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love it  作者: 滝沢美月
最終便
77/78

ラストはハッピーエンドで 2



 さすがに平日のこの時間に水族館にはお客はほとんどいず、人もまばらな水族館の中をゆっくり歩いていく。


「すみません、他のところにすればよかったですね」

「そんなことないよ、一時間でもたっぷり見て回れるし、水族館なんて何年振りだろう」


 少年みたいに瞳を輝かせて言う工場長がなんだか可愛くて笑ってしまう。


「私も水族館すごい久しぶりです」


 薄暗がりの通路を進みながら、他愛もない会話をする。

 小学校では何係だったとか、得意な科目、中学での部活、好きな色、高校の時はまったもの、将来の夢、エトセトラ……


「宇佐美さんとこんなに話したのはじめてだね」


 水族館を閉園まで堪能して、水族館と同じショッピングモールの展望台で夜景をバックに手すりに寄りかかりながら工場長が笑う。


「だって工場長、私のプライベートには興味ないって言ったじゃないですか」

「あれは……」


 根に持っているわけじゃないけど、当てつけっぽくふてくされて言ったら、困ったように工場長が苦笑する。


「嘘だよ、すっごく気になってた、宇佐美さんのプライベート」


 そう言いながら、そっと私の手を握る。その仕草で、二人の距離が肩も触れあう距離に近づいてドギマギする。

 間近で見る工場長の顔はやっぱり壮絶に整っている。長い睫毛で縁どられた瞳は星空を映したような漆黒。筋の通った鼻、形の良い唇には甘い微笑みを浮かべていて。つい見とれてしまった。


「どんな男が好みだとか、彼氏はいるのかとか、その服のチョイスはどうなのかとか」


 ドキドキしていたのに、かくんって肩を落とす。


「最後のって、普通に仕事中によく話してませんでしたか……?」


 睨みあげて、しばし二人の視線が交わる。

 次の瞬間、どちらからともなく、ふっと顔を見合わせて笑っていた。

 なんだか工場長とはいつもこんな会話を繰り返しているなと思い、そういう会話をすることができるようになって嬉しい。


「こんなこというとかっこ悪いから言いたくないけど、カミングアウトするよ」


 改まって工場長が言うから、なんだろうと首を傾げる。


「誰かと付き合うのって、初めて」

「ええ~、工場長がいままで誰とも付き合ったことがないなんて信じられな~い、こんなにイケメンなのに!?」


 まさかのカミングアウトに本気で驚いたら、工場長が視線をそらした。その耳が赤いことに気づいて工場長が照れているのが分かる。

 言い訳っぽく、工場長がぼそぼそっと弁明した。


「そういうことに興味なかったから。あと、だいたい柚希と一緒にいることが多かったからかな」


 その理由に、「ああ、なるほど」って納得してしまう。

 確かに、いまはすっかり男装姿に戻ってしまったけど、そこら辺の女性よりも綺麗な柚希さんと一緒にいたら、工場長に声かけたい女子も尻込みしてしまうだろう。まして、柚希さんが男だとは思いもよらないだろうし?


「もちろんデートも初めてだよ」

「そうなんですかぁ~」

「なんかその言い方、気に食わないな」

「ええ、そんなっ」

「宇佐美さんはデートなんて何度もしたことある、とか?」

「それって嫌味ですか? 私は中高大って十年間女子校だったんですよ? これが初デートです。そんでもって工場長が初恋の人ですよっ!」


 馬鹿にされているみたいな言い方につい意気込んで言ってしまって、言った後になってなんて大胆なことを言ってしまったのかとかぁーっと顔が赤くなる。

 自分でも分かるくらい顔が真っ赤で、隠すように手で頬を挟んで横を向いたのに。


「それでもって、初カレ?」


 なんて聞かれて、恥ずかしかったけど、頷くしかなかった。

 真っ赤になっている私を見て工場長はいつものちょっと意地悪な顔で微笑んで、大きな手で私の頭をくしゃくしゃっと撫でる。

 やっぱり子ども扱いだ……


「でも女子大だったら合コンとかお誘いがあるんじゃない? 機会がまったくなかったわけじゃないでしょう?」

「ゼロですよっ、合コン誘われたことも行ったこともないです」

「はは、そうなの? 女子って合コン好きってイメージがあるけど?」

「それは男子だって同じじゃないですか?」

「そうかな? じゃあ、理想のデートとかあるの? 初めて付き合った人とはこういうところに行ってみたいとか」

「ありますよ」

「へぇ~」


 物珍しげに瞳を細めてみる工場長に、理想のデートを教えてあげる。


「水族館デートでしょ、ドライブデートでしょ、夜景デート……」


 指折り数えて言いながら、あれっと首を傾げる。

 今日って、工場長の車で移動して、水族館に行って、いまは展望台で夜景を見ている……


「今日一日で全部やっちゃった……」


 その事実に気づいて呆然としている私を、工場長がくすっと笑う。


「じゃあ、理想のプロポーズのシチュエーションとかある?」

「えー……」


 一瞬、プロポーズって言葉に反応してしまったけど、私と工場長は付き合い出したばかりで今日が初デートで、話の流れで冗談で尋ねられただけだと思って、へらって笑う。


「えっと、夜景の見える場所で……」


 冗談めかして言いながら顔を上げた私は、そこにあまりに真剣な眼差しがあって、息を飲む。その眼差しからたぎるような情熱がほとばしって鮮やかに彼を彩り、どぎまぎしてしまう。

