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少年(?)山田の胃が痛い日々  作者: 夏澄
王宮生活~応用生活編
59/95

29・熱にうかされて

「大事な人がいなくなるのは嫌なんです。」


目を開けると、ポロポロと大粒の涙を零す子犬の姿があった。


これまでたくさんの涙を見てきたが、そのどれもが自分を哀れむ涙や人の気を引くための涙ばかりだった。


ただ己の不在を哀しみ、さびしいと泣かれたのは初めてだった。


薄く残る頬の傷跡に目がいった。池で打ちつけたとき、切れていたのだろう。紫色に変色した跡がうっすらと残っていた。

「山田はお前の名誉を守ったんだ。」

ディエルゴ騎士団長の言葉だ。


(何故、私のためにそこまで体を張ることができたのだろうか・・・。)


一度、ディエルゴに何故そこまでヤマダに目をかけるのかと聞いたことがある。

「あいつは、その行動の原動力がほとんどの場合、自分よりも相手の幸福だ。ヤマダが何か強く言う時は、大概が相手のことを思っての場合で、咄嗟の行動は、自己の利益のためでなく相手のことを思ってのことなんだ。自分のことは後回しで、己の傷すら傷だとも思ってやしない。だから目が離せない。」


(ならば、ヤマダが私に言った言葉も行動も全て私のためということなのか・・・。)


ヤマダにそこまでされる程、優しくした覚えはない。むしろ冷たい目で見下ろした数の方がずっと多い気がする。そんな相手にさえ、身を差し出すというのか。


そっとヤマダの頬に残る傷跡に手を当てた。ヤマダは子犬のように、その手にスリッと頬を寄せた。

紅潮した頬。 涙で潤んだ瞳。 熱い吐息。 手にかかる透明な涙。

もっと間近で見たくなって、ゆっくりと自分の顔を寄せた。

天窓から降り注ぐ光がステンドグラスを通して優しく床にキラキラとした虹の花模様を描いていた。

部屋はとても静かで、自分の心はとても凪いでいるはずなのに、心臓の音だけがドクンと脈うった。



「あー。こりゃ風邪だね。」

「うをあっ。」

ガラにもなく、身をのけ反らせた。


魔法研究所の魔女、アデリアが頬杖を付いて自分とヤマダを覗き込むようにしゃがみ込んできた。


「ヤマダ、おいで。」

「ふあい、ししょう。」

ろれつの回らない舌で返事を返し、ヤマダがアデリアにしがみつく。

「師匠、つめたくて気持ちいいー。」

ヤマダはその豊満な胸に顔をうずくめてスリスリとすり寄った。

(これはもしかして、さきほど自分の手にすり寄ってきたのも冷たさを求めてのことでは・・・。)

それに思い至った瞬間、羞恥心で顔から火を吹くかと思った。


「肩をかしてやるから立てるか?」

「だいじょーぶです。」

ヤマダはふらふらとしながらも、アデリアに寄りかかって立ち上がった。

「こりゃまともに歩けそうにないね。ヒューバート、ヤマダを運んでくれるか?」

小柄な体型とはいえ男の身体。骨ばって質量もあると覚悟してアデリアから受けとった身体は、しかし柔らかく、ふにゃふにゃとした触感だった。


「アデリア様。ヤマダは・・・。」

「気付いたか。妙な気を起こすなよ?」

アデリアがニヤニヤとしながらこちらを見てくる。

「起こしません!」

耳を赤くしてそう応えた。


「冷静に相手を見ようとすれば気付くもんだよ。熱にうかされた者には冷静な判断はできないだろうがね。」

アデリアが扉を開けて召喚の部屋を出る。


「人は偉い立場にある人間の言うことは絶対だと信じ込みやすいもの。お前やディエルゴの場合は王子の言葉を、騎士達は団長の言葉を、王宮内の者はお前の言葉を信じた。」

らせん階段にカツカツという靴音が響く。


「上に立つ者が黒と言えば白も黒になる。疑うことすらしない。それが自分が信じたいものならなおさらだ。伝説や伝承の類も同じようなもの。時代の勝者がした言い訳にすぎない。」

アデリアが口にしているのは、はたして自分のことなのか、この世界のことなのか。


「なあ、一体お前は何を見てきたんだ?」

やがて下にたどり着き、塔の外へ出た。

「それを言われては返す言葉もありませんが・・・。」

何も見えていなかったと気付いたからこそ、王都を出ようと思ったのだ。

「しかし、何故私に?」

(何故ヤマダと一番親しくしているであろうディエルゴではなかったのか・・・。)


