11・ヒーロー その1
山田の昔話。
―――――それはまだ、わたしが幼かった頃のこと。
その頃のわたしはとても弱虫で、よく近所の男の子達に泣かされていた。ちょっと突けばすぐに泣くから、彼らにとっては格好の餌食だったのだろう。
えーん えーん
その日も近所の男の子に水溜りに突き飛ばされ、こかされてドロだらけになって、夕日の中を泣きながら家に帰っていた。
「オトーさん、オトーさん」
地面にしゃがみ込んで父の名を呼んで泣いた。
「どうした。また近所の悪ガキにいじめられたのか?」
そうやって呼べば、すぐにわたしのもとに駆けつけてくれた。いつだって彼は呼べばすぐに来てくれた。
父はわたしのヒーローだった。
「さあ、おぶってやるから、一緒に帰ろう」
いつも、もう歩けないと駄々をこねるわたしをその背におぶって帰ってくれた。
「お前は俺の子なのに弱っちいなぁ。俺が正しいケンカの仕方を教えてやろう。いいか、相手の目を見て、絶対にそらすんじゃないぞ。それだけで相手はビビるからな。それで―――――」
そしてわたしにケンカの方法を講義して歩くのだ。
母はそんな父に対して「女の子に何教えてるの」と眉をひそめるのだが、わたしは父が大好きだったので、そんなケンカの方法だって楽しく聞くことができた。
今のわたしが、大の男相手でもひるまず接することが出来るようになったのは、そんな父の講義を聞いていたのも理由のひとつかもしれない。
そしてわたしが5才になる頃、突然父がいなくなった。
わたしは父がいなくなったことがよく分からず、母に父はどこだと聞いてはいつも困らせた。
ある日の夕暮れのことだった。
幼稚園の近くに、近所の悪ガキでも避けて通ると評判の狂犬を飼っている家があったのだが、わたしが家路を急いでいてそこを通りかかったとき、
ガルルルッ
わたしのすぐ傍で、犬の威嚇する声が鳴った。
わたしは家路を急ぐあまり、その犬の存在をすっかり忘れていたのだ。
その犬の鎖が外れていた。
わたしを獲物として睨み付けるその犬の目がとても恐くて、わたしはまた、わたしのヒーローの名を呼んだ。
「オトーさん。助けてオトーさんっ!」
しかし、彼は現れなかった。犬がグルルっと喉を鳴らして近付いてきて、ジワジワと壁際に追い詰められていった。
「オトーさんっ!」
泣いて呼んだところで、わたしのもとには誰も現れなかった。
(もう、いないんだ・・・・・)
「ケンカは、・・・相手の目を見て、そらさない!」
犬とわたしの睨み合いは数秒だったが、わたしには長い時間に感じられた。
わたしは勇気を振り絞ってそばに落ちていた木の棒を振るいあげて、
ポカッ
その犬の頭を叩いて不意を付いて逃げ出した。
走って、走って、走って・・・いつの間にか涙は涸れていた。
その日から、わたしはもう母に父はどこだと尋ねなくなった。近所の男の子達にも、イジメられても涙ひとつ落とさなくなった。
(オトーさんはもういないんだ。わたしが強くならなくちゃ、もう誰も助けになんて来てくれないんだから)
―――――わたしのヒーローはもうどこにもいない。
※ ※ ※
昔を思い出していて大分時間が経ってしまった。気付けば、王都を照らす夕暮れの紅が色濃くなっていた。
幼い頃の父の姿を思い出して気が弱くなったのもあったかもしれない。
(呼んだら、あの人は来てくれるだろうか・・・)
いなくなったヒーローの代わりに、わたしは小さくその名を呼んだ。
「ディエルゴ・リュディガー」
呼んだところで、来るはずがないのは分かっていた。分かっていながらその名を呼んだのは、わたしが彼を頼りにしている証拠なのだろうか・・・。自分の気持ちが分からなかった。
「・・・・・来るわけないか」
当然だ。だって、自分で帰れといって先に行かせたんだから。
(あー、恥ずかしい)
一人でノリ突っ込みをしてしまって恥ずかしくなった。
(もう、帰ろう)
「呼んだか?」
立ち上がろうとしたところで、目の前にその名を呼んだ人が立っていた。
「な、ななななな何でディー団長がここにいるんですか!?みんなと一緒に帰ったはずでしょう!?」
「歩き方がぎこちなかったんで、心配になって戻ってきてみればこれだ。足が痛いなら痛いと言えばいいのに・・・」
「大丈夫です。こんなの平気です。ただ、他の人と同じスピードで歩けないだけで、ゆっくりなら自分で歩いて帰れます」
ディー団長がやれやれと首を振る。
「お前の大丈夫は大丈夫じゃないときが多いからな。それに関しては、もう信用しないことにした」
そしてディー団長はしゃがんで、幼子にするようにわたしの身体を軽々と抱き上げた。
「お、降ろしてください。自分で歩けると言ったじゃないですか」
「駄目だ。お前の歩調に合わせていたら日が暮れてしまう」
「だったら、わたしを降ろして先に帰ってください」
ディー団長は頑としてわたしを降ろしてくれはしない
「お前はもう少し他人を頼りにすることを覚えろ」
ディー団長がわたしの顔を覗き込んだ。
その言葉に涙が出そうになる。わたしは涙を見られたくなくてどこかに隠れたかったが、どこにも隠れるところがなかったので、とっさにディー団長の肩に顔をうずめた。
「ディー団長は本当にタイミングが悪いですね」
「この場合はタイミングが良いと言わないか?」
「悪いです。情けない姿は晒したくないんです」
「お前の情けない姿はもう召喚の塔で見ている」
「・・・・・」
あのときのことは言わないでほしい。
(小さい子みたいにわんわん泣いて慰められた記憶なんて、宇宙の彼方に飛ばしてしまいたいのに)
「放っておいてくれないと駄目です。強がりだろうと、大丈夫だって、こんなの平気だって言ってないと一人じゃ立っていられなくなる・・・」
わたしの性根の部分は幼い頃の弱虫のままなのだ。
一度弱音を吐いてしまうと歯止めが利かなくなってしまう。
「そんなときは寄りかかればいい」
「寄りかかる先に人がいなければ、寄りかかることはできません」
わたしは一度失ってしまった。転ぶのが分かっていて、寄りかかろうと身体を傾ける人間はいないだろう。
「・・・・・小さい頃、わたしにはヒーローがいました」
「ヒーローって何だ?」
この世界では、ヒーローという認識はないらしい。ディー団長が首を傾げるのが気配で分かった。
「困ったときに助けてくれる正義の味方のことです。わたしにとってのヒーローは父でした。父は呼べばいつもすぐに来てくれて、わたしを助けてくれました。父がいなくなってすぐの頃、犬に追いかけられて、泣いて父の名を呼びましたが、父は来てくれなかった・・・。それから、わたしは自分のことは自分で守ろうって、弱虫な自分は封印したんです」
わたしはディー団長の肩を「よっ」と押して地面に飛び降りた。靴擦れをおこした足には衝撃が強かったが、表情には出さなかった。
ディー団長が運んでくれたので、王宮までは残り半分だ。
(あとは自分の足で帰ろう)
「ここまでで結構です。あとは歩きます」
だが、わたしの身体は再びディー団長に抱えあげられた。
「だから、自分で歩けると言っ」
「呼べばいい」
一瞬、周りの全ての音が消えた。
「さっきみたいに俺の名を。お前が呼べば、いつだって駆けつけてやるから」
山田は結構なファザコン。




