17・リトルレディ その3
幽霊のようなサイラスさんに連れられ、わたしとカレンお嬢様は神殿へと向かった。
王都の中央神殿は王宮の北東部に位置し、わたしと師匠が済む家からは王宮の東門を出ればすぐの場所なのだが、今いた桃姫の居室は王宮の中心部にあるため、神殿まではしばらく歩くことになる。
王都にある孤児院の併設された神殿は、一般の人が訪れる神殿なので温かみがあるが、こちらの中央神殿は王族や貴族向けの神殿なので造りも豪華で冷たい印象だ。
白く荘厳で神聖な空気を醸し出す神殿の建物は、この国の宗教の信者でもないわたしにとっては敷居の高いものを感じる。
その神聖な神殿の中にあるサイラスさんの執務室にわたしはいる。
サイラスさんは書類の重ねられた執務机に陣取り、わたしとカレンお嬢様はその前に置かれた来客用のソファーに腰かけた。
「荒れてますね、部屋が。」
机の上はまだスペースが残されているが、床は丸められた紙くずなどが落ちていたりして、お世辞にもきれいな部屋とは言いがたい。綺麗なサイラスさんの部屋とはとうてい思えない。どちらかというと、師匠の部屋に近いものがある。
ソファーの前にあるガラスの机の上にも書類が山と積み上げられていた。
「ずっと部屋にこもり切りでしたから。あまり掃除が行き届いていないのには目をつぶって下さい。」
こんな様子では、褒めてからかう状況ではなさそうだ。綺麗好きなサイラスさんが、ここまでの状態に追い込まれているのだ。そこは自重しなければ。
「ずっと、って・・・噂には聞いていましたが、教育制度の設立のためですか?」
「ええ。神殿が一般の人に教育をしていることはしているんですが、改めて見直しを計ろうかと思いまして。」
「それを一人で?」
「ある程度の案を練らないと、上層部を説得は出来ませんからね。」
「へぇ、大変ですね。」
「な・に・を他人事のように言っているんですか。私を焚き付けたのは貴方でしょう。何か意見を出しなさい。良ければ採用してさしあげます。」
「煮詰まって、目の保養に桃姫の顔を見に行った人が何言ってるんですか。そこは、良い案が浮かばないので助けて下さい、とお願いするところですよ。」
わたしとサイラスさんの睨み合いが始まった。
そこへカレンお嬢様がわたしの服の袖をつんつんと引っ張り、小さな声で尋ねてきた。
「貴方、サイラス様と知り合いなの?」
「ええ、まあ一応は。」
「サイラス様といったら、将来の大神官長とも噂されている方よ。貴方、下男のくせにそんな方と知り合いだなんて、一体何者?」
「わたしはわたしです。」
「コザルはコザルです。」
それが聞こえていたらしいサイラスさんがわたしの言葉とダブった。
「こほんっ。コザルは単に桃姫にくっ付いて召喚されてきただけの厄介者です。王宮内で下働きのようなことをしているので、下男とそうたいして変わりありませんよ。そのコザルは礼儀を知りませんからね。多少の無礼は許してあげないと、こちらの神経が参りますよ。」
(それはこっちのセリフです。)
「人のことを下男、下男とバカにされてますが、下男といっても、王宮内で働くことは庶民にとってはステータスなんですよ。それに下男だって立派な仕事です。」
気を取り直してわたしは目の前の書類を手に取った。
「それで、どういったことで悩まれているんですか?」
「神殿の教育といえば、多少の読み書きとこの国の歴史が少々です。それ以上の高等な教育は金銭を持った者の特権で、一般の庶民には行き届いていないのが現状です。教師を配置しようにも数が足らないし、給金の問題もあります。きちんと教育が出来る者はそれなりの給金を支払わねばならないし、神殿の予算にも限りがありますからね。」
「ねえ、どうして一般庶民に教育が必要なのかしら?」
(うわっ、出たよ、ブルジョワ思考。)
お嬢様が理解できないというふうに首をかしげている。
しかし、これがこの国の現状なのかもしれない。教育を受けられるのはお金のある人の特権、下々の者は何も考えず働けばいい、と多くの貴族達は考えているのかもしれない。
「お嬢様は本を読むのは好きですか?」
「ええ、小さい頃から物語を読むのが好きだったわ。それがどうかしたの?」
「お嬢様は何故、本が読めるんですか?」
「文字が読めるからよ。当たり前のことを聞かないでよ。」
少ししつこかったかもしれない。お嬢様がイラッとして返してきた。
サイラスさんが加える。
「この王都にいるほとんどの庶民の子は、文字が読めません。読めたとしても看板くらいです。文字を知らないので、本を読もうと思っても読めないんです。カレンデュラ様が本を読むことが出来るのは、文字を誰かに教わったからです。それを許される環境にいたから本を読むことが出来るんですよ。」
お嬢様がはっとした顔をした。
わたしは続けて言った。
「文字ひとつとってもそうです。当たり前のことができない子供達がいる。そんな当たり前のことが学べる環境を作る為に、サイラスさんは頑張っているんですよ。」
「それに文字を読むことが出来るというだけで、それだけ庶民にとっては職につくのに有利に作用するんです。しかし、神殿が教育の場を設けているとはいっても、あまり教わりに来る者がいないのも現状でして。」
「ご、ごめんなさい、ワタクシ・・・。」
お嬢様がシュンとしてしまったので、
「はい、この話はここまで。さ、改善策を一緒に考えていただけますか?」
とポンッとお嬢様の肩を叩いた。
その日は良い案が浮かばなかったので、各自の宿題として、また後日3人で集まることにした。
※ ※ ※
「考えたんですけど、教師はなにも専門の人に頼まなくてもいいんじゃないですか?」
「どういうことですかコザル?」
後日、再びサイラスさんの部屋に集まったわたし達は、それぞれの意見を交換しあっていた。
「文字の読み書きは神殿の人で十分教えられます。必要なのは高等教育ではなく、将来手に職をつける能力を身につけさせることです。例えば、女の子には近所の主婦などに針仕事を教えさせるとか。それなら少ない給金で人を雇えます。主婦だって立派な教師になれますよ。練習用の布は布地の端切れを安く仕入れれば良いし、出来上がりが良ければ、それを売れば良い。」
「ヤマダ・・・。」
サイラスさんが目を丸くしてこちらを見ている。
(あれー?わたし何かおかしいこと言ったかな?)
お嬢様が驚いたような声で言った。
「貴方、ほんの数日でそこまで考えたの?」
「あくまで例えばの話ですよ?お金になると分かれば、神殿に来ないような子供だって勉強しに来るかなって・・・。」
がめついなりに、とことんお金に結び付けて考えてしまうのだ。
(卑しいとか言われても、お金は大事です。)
「一応、採用枠に入れましょう。」
サイラスさんが慌しく書類をまとめ始めた。
「わたしはこれからまた資料集めに取り掛かります。邪魔だから、コザルはカレンデュラ様を連れて帰りなさい。」
どうやら、わたしの意見をそれなりに良い案だと思ってくれたらしい。実行するのはサイラスさんの仕事なので、お邪魔虫のわたし達は退散することにする。
「それでは、わたし達はここで。あまり根を詰めすぎないように、時々は休憩を挟んだほうが良いですよ。頑張って下さいね、サイラス『様』。」
閉めた扉の向こうで、ガタンッと大きな音が鳴った。
山田なりに考えた教育改善策。
突っ込みどころ満載かもしれませんが、勘弁してください。
サイラスさんは『様』を付けてもらえました。
それなりに山田が認めた証拠(?)かな。