「お前がある意味一番キケンだからだよ。」

アデリアはいつもの魔女の笑みでニヤリと笑った。


 ※ ※ ※


―――――大事な人を失った人を知っている。


「ごめんね。オトーさんいなくなっちゃったの。」

父はどこだと聞いたわたしに、母はそう言って何度も「ごめんね」と謝った。


子供が出来ても、お互いに名前で呼び合うくらいに仲が良かった二人だ。

父の不在に誰よりも悲しんだのは母のはずなのに・・・。


もうオトーさんを呼ばないと決めた日、

「大丈夫だよ。オトーさんの代わりにわたしがオカーさんを守るから。」

袖をそっと引いて元気付けようとした。

ぎゅっと抱きしめてきた泣き笑いの顔が、心からの笑顔に変わるのは何日も何週間も何ヶ月もかかった。

今ではたくましいシングルマザーだが、時々思い出したように父の写真を見て泣いていた母。


―――守るよ。


――――笑ってくれるなら、大丈夫。痛みなんて感じない。


わたしは大事な人が傷付くのが怖い。悲しむのが怖い。・・・失うのが怖い。


それは誰かにとっての大事な人でも同じだ。


大事な人を失って悲しむ人を見たくない――――――。



(眩しい・・・。)

瞼を開けると、ランプの光が目に入ってきた。窓の外を見ると、空が薄暗闇に染まっている。

どれ程、時間が経ったのだろう。

召喚の部屋の扉を開け、気を失ったヒューバート様に声を掛けていた辺りから記憶が怪しい。

ベッドの脇に座って、わたしが師匠に借りた魔道書をめくるヒューバート様の姿があった。

「何でヒューバート様が・・・?倒れていたのはヒューバート様だったはずでは?」

喉がカラカラになっていて、自分の声がひび割れて聞こえた。


ヒューバート様が水差しからコップに水を注いで手渡してくる。口に含んだ水は冷たく、それでいて熱のともった喉には気持ちの良いものだった。

「熱を出して今度は貴方が気を失ったんですよ。私がここまで運んだんです。感謝しなさい。」

いつの間にか服が寝巻きに変わっている。

「あの、着替えは・・・まさかヒューバート様が!?」

「自分で出ていけと言って着替えてましたよ。プライベートは覗かれたくないんだと訳の分からないことを呟いて。」

着替えの際にディー団長を追い出すときの口実だ。ここでいつものクセが出てきたことにほっとする。

男の人に服を脱がせられたらエライことになる。


「まったく、おかしいと思ったんですよ。私のことを大事な人と呼ぶのですから。」

(ああ、確かそんなことも言った気がする。)

「そうですよ。ヒューバート様は大事な人ですよ?」

何言ってるんですか、という顔をしたら変な顔をされた。

眉をひそめて眼鏡を押さえて、口の形もゆがんでいる。

「何をバカなことを。」

「大事な人ですよね?桃姫にとって。」


「・・・・・。」


「あの?ヒューバー」

「もう寝なさいっ!」

汗ばんだ額に塗れたタオルが投げつけられ、わたしはベッドに沈められた。

気付かないうちにまた粗相をしてしまったのだろうか。

元気になったら謝ろうと思った。


「ああ、そういえば何を勘違いしているか知りませんが、王都を出るといっても2,3ヶ月のことですよ?」

「ふえっ?」

てっきりヒューバート様はもう王都へ戻らないのだとばかり思っていたわたしは変な声をあげた。


「サイラスが教育制度の見直し案を出してきたのですが、規模が大きくなりそうなので、国をあげた事業に切り替わることになったんです。その一環として、改めて実地調査を測るための使節団が結成されました。その使節団に私も参加させてもらうことにしたんです。」

「そ、そうだったんですか。」

わたしは自分の勘違いに恥ずかしくなり、頭から布団を被った。


「私がいなくなることに喜んだかも知れませんが、残念でしたね。」

「いいえ、そんなことないです。いなくならなくて良かった。」

ヒューバート様の言葉に布団の中で頭を振った。

「誰かの大事な人が消えてしまうかと思ったら怖くて。出て行かないでくださいってお願いしに行こうと思ったんです。」


「ふうっ。もう一度寝なさい。2日後には王都を出ます。それまでに風邪を治して見送りに来なさい。」

そう言ってポンポンと布団の上から頭を叩かれた。

その手つきが優しく、安心したわたしは再び深い眠りへと落ちていった。

ごめんねディー団長。

ヒューバートが山田に手を出しかけたよ。

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