31・本当とエゴ
「?」
「わたしは心が広くないんだ」という言葉に、桃姫は訳が分からないといった顔を浮かべた。
「わたしは桃姫みたいに顔を知らない人達のことまで守ろうとは思えないもの。知ってる人しか助けられない。みんなを守ろうと思える桃姫は強いよ。その想いだけは力の強弱じゃ測れない。」
「・・・・・私、『王の盾』になれて嬉しかったの。いつも守られてるばかりの私が、守りたいと思えるものを何も持っていなかった私が、何かを守れるなら嬉しいって思った。山田さんになればいいって言ったけど、本当はなって欲しくなんてない。私、『王の盾』でいたい。」
桃姫がポロポロ涙をこぼした。
「なんて私・・・・・本当に醜い。」
桃姫は「醜い」と言ったが、その涙は綺麗なものに見えた。
「いいんだよ、醜くくても。守りたいと思う気持ちは本心なんでしょ?」
わたしはぽんぽんと桃姫の背中を叩いた。
「ありがとう山田さん。それと・・・ごめんね。」
桃姫がぎゅっとわたしに抱きついてきた。
「ごめんねは余計だよ。何も謝られるようなことされてないもの。」
わたしはあやす様にもう一度桃姫の背中をぽんぽんと叩いた。
「ううん、私のエゴで山田さんに迷惑かけてる。」
(おぉ、珍しく桃姫が空気読んでる。)
そんな感想が口から出かけたが、わたしはよしよしとその背中を撫でて余計な言葉は飲み込んだ。
[桃姫視点]
「ごめんね。」
山田さんに寄りかかって泣いた。
みんなが本当のことを知って山田さんを『王の盾』に据えることを望むのなら、仕方ないと思った。それがみんなが望むことなら受け入れようって思った。
でも本当は『王の盾』でい続けたかった。
それがここでの私の存在意義だったから。守られてばかりだった自分が、何かを守ることが出来る自分になれるのだ、という事実が嬉しかった。何かを守れる自分になりたかった。
いつも私の前には誰かが立っていて守ってくれた。でも、「そんなことしなくていいんだよ。」って言ってもみんな「桃姫はそこで見ていればいい。」って言って何もさせてもらえなかった。
私もそんな立場に不満はなかった。それが私の日常だったから。疑問にも思わなかった。
この世界に来て、「貴女が国を守る『王の盾』だ。」と言われて初めて疑問に思った・・・。
自分が何も持っていないことに気付いたとき、この身体が空虚な空っぽの人形のように感じた。
だから空っぽの身体に水を注ぐように、努力した。たくさんのことを覚えた。この国の歴史や政治、ダンスに話し方、そして力の使い方。
頑張りたかった。みんなの期待のために。・・・・・自分のために。
(私のエゴだわ。)
山田さんは初めて私の不安に触れた。
そして「私のエゴでごめん。」と謝るわたしに
「いいんだよ迷惑かけたって。友達プライスで美味しいお菓子で許してあげるから。それにエゴだって、誰かの為にやってれば立派な善意に変わるよ。頑張りなよ。立派な『王の盾』になって、他に変わりは利かないんだってくらいになってくれなきゃ困る。」
と言って笑ってくれた。
背中を撫でる手は優しく暖かかった。
(私・・・守りたいって思ったばかりなのに、また守られてる。)
もっと強い自分になりたいと思った。
泣き止んで、山田さんの『ごめんなさい』は何に対してかと尋ねたら、
「力の強さをごまかしていたこと。それと、『王の盾』という大任を押し付けたこと。」
と苦笑いで答えてくれた。
『王の盾』になりたい私と『王の盾』になりたくない山田さん。
利害の上では一致している二人だけど、山田さんの方がずっと強いと思った。
山田さんは「顔を知らない人まで守ることはできない。」と言うけれど、それは反転すれば「顔を知っている人に対しては全力で守る。」ということに違いない。彼女の言葉はそういうことなんだと感じた。
今はまだそんな山田さんの強さの足元にも及んでいないけど、頑張って強い自分になろうと思った。
※ ※ ※
(うーん、何か忘れてる気がする・・・。)
そう首を捻ったわたしは、いつもの自分の行動パターンを思い返して、はっとした。
「あっ、フェイトのこと忘れてた。」
ディー団長は王宮内にいるから、わたしが風邪をひいてベッドの中にいることを知っていてもおかしくないが、フェイトは違うのだ。きっと門の前でぶすっと待ち構えているに違いない。
「悪いんだけど桃姫、フェイトに今日は行けないって言ってきてもらえないかな?」
フェイトの外見を教えて、王宮の門へとお使いに行ってもらうことにする。彼は根が真面目なので、ずっと待っていそうだ。
「うん、分かった。任せて!」
桃姫は頼みごとをされたことの何がそんなに嬉しいのか満面の笑みで快諾してくれた。
立ち上がって扉へ向かいかけた桃姫がくるりと振り返って言った。
「本当にありがとう。山田さんが本当に男の子だったら好きになってたかも。」
(そこで頬を染めるな!男共につるし上げくらうわっ!)
