25・仮面の裏側
仮面舞踏会の会場はまだまだ賑やかだ。
「給仕さん。グラスを下げてくれる?」
「はーい。ただいま。」
池での騒動の後、桃姫は王子達に連れられ王宮へ戻り、わたしは給仕係のトップの人にお願いして池で濡れてしまったメイド服から男性用の給仕服に着替えて仕事に戻った。
さすがに舞踏会の会場で池の水の匂いを放つ服で給仕はできないし、何よりあのまま女の格好で居続けたくなかったからだ。
わたしの脳裏に桃姫を抱きかかえるディー団長の姿がこびりついていた。
(何故、あの二人の姿に衝撃を受けているんだろう。)
お姫様を抱きかかえる騎士の姿は、童話や恋愛物の読み物の中でもよく取り上げられるシチュエーションだ。
(やっぱり、ディー団長は桃姫の騎士なんだと再認識しただけなのに・・・。)
「ヤマダ、空いた食器片付けてこい。」
「はーい。今行きます。」
(わたしは今、どんな顔をしているんだろう・・・。)
今日が仮面舞踏会で良かった。仮面を被っていれば、どんな顔をしていようが、誰にも見咎められることはないからだ。
男性用の給仕服はダボダボで、わたしの身体にはまるで合っていなかったが、メイドの格好よりマシに思えた。
溜まったグラスや食器を洗い場へ運び、再び会場へ戻ろうと静かな廊下を歩いているときだった。
誰かにぽんっと肩を叩かれた。
「ヤマダ。」
「・・・ディー団長。」
今、一番会いたくない人に限って会ってしまうのが世の常なのか、三日月を背景に仮面をつけたディー団長がそこに立っていた。
(何で男の格好に着替えたのに、この人には分かってしまうんだろう?)
ディー団長は人間観察のプロにでもなるつもりなんだろうか。
「仮面を取れ。」
ディー団長が不機嫌な声でわたしに命令してきた。
「何でですか。」
「さっきヒューバートに叩かれたろう。治療しないと。」
何をいきなり目の前に現れて不躾なことを言ってくるのかと思えば、ヒューバート様に打たれた頬の心配をしてくれてのことだったようだ。
「大丈夫です。自分でシップを貼りましたから。」
そう元気に答えたのに、
「じゃあ、本当に大丈夫なのか顔を見せろ。」
ディー団長がわたしの仮面に手を伸ばしてきた。
それをすんでのところで避けたのは、今のわたしの表情を見られたくなかったからだ。
「大丈夫ですったら。」
「お前の大丈夫は当てにならないと言っただろう。」
少し怒ったように言うディー団長。心配してくれているのは分かるが、頼むから今だけは勘弁して欲しい。
「駄目です。」
(というか嫌です。)
わたしはディー団長から距離をとろうと
「仮面は相手の名前を言い当てないと外させることはできないんですよ?」
一歩、その場から後退した。
「お前の名はヤマダだろう?」
ディー団長が不思議そうに言う。
「ある意味正解です。」
「だったら」
また一歩、ディー団長から遠ざかった。
「わたしはヤマダですが、『ヤマダ』というのが正式な名前じゃない。」
そしてまた一歩。
「貴方に自身の名前と家の名があるように、わたしにだって名前はあるんですよ?ディエルゴ・リュディガー騎士団長。」
「では、お前の名前は?」
ディー団長が自分の仮面を外してわたしを見た。
その顔にはいつものように爽やかな笑みなど浮かんではいなかった。変わりに綺麗な薄茶色の瞳が真剣にこちらを捉えて離さなかった。
ディー団長と親しくするようになって初めて「怖い」と感じた。
わたしは怯えを仮面の下に隠して、出来るだけ声の振るえが伝わらないように努めた。
「仮面舞踏会で相手の名を聞くのは無粋ではないですか?」
「・・・・・。」
仮面をしていても、その綺麗な薄茶色の瞳に心の奥を覗かれているような気分になり、わたしは明るいところから柱で出来た影の暗がりへと逃げ込んだ。
「桃姫のところへ戻らなくてもいいんですか?」
