10 三人の約束
六時間後――
空がオレンジ色に染まる頃、船が『アネモネ』島へ到着した。
「う〜ん。やっぱりこの島の空気は落ち着くな」
船から降りたレオナルドが大きく伸びをした。
「ああ、全くだ。やっぱり都会の空気は俺には似合わないよ」
シオンさんが同意する。
「だが、お前の故郷だって大都会じゃないか?」
「え? シオンさんは『アネモネ』島の人では無かったのですか?」
レオナルドの意外な言葉に私はシオンさんを見上げた。
「あれ? そう言えば言ってなかったっけ。俺の出身は『グロース』なんだ」
「『グロース』……? あの大都市のですか?」
『グロース』と言えば、世界でも有数の大都市で『リーフ』の比較にもならない。確か、まだ目新しい路面汽車も走っている都市だ。
「あの都市は自然が少なくてね……植物の研究をするには不向きなんだ。それにこの島は珍しい植物に溢れているし、何よりここが好きなんだ。町の景観も、美しい海も」
「はい、私もこの島全てが好きです」
「だからシオンは長期休暇でも実家に戻るどころか、大学にこもりっきりなんだよな」
レオナルドが笑いながらシオンさんに話しかける。
「まあね。……何しろ、あの場所では自由が無いから」
自由が無い……? 一体どういう意味だろう?
「それじゃ、俺はそろそろ行くよ。大学に戻って花の様子を見ておきたいから」
「え? 今からまた大学に行くのですか?」
「ああ。実は今貴重な花を育てていてね。月下美人を育てているんだ。もうそろそろ咲くかもしれなくてね」
「え? 月下美人ですか? あの年に一度くらいしか咲かないと言われている? それも夜に数時間しか咲かない花なんですよね?」
私はまだ月下美人をこの目で見たことは無かった。
「月下美人か……名前くらいなら聞いたことがある。流石ふたりとも、植物に詳しいんだな」
レオナルドが感心したように頷く。
「月下美人は花を咲かせる時、それはとても素敵な香りを放つんだ。大きな白い花をゆっくり開かせる様は神秘的だよ」
シオンさんの言葉に、私も月下美人が見たくなった。けれど、夜にしか咲かない花を見に行きたいとは言い出しにくい。
すると…‥‥
「シオン、俺もその花が咲くところを見てみたい。今夜咲くかもしれないんだろう? レティシアも見たがっているようだし。見せて貰えないだろうか?」
「レオナルド様?」
「‥…確かに貴重な開花を皆で見るのも良いかもしれないな……そうだ、月下美人は鉢植えで育てているんだ。今夜鉢を持ってグレンジャー家に行こうか?」
「本当ですか? シオンさん」
シオンさんの提案に思わず笑みが浮かぶ。グレンジャー家に月下美人を持って来てくれれば祖父母も開花する場面を一緒に見ることが出来る。
グレンジャー家に戻れば残酷な事実を二人に告げなくてはならない。せめて月下美人の咲く姿を見ることで、少しでも祖父母の心を慰めることが出来れば……
「それはいい考えだな。シオン。もし本当に今夜咲きそうなら連絡を貰えるか?」
レオナルドもどこか嬉しそうだった。
「ああ、分かった。それじゃ俺は行くよ」
シオンさんが帰ろうとしたので、私は声をかけた。
「シオンさん。本当にありがとうございました。あのしおりの件も」
「うん。良かったら使って。また後で」
今度こそシオンさんは背中を向け、歩き去って行くとレオナルドが話しかけてくる。
「俺達も行こうか? 今夜はグレンジャー家に泊まるだろう? 何しろ……大事な話があるしな」
「はい、分かりました」
私はレオナルドの言葉に頷いた—―
****
ガラガラと走る馬車の中、向かい側に座るレオナルドが尋ねてきた。
「そう言えばシオンからしおりを貰ったのか?」
「はい、これです」
下げていたショルダーバッグからしおりを取り出すと、レオナルドに差し出した。
「へ~……押し花のしおりか」
「この押し花はカルディナ家の花壇に咲いていたカスミソウから作ったらしいのです。あの屋敷に住んでいたとき、この花のお世話をしていたんです」
少しだけ父のことを思い出し、胸がチクリと痛んだ。
「そうか、思い出の品だな。‥‥‥シオンの奴、やるじゃないか」
「レオナルド様?」
首を傾げると、レオナルドがしおりを返してきた。
「彼はいい奴だ。今後、俺にも言いにくい悩みや相談事があればシオンを頼ってみるのもいいんじゃないか?」
もしかするとレオナルドは私が父にわだかまりを残していることに気付いており、あえてシオンさんの名前を出したのかもしれない。
「はい、そうさせて頂きますね」
レオナルドの心遣いに感謝しながら、頷いた—―




