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love it  作者: 滝沢美月
2便
8/78

恋が実るための秘密のレシピはあるのかな? 3



 江坂さんが一週間もすれば慣れると言っていたYシャツのプレス機と立体アイロンは三日目でなんとなくコツを掴んできた。

 作業をしていると、背中の裾は真下に引っ張ったほうがいいよとか、半がわきになったときは霧吹きをして湿らせるといいよとか、いろんな人がアドバイスをくれるし、自分なりにもこうすれば皺がなくなりやすいというのを見つけてなんとか上手に仕上げられるようになってきた。もちろん、皺が残ってしまうこともあって、そういう時は近くで作業しているアイロンの人にお願いをした。立ち位置的に梅田さんか紅林さんにお願いすることが多いんだけど。

 その日も、隣のアイロン台には誰もいなくて、向かいのアイロン台で紅林さんが作業をしていたから、そおっと近づいて声をかけた。


「すみません紅林さん、ここなんですけど……」


 紅林さんの作業を中断させてしまうのが分かっているから申し訳なくて声が小さくなってしまう。


「ん、脇? いいよ」

「すみません、お願いします」


 シュポーっとアイロンの蒸気を立たせて、さっさっと慣れた手つきでアイロンをかける紅林さんの後姿をつい見つめてしまう。

 うん、やっぱりカッコいいんだよね。

 見た目はいうまでもないけど、アイロンをかけてる時の真剣な眼差し、長い睫毛の影が落ち、端正なその美貌がぞくっとするほど素敵だった。

 つい見とれていたら、振り返った紅林さんと視線があった。

 紅林さんはじぃーっと私を見てから、ふっと口元に優しい笑みを浮かべた。


「俺の顔に何かついてる?」

「えっ、いえ……」

「そう? はい、これでいいかな?」


 言いながらYシャツを渡されて、お願いした皺が綺麗になくなっていることを確認して頷く。


「はいっ、ありがとうございます」


 いけないいけない、あんまり紅林さんがカッコイイからってみとれてしまった。あまりに見すぎてしまったのだろうか、もしかして、見ていたことに気づかれたかな……


「宇佐美さん」


 内心ひやひやしていた時に名前を呼ばれて、心臓が飛び出しそうなくらいびっくりしてしまう。


「はっ、はいっ!?」


 声がひっくりかえってびくっと肩を震わせて答えた私を見て、紅林さんが困ったように苦笑する。


「このくらいの皺なら、隣のアイロン台が空いているから使って直していいよ」


 そう言われて、一瞬、きょとんとしてしまう。言われた意味を理解するまで時間がかかる。

 ええっと……

 呆然としている私の前を横切り、プレス機の隣の今日は誰も使っていないアイロン台へと移動するから、私も慌てて後ろを追いかける。

 三階にはアイロン台が五つ置かれているが、その日によって、交互に担当のアイロン台を代わるらしく、人が少ない日などはアイロン台が空いていることもある。


「ほら、ここを踏むとバキュームが動いて、アイロンはこう」


 簡単な説明だったけど理解はできたので、私は頷いて見せる。

 学生時代に、これと同じようなスチームアイロンを使ったことがあるから、使い方は分かる。でも。


「いいんですか? 自分で直して」

「大丈夫だよ、スチームアイロンだから焦げたりしないから」


 聞きたいのはそういうことじゃないんだけどな……

 上手く言葉に出来なくてぎゅっと唇を噛みしめて俯いたら。


「宇佐美さんなら大丈夫だよ」


 その声があまりに甘やかで、眩暈がしそうなほど艶やかで。

 その時、俯いてて良かったと、心底思ってしまった。だって、絶対、破壊力抜群の美麗な笑みを浮かべているような気がするから。そんなのを間近で見てしまったら……、心臓が持ちそうにないっ。

 私は俯いたままこくこく頷くことしかできなかった。

 その後作業を続け何十枚かYシャツを立体アイロンにかけた時、また微妙に皺が残ってしまった。

 最近はだいぶコツを掴んで、一日に数百枚ってYシャツをやる中で皺が残ってしまうのは数枚だった。

 私はちらっと視線を向かいのアイロン台の紅林さんの背中に向ける。

 これくらいの皺なら自分で直せそうだけど……

 さっき、いいって言ったよね? 自分で直していいって言ったよね??

 いちいち直してって声かけられるのが嫌だから自分でやってって言ったかんじでもなかったし……

 そう思うものの、やっぱりちょっと心配になってしまう。

 クリーニング工場で働き始めて一ヵ月半。

 はじめて握るアイロンに緊張してしまう。

 恐る恐るプレス機の隣のアイロン台に近づいた私はバキュームを始動させ、ふわっとYシャツを広げてまず手で皺がないように広げる。それから右手でアイロンを握り、蒸気を噴き出しながら目立つ皺を消すようにアイロンをすべらせた。

 シューシューっとアイロンからでる蒸気の音が耳にくすぐったい。

 就活中は忙しさにまぎれて課題以外になにか作ったりすることもなく、就活から戦線離脱してからはあまりの精神的ダメージからなにかを作りたいって気持ちもわかず、ここのバイトが決まってからは、バイトに慣れることと中須賀さんの威圧的な態度に胃がキリキリして、家と工場との往復で精一杯だった。四階から三階に移動になり、無事に大学も卒業して、久しぶりに握ったアイロンに、なんだか創作意欲をかきたてられる。

 そういえば最近、ぜんぜんミシンも使ってなかったものなぁ……

 通勤用のバックとか欲しいかも~

 底の部分は黒のチャックで、上部は違う布に切り替えて――

 なんて、頭の中で構想を膨らませていたら、ふいに背後で気配を感じて顔を上げると、紅林さんが真横に立ってじぃーっとこっちを見ていた。

 その視線は、いつもの穏やかな視線ではなく、一つも見逃さずすべてのことをとらえようとしているような鋭い眼差しだったから、ビックリしてしまう。

 つい、久しぶりのアイロンの感触にトリップしてしまっていたけど、やっぱり勝手にアイロン使っちゃダメだったとか!? へたくそっとか怒られたりするのかなっ!?

 猛スピードで頭の中でこの後の状況がシュミレーションされて、だらだら冷や汗が溢れてくる。

 いやぁーっ!!!!

 悪い顛末しか思い浮かばないんですけどぉ――!!??

 内心びくびくしながらも、震えそうになる手を必死に押さえて、Yシャツのアイロンがけを終わらせて、アイロンを元に戻す。それから皺にならないようにYシャツの肩のあたりを掴んでハンガーにかけた。

 その一連の動作を、相変わらず獲物を狙う獣のような鋭い眼差しで紅林さんが見ているから、蛇に睨まれた蛙。鷹に狙われた兎な気分で。

 兎の天敵っていったら狐だけど、紅林さんなら鷹っぽいよね。ってか、そうじゃなくてっ!!

 なんでこんなに見られてるんだろう……!?

 いますぐ逃げ出したい衝動を押しとどめ、不安な気持ちのまま、そそくさと紅林さんの前を通り過ぎ、Yシャツを包装へと続くパイプハンガーにひっかけた。




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