと、話しかけた。
「見舞いに来てくれてありがとうございます。体調も戻ってきているし、明日のヒューバート様の見送りにも行けると思います。」
するとディー団長は再び眉間に皴を寄せた。
(えーっ!?今の言葉の何処に地雷があったんだ?誰か教えて下さい。体調不良でHP削られたわたしには考え付きません!)
青ざめて、内心でわたわたしているうちにディー団長がスッと顔を近づけてきた。
そのクチビルが額に到達する数センチ前で気付いたわたしは、パッと両手で額を覆った。
(ふー、危ない危ない。)
「こ、この間の舞踏会では油断しましたが、そうそう思惑通りからかわれたりしませんからね!ガーランド副団長からも全力で拒否していいと言われているんですから!」
そうやって威嚇するように睨んだわたしに、
「そうだ。その調子で警戒していてくれ。」
ふわりと柔らかく笑って頭を撫でてきた。
(今日のディー団長はおかしい。不機嫌になったり、そうかと思えば笑ったり。)
ディー団長が出て行った後、わたしは再び熱がぶり返してきたような気がして布団の中に潜り込んだ。
※ ※ ※
昼過ぎにはカレンお嬢様がお見舞いに来てくれた。
ヒューバート様と一緒に王都を立つのだと聞いて、寂しく思ったが、
「そんな顔しないで頂戴。今回のこと、国を知る良い機会になると思うわ。ワタクシが今よりももっと素敵なレディになる一歩を踏み出そうとしているのよ。笑顔で送り出しなさい。」
と力強く言われてしまった。
女の子は成長するのが早い。お嬢様はこの間会ったときよりも、ずっと強く綺麗になったように感じた。
夕方、今度はサイラスさんが果物を持ってお見舞いに来てくれた。
「コザルでも風邪をひくのですね。」
と失礼なことをぬかしてきたので、
「風邪をひいて寝込んだ人間に何て言い草ですか。見舞いの品を置いたらさっさと出て行ってください。
サイラスさん、もう少し人を労わるということを覚えないと桃姫に嫌われますよ。」
そう言って返したら、頬をつねられた。
さすがに悪かったと思ったサイラスさんは見舞いに持ってきたリンゴを不器用に剥いてくれた。
「ウサギさんでお願いします。」
そうお願いしたら、片耳の取れたウサギを作ってくれた。
「耳がもげてます。」
残った耳も取れかけている。ガタガタのリンゴのウサギをフォークに刺して言ったら、
「無理難題を言うからです。人がせっかく剥いてあげたというのに、文句を言わないでください。」
また頬をつねられた。
―――――その夜、不思議な夢を見た。
たくさんの奇妙な巨大生物が楽しげに遊んでいる夢だ。
角の生えた馬や翼の生えた龍、綺麗な毛並みのライオン、金色の瞳の黒猫、積もった新雪のように真っ白なウサギ。
彼らは楽しげに一人の人間を取り囲んでいた。
「次はかくれんぼな。俺が隠れるから、みんなで見つけるんだぞ。」
そういって声を掛ける男の人の声も楽しげだった。その人の顔はぼんやりとしてどんな顔をしているか、判別はつかなかった。
『いーチ、にーイ、サーん――――』
たくさんの意識がわたしに流れ込んできた。
『とても楽しイ』、『嬉シイ』、『幸セ』。
それと同時に『哀シイ』という感情も流れてきて、わたしは一筋の涙を流した。
流した涙の冷たさで、わたしはゆっくりと瞼を開いた。
まだ時間が早いらしく外はまだ薄暗かったが、しかし小鳥がチチッと囀っていた。
今日はヒューバート様の出立の日だった。
※ ※ ※
わたしは風邪で寝込んでいた分鈍った体を慣らすために、上着を被って外へ散歩に出かけた。
朝の空気は冷たかったが、それが程良く肌を刺激してとても気持ちが良かった。冷たい空気に慣れた頃には、夢で感じた『哀しい』という感情はわたしの中から消え去っていた。
召喚の塔にさしかかったとき、見知った人影を見つけて近付いた。
「ヒューバート様っ!」
小走りに駆け寄ると、ヒューバート様が少しだけ目を見開いてこちらを見てきた。
「ヤマダ。もう体調は良いのですか?」
「はい、もう熱は下がりました。少しダルイですけど、起きて動けないことはないです。体を慣らすためにも散歩に出たんですが、ヒューバート様も散歩ですか?」
「私もそんなものです。風邪が治ったのなら良かった。起き上がるのが無理なら、最後に顔を見に行こうと思っていたところです。」
その表情を見てわたしは固まった。ヒューバート様がアイスブルーの瞳を細めて笑っていた。
(わ、笑ってる。あの冷たい視線がデフォルトのヒューバート様が、桃姫でなくわたしを見て微笑んでる・・・。)
