6・恋とはこういうもの?
―――――恋とはこういうものなのだろうか。
桃姫に恋した男は大概、冷静さを失い、自分が何をすべきなのか忘れる傾向にある。
いつもはきちんと仕事をする人も、彼女に触れればポーっとなり我を忘れて彼女にベッタリとなって仕事を放り出すのだ。そして周囲が見えなくなって、彼らを思っての助言すら耳に入らなくなる・・・・。
(あー、うちの生徒会副会長もそうだったな・・・。)
あの人はあまりに桃姫を大事にしすぎて、周囲に敵を作る人だった。有能なのだが、その辺りは大バカだった。
同じ生徒会の仲間であるわたしに対しても敵対視してきたので、彼とは対話に対話を重ねて折り合いを付けていった。
(あの頃は、心的ストレスで大変だった。主にわたしの胃が。)
桃姫に恋する男が異常なのだと思うが、恋がこういうものなら、わたしは恋なんてしたくない―――――。
「何をっ!」
ヒューバート様がわたしの胸倉を掴んだ。今にも殴りかかってきそうだ。そのアイスブルーの瞳が冷たく燃えているようで怖かったが、わたしは冷静な目で彼を見つめ返した。
(今は普段言われ慣れない侮辱を受けた、と腹が立っているだけ。)
わたしは自分に言い聞かせる。
(きっと大丈夫。冷静になって思い返せば、ダリルさんにどれ程失礼な態度を取ったか理解できるはず。それならコブシの一発くらい我慢してやるか。)
そう思って目を閉じ、歯を食いしばった。
わたしは経験上、桃姫に恋に落ちた『行きすぎた人』を『少々行きすぎた人』に戻すのは骨が折れると知っている。
(あっちの世界では女だったから殴られるまでは行かなかったんだけど・・・でも、本当に殴ってきたら後で思いっきり報復してやる!手始めに桃姫に言いつけてやろう。)
しかし、いつまで待ってもコブシは振ってこなかった。
恐る恐る目を開けると、わたしを殴ろうとしたヒューバート様の手をディー団長が押さえていた。
「あれ、ディー団長?桃姫はどうしたんですか」
「先ほどの老人に謝罪しに行っている」
ディー団長はヒューバート様を睨み付けたまま視線を離さない。
桃姫の姿を探すと、彼女はパンとシチューを持ってダリルさんのそばに近づいてペコペコと頭を下げていた。
ダリルさんはその配給を受け取って、周囲の人も誘って共に食事を始めたようだ。
笑顔で談笑し始める彼女達の姿に安心する。
「お前達も謝罪しに行ってきたらどうだ?」
ふんっとヒューバート様がわたしを掴んだ手を解いた。
「桃姫が謝罪したというなら、私が謝らないわけにはいきませんね」
ヒューバート様とサイラスさんは共に桃姫の方に歩いて行った。
見ていると、態度は偉そうだがそれなりに謝っているようだ。ダリル爺さんがふざけてサイラスさんの手を取ってスリスリしている。
(あのエロ爺は男でも良いのか。見境ないなぁ)
サイラスさんが髪を逆立ててダリル爺さんから距離を取った。それを見て、またみんなが笑っていた。
「まったく、お前はちょっと目を離すとこれだ」
「あはは。ディー団長がいて助かりました。危うく殴られるところでした。ありがとうございます」
ディー団長にお礼を言う。
「いや、こちらこそ、お前が居てくれて良かった。危うく暴動に発展するところだった」
「暴動は大げさですよ。わたしが止めなくても、桃姫が止めてとお願いしたら止まってましたよ」
「それでも禍根は残ったはずだ。笑って水に流すことはできなかっただろう」
わたしは照れてポリポリと頬をかいた。
「わたしは文句を言っただけですよ。それより凄いのは桃姫です。自分が嫌なことをされたのに、自分から謝りに行っている」
ほら、と桃姫がいる方を指す。
「見てください。みんなが桃姫を囲んで嬉しそうに笑ってる。わたしでは、あんな風に人々を惹きつけることはできませんから。良かったですね。桃姫がああして謝ってくれたおかげで、丸く収まって」