わたしは苦笑いでそれに返した。
桃姫が扉の取っ手に手を掛けたとき、トントンと扉を叩く音がして、ディー団長の声がした。
「ヤマダ、風邪をひいたと聞いて見舞いに来たんだが入ってもいいか?」
※ ※ ※
(この空気・・・居た堪れない。)
部屋に入ってきたのはいいが、ディー団長は椅子に座ってずっと押し黙ったままだった。
その顔は眉をひそめて不機嫌をあらわにしていた。
「あの・・・何か怒ってます?」
こわごわと聞いてみる。
「いや、そんなことはない。」
(いいえ、絶対怒ってる!表情からしてそうだし、声が低い。いつもより数段低いよ。)
びくびくと怯えるわたしに、ディー団長は黙ったままじっと押し黙っていた。
かなりの時間を要して、ようやくディー団長は口を開いた。
※ ※ ※
[ディー団長視点]
王都を出ると言ったヒューバートは憑き物が落ちたようなスッキリとした顔をしていた。
それは桃姫が来る前までの冷たいだけのものでも、桃姫に恋する熱の伴ったものでもなかった。
(穏やかになった?)
以前とほとんど変わりはないが、確かに違う顔つきになったように感じた。
「桃姫はいいのか?」
そう尋ねた自分に
「彼女には王子もサイラスも、貴方もついているから心配はありませんよ。」
と返事が返ってきた。その言葉さえ、少し前だったら悔しさの滲んだものだったはずだ。
(何がヒューバートを変えたのだろう?)
「ただ、私がいなくなっては困ると泣く子犬がいましてね・・・。思わず連れて行きたくなってしまいました。」
ふふっと思い出し笑いをするヒューバート。彼は犬なんて飼ってはいなかったはずだ。
それは何かの比喩なのだろうか、と訝しんでいると、ヒューバートは続けて言った。
「今はまだ野良犬でよく噛まれるんですが、時々こちらに尻尾を振ってくるのが可愛いんです。飼いたいのは山々なのですが、どうやら餌付けして飼い慣らしている人がいるようで、それも難しいかもしれません。」
これが犬ではなく人であるなら、ここまでヒューバートが親しくしている人間とは一体誰の事か・・・。
もちろん桃姫のことではないだろう。ヒューバートが桃姫に対して犬扱いなどするはずがない。
そこで以前、髪を濡らしたヤマダの頭を拭いているときのヒューバートの言葉を思い出した。
彼はヤマダを指して「犬みたい」だと言わなかっただろうか。
(もし、犬がヤマダのことなら・・・。自分が見ていないところで何があったか分からないが、ヒューバートがヤマダに心を許し始めたということか。)
不愉快だと思った。
ヤマダに出会ってから、段々と心が狭くなってきている自分がいる。時々、誰も見なければいいのに、とさえ思うときがある。
ヤマダが顔を見てこちらに笑いかけてくれば、このどす黒い感情も収まるかと思って早朝に伺えば、珍しくアデリアが起きて茶をすすっていた。
「ヤマダは風邪だよ。まだ寝てるから、出直しておいで。」
しっしと追い払われてしまった。
仕方が無いので、訓練を終えてもう一度伺った。
扉の中から漏れ聞こえてくる声から、どうやらヤマダは色々と秘密を抱えているということを知った。
まだ気付かないフリをしておこう、と決めた。
そうしなければ、彼女が目の前から消えてしまうという予感がした。
しかし、驚いたのは自分にだ。ヤマダが桃姫と同性であると聞いたところで、この心はあまり動揺もしていなかった。どうやらヤマダが男でも女でもさして問題ではなかったらしい。すでにその次元を超えていた事実に驚いた。
(今はただ・・・。)
考えにふけっていたので、自然と顔が強張っていたらしい。
ヤマダが「何か怒ってますか?」と尋ねてきた。
「いや、そんなことはない。」
そう答えたが、ヤマダはびくびくと怯えていた。
(笑えばいいのに。)
怯えさせたのは自分なのに、理不尽にもそう思ってしまった。
ディー団長が少々ヤンデレ化。
ヤマダは秘密を知られてしまった。




