11・月明かりの中、心、涙
召喚の部屋で山田は何を想うのか。
いつの間にか眠っていたようだ。
目を開けると、日の光が差し込んで明るかった部屋は、今は月明かりが冷たく差し込んで薄暗くなっていた。
カタン
扉の音が小さく鳴り、振り返るとそこにはディー団長が立っていた。
「ディー団長、どうしてここに!?」
「『花降り』のとき、下を見たらお前が走ってどこかに行くのが見えて追ってきた」
(見えたって、あの群集の中でよく分かったなこの人。)
「ずっとここにいたんですか?『花降り』の後は、確か舞踏会があったはず」
「抜けてきた。あっちにはガーランドがいるし、大丈夫だろ」
ディー団長はしれっと仕事をサボったと言ってくれた。
「大丈夫って、・・・駄目ですよ、仕事をサボったら」
「お前が泣いてるのに放っておけなかった」
「泣いてなんかいないです」
実際にわたしの目は乾いている。泣こうと思っても泣けなかったのだ。
「俺には泣いているように見えた」
その言葉に目頭が熱くなる。
(さっき涙は見せたくないと思ったばかりなのに・・・)
「一人前の男は涙を見せないものなんです」
「一人前の男だって泣くときはある。それに、その格好の何処が一人前の男だ」
わたしは王宮に帰ってきてそのまま『花降り』を見に行ったので、女の格好をしたままだった。これでは確かに一人前の男には見えないだろう。
「こ、こういう時は見て見ぬふりをするのがスマートなんですよ」
「悪かったな。スマートじゃなくて」
(どうしよう。もう涙が落ちてしまう)
そう思って瞬きをしたら、涙が一滴床に落ちた。それからはもう止められなかった。後から後から涙が床にこぼれていく。
ディー団長が近づいてきて、床に膝を突いてしゃがんでわたしの肩に手を置いた。わたしはディー団長の顔が見れず、そのつま先に視線を落とした。
「・・・・・還りたいんです。元の世界に。わたしの家に帰りたい」
わたしはそう言葉を始めた。
「ずっとそう思っていたから、この世界の人達にどこかで一線を引いていました。でも、少しずつみんなの笑顔に触れていくうちに、好きになっていく自分もいて・・・・・」
孤児院の子供達、洗濯場のオバちゃん達、騎士の人達、師匠、この世界を否定することから始めたわたしにたくさんの笑顔をくれた人々の顔が頭に浮かんだ。
この人もわたしに笑顔をくれた人のうちの一人だ。
わたしは顔を上げて、ディー団長の目を見た。そのきれいな薄茶色の瞳の中に、哀しそうに涙するわたしの姿が映った。
(本当に涙するつもりはなかったのに・・・・タイミングが悪いなぁ)
「ディエルゴ・リュディガー」
かすれた声でその名前を呼ぶ。
ディー団長が驚いたような顔をし、わたしの肩に触れた手がピクッと動いた。
ふふっと乾いた笑いが漏れる。
「驚きました?いつの間にか、貴方の名前だって言えるようになったんですよ。・・・それくらいわたしはこの世界に馴染んでしまった」
これ以上はディー団長の目を見ていられず、再び床の上に視線を落とした。
「ごめんなさい。名前が言えるようになったこと黙っていて」
わたしは許しを請うように、ディー団長の胸に頭を傾け、肩に置かれたディー団長の手に自分の手を重ねた。
「すみません。貴方の名前を呼びたくないわけじゃないんです。言葉の発音だったり、文字の読み書きだったり、ひとつひとつ何かが出来るようになる度、元の世界が遠ざかっていく気がするんです。だから・・・・・だから、まだ貴方の名前を呼べない」
「・・・・・まだ『ディー団長』と呼ぶのを許して下さい」
それはとても、とても小さな声だった。
けれど、その聞こえるか聞こえないか分からないくらい小さな声をディー団長は拾い上げてくれた。
「分かった。お前が呼べるようになるまで気長に待つことにする」
ディー団長はその大きな手で重ねたわたしの手を握り返してくれた。
その言葉にわたしの涙腺はもっとゆるくなって、静かな涙は嗚咽に変わって溢れていく。わたしは繋いだ手を離して、ディー団長の腰に腕を回してひときしり泣いた。
そんなわたしの背中をディー団長は泣き止むまでずっとさすってくれた。
さっきまで冷たく感じていた月明かりが、暖かさをもって降り注いでいるように感じられた。
※ ※ ※
わたしとディー団長は手をつないで塔のらせん階段を降りていった。
下まで降りて扉を出るとき、わたしはディー団長にお礼を言った。
「ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です」
「目が赤くなっている。帰ったらよく冷やせよ」
ディー団長はそう言ってわたしの瞼を優しく触った。
「はい。・・・・・あの、ディー団長。まるで本当の父に慰められたようで嬉しかったです。ありがとうございました」
「ち・・・父」
ディー団長の手がピシッと止まった。
(あれ?わたし何か間違った!?)
ディー団長の年齢を思い出す。
「あっ、ディー団長は19才でわたしと年齢が近かったですね。失礼しました。父ではなく兄の方が正しかったですね」
「そ、そうだな・・・兄でいい。大事な弟分のお前が無事で良かったよ」
そんなに父と呼ばれたことがショックだったのか、ディー団長は心なしか憮然とした口調で返してくれた。
帰りは師匠の家まで送ってもらい、「傷の手当はきちんとすること」と頭を撫でて去っていくディー団長の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
わたしの胸がひとつ鼓動を打った。
けれど今はまだ、この胸の高鳴りの意味を考えたくはなかった。
腕に傷を負って帰ってきたわたしを師匠は「お疲れ」と言って迎えてくれた。
いつも通りの変わらない師匠の姿に安心し、腕の治療をしてもらったわたしは、ベッドに潜り込んで翌日の昼近くまでドロのように眠った。
※ ※ ※
翌日、事情聴取を受けたわたしは事の顛末をディー団長に聞いた。
男の名はアルベルト・チューバー伯爵といい、以前から人身売買の取引をしていると噂が立つような人物だったらしい。
捕まった後は、呆けたような顔をして「あの二人は人身売買の競売にかけるつもりで攫った。」と証言したという。それが、わたしとフェイトが二人で考えたシナリオの通りだったのかどうかは、確認はとれなかった。
結果的に、わたしに『王の盾』の力があることを知ったのがフェイトのみで終わったのは良かったと思う。チューバー伯爵は我が身可愛さで話さないだろうし、フェイトも口が固いので、これ以上他の人間に知られることはないだろう。
チューバー伯爵家からは、人身売買に関する大量の資料が発見されたらしい。それに伴って、数人の有力貴族と商人が逮捕されることになるそうだ。
「罪が罪だからな。チューバー伯爵は領地と爵位剥奪はもちろん、数年の禁固刑か国外追放は免れないだろう。しばらくはこの件で騎士団を動かすことになりそうだ」
とディー団長が言っていた。
騎士団の忙しさもあり、早朝訓練は1週間中止ということになった。わたしも腕の傷にまだ痛みがあるので、その間はしっかり休養ができるだろう。
これが今回の『花祭り』に関する誘拐事件の事の顛末となった。
弱音を吐いてしまう山田。
誘拐事件はここで終了。
『花祭り編』もう少し続きます。




