27・枯れ葉の中で その2
『さっきまでヒューバート様だと思っていた人物が、まったくの別人だった。』
その事実にわたしの頭は混乱した。
いや、「まったく違う」とはいえないだろう。
黒縁眼鏡の向こうに見える冷たいアイスブルーの瞳。多少白いものは混じりつつも、黒みがかった藍色の髪を後ろに撫でつけ、皺すらない服をビシッと着こなし、立ち振る舞いからしてお偉いさんといった貫禄。
目の前の人物は、ヒューバート様を十数年老けさせたかのような面立ちをしていた。
「初めまして、と言うべきかな。こうして顔を突き合わせるのは初めてのことですから。わたしはヒューバートとカレンデュラの父で現宰相のバルト・オルンハイムと申します。」
姿こそヒューバート様を老けさせた感じだが、声質はまったく同じものだった。
「えっ、あの、すいません。てっきりヒューバート様だとばかり・・・。」
そんなお偉いさんが何故、とわたしの頭は再度混乱した。慌てて下げようとした頭を「そんなに畏まらなくても結構。」と止められる。
「たまたま君の姿を見かけて、少し話をしてみたくなったんです。」
冷たいアイスブルーの目を少しだけ細めて笑った。こうして見ると、ヒューバート様よりは多少気安い感じのする人だと思った。
「彼女は優しく守られているだけの花じゃない、でしたっけ?」
アノ時のわたしの言葉だ。バルト宰相は「カレンデュラに聞きました。」と付け加えた。
「君の方が彼女に恋をする人達よりずっと彼女の事を理解しているようだ。」
(違う。気安いのは対外的なものだ。)
こちらを観察するように見てきた瞳は、以前炊き出しの日に出会ったユネスさんと似たものを感じた。
彼はわたしから何を聞き出したいのだろうか。
真意は分からないが、わたしは思ったままを答えることにした。
「桃姫だって一人の人間です。優しく微笑むだけの人形じゃない。泣きもするし、悩みもする、みんなの期待に応えようと頑張ってる一人の女の子です。」
悪いのは彼女を愛玩人形のように猫可愛がりする男達だ。
生来の性格もあるだろうが、きっと小さい頃からそんな環境にいたから、周囲の期待に応えようとした結果が今の桃姫を作る要素となったのかもしれないと思うことがある。
『綺麗で可愛い天使』
そんな期待が、彼女の本質を捻じ曲げているように感じた。
花祭りの夜に、みんなの期待に不安を覚えつつも「頑張る」と言った桃姫は、それまでわたしが抱いていた印象の「良い子」の桃姫ではなかった。
それは周囲の優しさに甘えるだけのお姫様には見えなかった。
早朝訓練に参加することだって、自分から言い出したことなのだ。男性陣の「そこまでしなくても」という意見もよそに、よく頑張っていると思う。
そのことを簡潔に述べてみると、
「ふうん、面白い解釈だ。では、彼女に恋をする男は愚かだと思いますか?」
と聞いてきた。
(それはヒューバート様の事を言っているのだろうか。)
そうだとしたら、あまり失礼なことは言えない。
「恋をすることが愚かとは思いませんが、自分を見失って他人に迷惑をかける人は愚かだと思います。」
言いきった後で後悔した。
たった今、失礼なことは言えないと思ったばかりなのに、これではまるでヒューバート様のことを悪く言ったように思われるではないか。
(あー、わたしのバカ間抜け!)
