3B-2話 シャンティ・ラヴレスの授業
アム・マインツの街の宿屋、オウル亭には、宿泊客用に8室の部屋がある。
シャンティ・ラヴレスは、そのうちの1室を長期で借りている冒険者だった。
「……ほら、ここの足し算、また間違えてるわよ」
「あ、ほんとだ……」
月曜日の夕方。
シャンティは食堂の隅で、宿屋の娘、ネリー・オウルに勉強を教えていた。
宿屋を甲斐甲斐しく手伝う2人の娘を好む者は少なくない。
時折、冒険の合間を見ては、宿が忙しくない時にこうやって、両親の代わりに面倒を見たりしている。
少し前まではこの役目は主に『ジョブ無しの少女』メルティが多くを請けもっていたが、最近は彼女も忙しくなり、その分シャンティが面倒を見る事が多くなった。
メルティは文字を教えるのが得意のようだが、シャンティは計算を教えるのが得意だった。そのほか、隣の地区で活動していた経験から、地理を教えるのも得意だ。
シャンティは、隣の第8地区を拠点として活動していた冒険者だった。
シャンティは向こうで、僧侶の男と、魔物使いの男と共に、パーティーを組んでいた。
しかし、そんな3人に転機が訪れる。
魔物使いの男、サンドが、火事で死亡してしまったのだ。
深夜の事だった。
彼が飼う、使い魔達の魔物厩舎から、突然火の手が上がった。
サンドはそのまま帰らぬ人となった。彼の使い魔数匹と共に。
サンドがテイムした魔物達のおかげでそれなりの成績を収めていた3人だったが、リーダーの死亡により、解散する事となる。
その後、残された2人は、第8地区から、ここ第7地区へと拠点を移すこととなる。
『大切に思っていた人』を亡くして失意の彼女に、相棒が声をかけてくれた。
彼女はそれを受け入れた。そしてこの街へと移った。
思い出の残る第8地区の地から、逃げ出すかのように。
向こうには、たくさんの辛い思い出があり過ぎた……。
シャンティがこの街に移った後。
相棒は希少な僧侶という事もあって、仕事には困らなかった。
他の冒険者パーティの臨時参加や治癒所での治療補助などで、それなりに稼ぐ事が出来た。
しかし、シャンティはクエストの仕事はしていない。
魔法使いには稀にある事だった。何らかのショックで魔法が使えなくなることが。
火力の高い攻撃魔法が使えなくなった今の状態で、前線に赴くことは出来ない。
シャンティは、この街でずっとブラブラしている。
冒険者ギルドのクエストは受けず、ギルドには上がらない規模の個人依頼や簡単な雑用で日銭を稼いでいた。
その規模の依頼は毎日あるわけでもなく、報酬もほんのお気持ち程度。
だが、貯金はそれなりに残っているので、この安宿で節約して生活する分には困らない。
シャンティは暇をつぶすため、宿の娘のネリーに勉強を教えるようになった。
勉強を教えると、宿のおかみさんはお礼に宿代をオマケしようと申し出てくれる。
無収入な事が多いシャンティにはありがたい事だったが、シャンティはそれを固辞して、正規の宿代を払い続けている。
「シャンティさん、ありがとうございました!」
今日の授業も終わる。
ネリーはお礼を述べ、夕方の食堂の手伝いに戻る。
シャンティは思う。
まだあんな子供なのに、学校へも行かず、宿の手伝いをしなければならないなんて……と。
他所を見てきたシャンティには、この街はこう映る。
識字率が極端に低い、教育の遅れた街、と……。
アム・マインツは、鉱山で発展した街。
一部の上流階級と商人を除けば、そこに住まう人は、鉱山従事者が多い。
他の場所で職にあぶれた平民が、一獲千金のため、この街に集まる。
言い換えれば、教育を碌に受けていない、普通の職に就けなかった『あぶれ者』達が。
あぶれ者は、自分の生活を豊かにするため、あるいは自分の家族を養うため、無学でも一獲千金を狙える鉱山の仕事に従事する。
しかし、鉱山夫の仕事は、辛く、劣悪な環境。
空気は悪く、水は濁り、健康を蝕む。
落盤事故などの危険とも常に隣り合わせ。
長生きする者は少ない。
ある者は、鉱山夫を止め、こちらも一獲千金を狙える『冒険者業』を目指す者もいる。
しかし、冒険者業もやはり危険職。魔物と戦い、時には命を落とす。