こちらを真っ直ぐに見てくる瞳が怖いのは、こちらに疚しい気持ちがあるからだ。
「彼女には王子達が付いている。」
「貴方は彼女の騎士でしょう?」
この胸のドロドロとした澱みが溢れそうだった。
(このドロの正体なんて、わたしは知りたくない。)
「ずぶ濡れのお姫様を放っておいていいんですか。」
わたしはワザとディー団長が帰りたくなるような言葉を並べた。
「今頃は着替えて暖かくしていることだろう。」
それでも、ディー団長は帰ってはくれなかった。
「俺は桃姫の専属ではない。それを言うなら―――」
ディー団長があっという間にわたしが頑張ってとった距離を詰め、わたしが逃げ込んだ柱の影へと入ってきた。柱に両手をつき、柱にわたしを縫いとめる。
「お前だってヒューバートの騎士じゃないだろう。」
顔をかがめてきたので、ほぼ向かい合う形になっている。
ディー団長が仮面の奥のわたしの瞳から心の中を覗こうとでもしているかのようだった。
「どういう意味ですか。」
ディー団長が片手を離して、ドクロの仮面の上からヒューバート様に打たれたわたしの頬に触れる。
直接触れられたわけでもないのに、熱を感じた。
「あれは彼女達を守ったのではなく、ヒューバートの名誉を守ったんだろう?それは十分に騎士の行いに値する。」
確かに、わたしが妖精達とヒューバート様の間に入ったのは、女性を殴れば後でヒューバート様が後悔することになると思ったからだ。
「それに頬が痛いのを我慢してまで笑っただろ?」
そしてディー団長はわたしの耳元で小さく囁いた。
「ヒューバートが気に病まないようにするためだろうが、―――――。」
※ ※ ※
「おーい、ヤマダはどこだー?」
遠くで給仕係の仲間がわたしを呼ぶ声がした。
「じゃあ、俺は会場の警備に戻るから。」
ディー団長が仮面を被りなおして去っていく。
やがて柱の影にわたしの姿を見つけた給仕係の仲間が傍にやって来た。
「こんなところで何してるんだヤマダ?」
わたしは腰を抜かして柱を背に床に座り込んでいた。
「おーい、ヤマダ?」
反応の乏しいわたしに給仕係の仲間がぱたぱたと手を振る。
「か、仮面のオバケに襲われました。」
わたしは呆然とそれに応えた。
「はあ?何だそれ。夢でも見たんじゃねぇの?」
(はっ。ゆ、夢!?そうだ、あれは全部夢なんだ!)
そう思い込もうとしたわたしの耳元で、あの低い囁きがぶり返してきた。
「―――ためだろうが、嫉妬するよ。」
「ぎゃあぁぁぁっ!」
静かな廊下にわたしの叫び声がこだました。
給仕係の仲間がビクッと肩をすくめる。
「だ、大丈夫かヤマダ?」
「ハアッ ハアッ。す、すいません。幻聴が聞こえて・・・。大丈夫です。」
そこで再度わたしは幻聴に襲われた。幻覚込みで。
「いつかお前の本当の名を教えてもらえるよう願っている。」
そう言って、ディー団長はドクロの仮面越しに打たれた頬に当たる部分にキスしてきたのだ。
「うがあぁぁぁっ!」
思い出した途端にとてつもない羞恥心に襲われたわたしは、被っていたドクロの仮面を床に投げつけた。
「本当に大丈夫か?何だか顔も赤いし・・・。お前もう帰って寝ろよ。上の人には俺から言っておくから。」
少し、というかかなり引いた目で見られたわたしは、素直に彼の親切に甘えて家に帰ることにした。
家へ戻ってベッドの中に入っても、わたしは何度も記憶のぶり返しに襲われ悶絶した。
「うぐあぁっ。わたしの名前なんてどうでもいいじゃないですかっ!」
「うるさいっ!!」
雄たけびをあげるわたしに扉の隙間から師匠が枕を投げつけてきた。
ボフっと枕を抱えてわたしはベッドに沈んだ。
木枯らしが家の薄い窓をカタカタと揺らした。
冬はもう間近に迫っていた。
ディー団長は山田の名前を聞きだせなかったが、それなりに後遺症を残していきましたとさ(笑)