桃姫の周りを人々が笑って囲んでいた。可愛らしいお姫様とそれを囲んで食事をする民衆という牧歌的な絵のような平和な景色に見えた。
一時はどうなることかと思った。桃姫が大人しく謝ってくれて良かった。あれできゃあきゃあ騒がれたら、目も当てられない惨事になるところだ。
桃姫に恋に落ちた男は本当に扱いに困る。頼むから面倒だけは起こさないで欲しい。後処理は気力と労力を使うのだ。
わたしはやれやれ、と胃を押さえて息を吐いた。
「でも、一発くらい覚悟はしてたんですが、殴られなくて良かったです。わたしだって痛いのは嫌ですから」
「本当に殴られてやるつもりだったのか?」
「はい。殴ってスッキリすればそれでもいいかなって。一発殴れば怒りも収まるだろうし。それに2発目はさすがに誰かが止めに入るでしょう?」
「・・・・・。」
それにしばしの沈黙を経て、ディー団長が言った。
「お前って・・・・・。大人しい見た目の割りに、誰よりも男らしいよな」
(それって、褒め言葉ですか?)
そんなわたし達にさっきから遠巻きにこちらを見ていた人達が近づいてきた。
炊き出しに当たっていた女性の神官が
「ありがとうございます。私達ではサイラス様達を止めることはできませんでした」
とお礼を述べ、
自警団の人達が
「お前って度胸があるのな」
「お偉いさん相手にあんな風に堂々とできるなんて、大の男だって無理だ」
「お疲れさん」
と笑って肩を叩いてきた。
それからフェイトが走ってきて
「お前、俺が売った喧嘩を止めたくせに、続けて自分が喧嘩売ってどうするんだよ。あげくに殴られそうになって、心配させんなバカ」
と抱きついてきた。
「男同士で何やってる」
とすぐさまディー団長が引き剥がして、両者の睨み合いが始まる。
わたしの周りにも人は集まるらしい。
ただし、桃姫のようにほがらかなものではないが。これはこれで、結構わたしらしくて良いのではないだろうか。
わたしは苦笑して、睨み合いを続けるディー団長とフェイトを止めに入った。
※ ※ ※
[ディー団長視点]
桃姫の周りには笑顔が満ちていた。
ヤマダはその様子を見て安心したように穏やかに笑っている。
だが、今ヒューバートとサイラスが人々の輪に受け入れられている状況を作ったのは桃姫ではない。
ヤマダが機転を利かせて流れを変えていなかったら、こうはならなかった。
あの二人にはもっと自覚を持って欲しい。
炊き出しという救いの場を設けてはいるが、貧しい者や仕事がない者がいるという状況の改善がなされていないことに変わりはない。その状況を作った国の中枢に位置する者が民を「汚らわしい」と言って『王の盾』を保護した。
それがどれほど民衆の怒りをかうことになるのか。
「貴方達が汚いと言ったその手は、貴方達が手を差し伸べるべき者の手ですよ」
そう言ったヤマダの方が、よほど国のことを考えているではないか。
ヤマダは桃姫のように人を惹きつけることはできないと言うが、それは違う。
その内面を知った者は自然とヤマダの周囲に集まる。
騎士団の面々も弟のように可愛がるようになった。
能天気そうで腹の内の読めないガーランドも、からかいはするが彼なりに可愛がっている。
生意気なフェイトという子供も随分ヤマダに懐いているようだ。
今も女性神官がお礼を言いに来たり、自警団の男達が笑ってヤマダの肩を叩いたりして、ヤマダの存在を歓迎している。
自分もヤマダの内面に惹かれて集まる者の一人として嬉しく思う。
(だが、それとこれとは別問題だ)
「男同士で何やってる」
そう言ってヤマダに飛びつくフェイトという子供を引き剥がしに行った。
ヤマダが男らしすぎる・・・。
多分、色々と男前№1はヤマダ。