家族のために危険な鉱山業や冒険者業に従事する若者が、その危険性のために帰らぬ人となる。
稼ぎ頭を失った遺族は生活に困窮する。
それから抜け出すため、やはり危険職に従事する。
そしてまた命を落とし…………。
抜け出すことのできない、負のループ。
この街の大勢を占める『あぶれ者』達の多くは、この連鎖の中から抜け出せずにいる……。
負の連鎖は、何も鉱山夫や冒険者に限った話ではない。
それを支える、その他の街の住人にも同じことが言える。
この宿など、その典型例だ。
王都や第8地区なら当然、学校に行く年齢のはずのネリーが、勉学に励むことが出来ず、こうして家業の手伝いを強いられている。
その下の妹のザジだって同じだ。
まだ興味本位で『おてつだい』しているだけだろうが、恐らくは姉と同じ道を進まざるを得ないだろう。
だが、シャンティはそれを指摘しない。
したとてどうにもならないからだ。
ネリーを学校に行かせるべきだと主張したとしても、この宿がそれですぐに裕福になるわけでは無い。
さほど大きくもない宿屋と食堂を、従業員も増やせず家族経営で乗り切っている状況だ。
この貧困状況を指摘したとて、どうにもならない事は分かり切っている。
だからせめて、時々こうやって、ネリーに勉強を教えている。
このくらいしか、出来る事は無いだろう。
あえて希望を挙げるなら、この街の領主は、子供の貧困問題の改善に取り組む意思がある、という事だろうか。
数年前、若い領主が就任した際、街のストリートチルドレンのために孤児院を建設する政策を行っていたそうだ。
両親を事故で失った子供は、この街には少なくない。領主は、その子供の住環境を改善しようとした。
まあ、孤児院を立てただけで手一杯で、その後の恒久的な支援は滞っているようだが。
衣食住と教育のうち、まだほんの1つを僅かに改善させただけに過ぎない。
それでも、何もしない前任者よりは遥かにマシではあるのだが。
街は、僅かずつではあるが、改善されようとしている……。
シャンティは外に出て、街の雑踏を見ながら思う。
ひょっとしたら、このまま冒険者を辞め、街の子供たちに教育を教える『先生』を目指す道もあるのではないのかと。
学校に通えない子供を集めて、青空教室なんかを開いて。
相棒には申し訳ないが、彼は僧侶だ。どこへ行っても引く手余多。きっと上手くやっていける。
相棒と別れ、自分はこの街で先生として……。
……そこまで考え、シャンティは想像をかき消すように首を振る。
私にそんなことが出来るはずもない、と。
表通りは、たくさんの人がそれぞれの方向に歩いている。
途中、知り合いの冒険者がシャンティの前を通った。
Cクラスのルーナチームだ。
今日の冒険を終え、帰路に付いている途中のようだ。
シャンティは会釈だけして、彼女たちを見送る。
ルーナのクラスは『プリンセス』だという。あまり聞いたことが無い職業だ。レア職なのだろう。
服装は煌びやかだが、あれで冒険に出るのだ。それなりに汚れて帰る。
だが、翌日には綺麗な服装に戻っている。
実家は裏通りの洗浄屋のうちのひとつだそうだ。やんごとなき出身のように見えて、彼女もまた庶民の一人だ。
服飾業もまた、この街を支える大事な業種のひとつ。
実際、ゴールドラッシュで成功したのは、鉱山業よりも、その鉱山夫の服を製作し清掃する服飾業だと言われている。
彼女にも彼女の物語がある。
シャンティは思う。
いつか、それを聞いてみるのも一興かと。
「あ、シャンティおねーさん!」
通りの向こうからザジが帰ってくる。他数名の子供も一緒だ。一緒に公園で遊んでいたようだ。
ザジを見かけたシャンティは、声をかける。
「ザジちゃんおかえり。今日は楽しかった?」
シャンティがそう聞くと、ザジはまだ遊び足りないようなそぶりを見せた。
「じゃあ、一緒に遊ぼっか!」
「え、いいの!?」
シャンティは、ザジと一緒に遊ぶ。
まだ世間の辛さを知らぬ、4歳くらいの女の子。
シャンティは思う。
自分の娘も、生きていたらこれくらいになっていたのだろうか……。
この街の住人は、今を生きている。
街の暗部に気づかぬままに。
自分もまた、今を生きている。
街の暗部を見て見ぬふりをしながら……。