「いえ、あの、決してヒューバート様のことでなく、一般的な解釈としてですね、」
青白くなるわたしに
「ふふっ。いいですよ。素直なことは良いことです。」
口に手を当てて苦笑されてしまった。
「君は恋を知らないんですね。」
相手に好意を抱き自分を見失うほどになる状態を恋というなら、わたしはしたことがないと言える。
なんせ初恋は自分の父親で、それ以降、異性を好きだと思ったことがないのだから。
「恋、ですか・・・。そうかもしれませんね。」
その時、ぱっとディー団長の顔が浮かんだが、ぶんぶんと頭を振ってその面影を脳内から消し去った。
「ヒューバートは『王の盾』に特別の思い入れがありますからね。迷惑をかけたなら謝ります。『王の盾』自体が彼にとって神聖な存在のうえ、それがとても愛されるべき可愛らしい姿とカリスマ性を持って目の前に現れたんです。恋に狂ったとしても仕方の無いこと。少々行きすぎのきらいはありましたが、落ち着くまで見ていようかと思っていたのですが・・・。」
そこで言いよどむバルト宰相に何か不吉なものを感じたわたしは、彼に詰め寄った。
「あの、ヒューバート様に何かあったんですか?」
「しばらく王都を離れたいと言ってきたんですよ。」
バルト宰相はヒューバート様と同じアイスブルーの瞳でこちらをじっと見てきた。
「それは君の言葉があったからかな。」
「言葉って・・・。」
「綺麗な花を愛でていたいだけなら、綺麗なモノだけ見ていたいなら、王宮に引っ込んでいろ。そう言ったんですよね。その意味するところに気付いた彼は、そのまま綺麗なモノだけ見続けていられる程、大バカ者ではなかったようです。今頃、荷造りでもしているんじゃないでしょうか。」
それを聞いたわたしは駆け出していた。
~バルト宰相side~
「君は高潔だ。若さから来るものとはいえ、それが失われないことを祈るよ。そうは思いませんか、魔女殿。」
いつの間にか木の陰にいた魔女に驚くこともせず、バルトは言葉を投げかけた。
「何が高潔だ。あれは愚直なだけだ。しかも向こう見ずだからバカとしか言いようがない。」
「ふふっ。なかなか手厳しい。大事な弟子なんでしょう?」
「その大事な弟子に手を出してるんじゃないよ。」
魔女はその燃えるような赤髪を掻きあげてバルト宰相を睨んだ。
「少し話をしただけでしょう。」
「ふんっ。ユネスといいお前といい、何であいつにちょっかい掛けてくるかな。」
「ユネス大神官長はただの興味本位でしょう。わたしは言葉巧みにうちの子供達を誑かした者がどんな人物なのか知りたくなっただけです。悪意のあるものなら釘を刺しておかないと。」
バルト宰相がヤマダの去った方向を見て呟いた。
「しかし、なかなかどうして、真摯な人でした。」
魔女がそれに応える。
「素直で曲がりのない言葉ほど胸に刺さるものはないからな。お前のバカ息子だってそうだろうが、真っ黒なお前には眩しいものがあるだろう?」
「ふふっ。本当に魔女殿は手厳しい。王宮の影に暮らす私には、外の光は眩しすぎる。私はまた暗がりに戻ることにしますよ。」
カサカサと鳴る枯れ葉の音を楽しむように踏みしめながら、バルト宰相は去っていった。
「まったく、やっかいな連中に限ってあいつに近づくんだから。」
魔女はふうっとため息を吐いてその場から一瞬で消え去った。
※ ※ ※
ハアッ ハアッ
わたしは王宮内をひた走っていた。
(そんなつもりなかったのに・・・。)
宰相補佐の執務室にはいなかった。
(ただ、行き過ぎた態度を改めてくれたら良いと思っただけ・・・。)
王宮内の廊下にもいなかった。
(それが何で王都を出て行くことになるの・・・。)
外の庭にもいなかった。
(あんなこと言うんじゃなかった。わたしのせいで誰かの大事な人がいなくなる。)
わたしの頭の中に、ある日突然いなくなった父の姿が浮かんでいた。
(もしかしたら・・・。)
バタンッ
「ヒューバート様っ!王都を出て行くって本当ですか!?」
やはり彼はそこにいた。
初めて桃姫と出会った場所。
召喚の塔に。
出てきたのはあの人のお父さん。
声が同じ。将来は同じような姿になるはず。