何かのドッキリかと思ってキョロキョロと辺りを見渡したが、他に人の姿はなかった。
「尻尾が付いていたらぶんぶん振っていそうですね。」
「はい?」
「いいえ何も。」
そう言ってヒューバート様は懐からタバコを取り出して火を点けた。ふーっと吹いた煙が明け方の空にゆらゆらと立ち上った。
「ヒューバート様がタバコを吸うとは知りませんでした。」
彼はサイラスさんとはまた違った潔癖さを持っているので、タバコを吸う印象はなかった。そういえば今の服装も襟を緩めていて、いつものきっちりと服を着こなすヒューバート様とは違って見えた。
「時々です。父の、宰相の下に就くことになってから止めました。彼はタバコが嫌いですから。」
もう一度、ふーっと煙を吹き出す。
今の姿の方が自然で好感が持てた。いつものきちっとした身なりは隙がなくて、前に立たれるとついつい萎縮してしまうのだ。
ヒューバート様はそれからタバコを吸いきるまで無言で煙を吐いた。わたしは塔に背中をもたれかけて、ゆらゆらと立ち上る煙を見つめていた。沈黙は苦痛でなく、むしろ言葉を出す方が場の空気にそぐわない気がして、静かに呼吸する音だけが朝焼けの透明な空気に響いた。
※ ※ ※
出立の時間が迫り、使節団の見送りのため王宮の門の前にみんなで集まった。
珍しく師匠も重い腰をあげて見送りに参加している。
ヒューバート様は桃姫を優しく包み込んで、「私がいなくとも平気ですか?」と尋ねていた。
桃姫は笑って、
「うん。寂しいけど、頑張るよ。ヒューも頑張ってお勤めしてきてね。」
とその背中に腕を回してぎゅっと抱きしめ返した。
それに寂しげに愛しそうに笑顔を返して、ヒューバート様は他の人達と言葉を交わした。
(桃姫にあれだけ熱をあげて入れ込んでいたんだから、しばらく会えないのは寂しいだろうな。)
そう思って見ていると、師匠に髪を引っ張られた。
「痛いっ。もう、何ですか師匠?」
「いや、頭にゴミがついていたから取ってやったんだ。」
「それにしては髪の毛が数本抜けたような気がするんですが。」
引っ張られた部分をさすって抗議すると、
「気のせいだ。」
と笑われた。
ヒューバート様がわたしの目の前に来たとき、
「ヤマダは私がいなくなって寂しい・・・ということはなさそうですね。」
と冷たく見下ろされたので、わたしは意趣返しとして反抗してみせた。
「寂しいですよ。とても。」
握手と見せかけてヒューバート様の手を思いっきり力を込めて握った。
どうせしばらくは会わないのだ。怒られたって恐くない。わたしは調子に乗って、更に力を込めて握り締めた。
「お元気で。無事に帰ってきてください。」
この言葉は本物だから許してもらおう。人との別れに慣れていないわたしは、急に寂しさが込み上げてきてぎゅっと目をつむった。
「そんなに私との別れが寂しいなら、一緒に付いて来ますか?」
「いやいやいや。そんなまさかっ!」
冷や汗を垂らして拒否した。
(四六時中、この冷たい視線に晒されてるとか無理っ!)
「冗談です。」
ヒューバート様はふんっと鼻を鳴らして、何事もなかったようにわたしと握手を交わしてくれた。
~ヒューバートside~
ヤマダがカレンデュラとの別れを惜しんでいる様子を眺めていると、アデリアが静かに近寄ってきた。
「小さい動物は好きかい?」
そう言われて思いついたのは、こちらに見えない尻尾を振ってくる子犬の顔だった。
「気を付けな。小さい動物だって、噛まれれば痛いんだよ。」
「さっそく噛まれました。」
そう返して手をさすった。さすがに普段鍛えているだけあって、普通の婦女子の力よりは強かった。
アデリアはニヤリと笑って、手元に持っていた袋をヒューバートに押し付けてきた。
「これは?」
疑問に思って目の前にかざした袋は手のひらに収まるくらいの大きさで、表には見たこともない文様が刺繍されてあった。
「守りの護符だよ。必要がなければいいが、常に持ち歩いておきな。」
「貴女に心配されるとは思いませんでした。」
「私だって、人の心配をするときだってあるさ。」
アデリアはヒューバートの手から護符を取り、彼の懐に忍ばせた。
「強力な魔力よけの材料を使っているからね。そこらの護符より余程効果はある。」
魔女がそうまでして自分に渡してきた護符だ。常に持ち歩いていて悪いことはないだろう。
強力な守りを得た、と懐の護符に手を置いた。
話の中では割愛してますが、アデリアが護符に仕込んだのは山田の髪の毛。
そのうち役に立つはず(?)