 私の言葉は途中で途切れてしまって、それと同時にすっと目の前に小さな白い箱が差し出された。

 それは手のひらに乗るほどの小ささでドーム型になった上部には白いリボンが結ばれている。

 中身を見せられなくてもそれがなんのか、鈍い私でもわかる。


「宇佐美さん」


 甘やかな余韻を含んだその声に名前を呼ばれて、どきんって大きく心臓が跳ねる。


「これから先、宇佐美さんとずっと一緒に笑っていきたい。時には泣いたり喧嘩するかもしれないけど、君が涙を流す時にその涙をぬぐえる距離にいつもいたい。喧嘩してもすぐにごめんねって言える距離にいたい。特別なことなんて望んでない、ただ君がずっとそばにいてくれたら、それが俺の幸せなんだ。宇佐美 瑠璃さん、結婚してください」


 気がついたら、ぽろっと瞳から涙が溢れていた。


「ごめん、驚いた……?」


 戸惑いがちに響く工場長の声に顔を上げて首をふるふると横に振る。

 違うって伝えたいのに、声にならなくてもどかしい。


「柚希から多少聞いてると思うけど、俺さ、肉親って呼べる人はいないんだ。父親は誰かわからない、母親は幼い頃に亡くなって。お義父さんは血の繋がりはなくてもすごく優しくて、本当の父親なんてどんなかもわからないけど、すごい父親っぽいって思ってて、お爺様も、なんだかんだ言いつつも俺のことを守ってくれて。でもどこかよそよそしくて。誰もが無条件で受け取る親の愛情に縁がなくて、愛されるってことが分からなくて、自分が誰かを好きになるなんて思いもしなかった。ましてそんな自分が幸せにできるとは思えないし、幸せにしたい人が現れるとも思ってなかった。でも、宇佐美さんに出会って“愛しい”って気持ちはこういうものなんだって分かって、そうしたら、周りの風景もぜんぜん違って見えてきて。お爺様が俺を後継者にしたのは他に候補がいないから仕方なくだって思ってたけど、あげればいくらでも紅林の後継になりうる人物はいて、そもそもお爺様は情けなんかで跡取りを決めたりする人じゃないって気づいて。柚希も、ずっと俺に負い目を感じているのは知っていた、でも守りたいものがあったからなんだって。義父の想い、柚希のお母さん想い、俺の想い、そういうのを全部ひっくるめて守っていたんだって。そう気づけたのは宇佐美さんのおかげなんだ」


 凛とした瞳の底に切なげな光を宿して、ほんの少し笑ってみせる工場長に、胸が締めつけられる。


「柚希と話し合って、後継は俺と柚希の二人で務めることになった。実務経験としては柚希の方が実力はあるし、柚希一人でも十分だと思ったんだけど、ラビットクリーニングは柚希の母方の祖父の会社だったから他人には任せたくないって、今まで通りラビットクリーニングの業務もこなして紅林コンツェルの仕事もするって言いだしたから、俺も手伝うことにしたよ。まあ、俺は柚希みたいに器用じゃないしそっちの方は経験が浅いから、工場との両立は難しそうで……」

「そうなんですか……」

「まあ、いますぐ工場を辞めるってわけじゃないから安心して」


 私の頭に手を乗せ長く細いその指で私の髪をくしゃっとかきまわした。


「それで、話が少し逸れたけど」


 そう言って、コホンってわざとらしい咳をする工場長。


「いますぐプロポーズするつもりはなかったんだけど、なぜかお爺様が宇佐美さんをすごく気に入ってしまったみたいで……」


 なんでか分からないと悩ましげに眉根を寄せる工場長に、私はなんとなくその理由が分かって内心苦笑する。

 お祖父さん、うちのおじいちゃんのことすごく好きそうだったから。


「宇佐美さんと今すぐ婚約してこないと二人での後継は認めないとか言い出して……」


 本気で困ったような表情の工場長に思わず笑ってしまう。


「もちろんお爺様に言われたからってこうしてプロポーズしているわけじゃなくて、俺が宇佐美さんとずっと一緒にいたいって想う気持ちは本当だよ? えっと、つまり何が言いたいかというと……」


 斜めに私を見つめた瞳は甘やかにきらめいて、その眼差しを一瞬うるませて、工場長がそっと耳元に唇を寄せて言ったの。


「君が大好きです。結婚してください」


 息も触れそうな距離で、魅惑的な眼差しにくいいるように見つめられて、私はこくんと頷いた。


「はいっ」




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