ラストはハッピーエンドで 1
まどろみから覚醒する意識の中で、コンコンっと部屋の扉を叩かれる音が聞こえる。
「……ちゃん、瑠璃ちゃん、起きてる?」
控えめな、だけど確かに自分を呼ぶお母さんの声に、ぱちっと目を開けて、慌てて枕元に置いていた携帯電話で時間を確認してしまう。
朝は弱いのだけど、それでも社会人になってからは頑張って一人で起きられるように頑張ってたのに、お母さんが起しにくるだなんて寝坊してしまったのかと焦ったけど、携帯が示す時間はまだ五時で目覚ましが鳴るよりも早い時間で首を傾げる。
まだしょぼしょぼする目をこすりながら扉を開けると、お母さんがちょっと困ったような顔で立っていた。
「北海道のお祖父ちゃんから電話があって、瑠璃ちゃんに代わってほしいって」
「こんな早い時間に……?」
そう疑問に思いながらも、お母さんから子機を受け取る。
「もしもし、おじいちゃん? おはよう……」
欠伸まじりに挨拶して、子機を持ち直して耳元にちゃんと当ててベッドに腰掛ける。
「おお、瑠璃か。朝早くにすまんな。どうしても我慢できなくて……」
朝早いってレベルじゃないと思いながら、あえて突っ込まない。
老人の朝は早いっていうもんね。私とは感覚が違うのよ。私も年取ったら早起きできるようになるのかなぁ~
寝起きでぼぉーっとした頭でそんなことを考えている間に、おじいちゃんは興奮状態のまま受話器越しになにか喋っている。眠すぎてその声はほとんど右から左に聞き流されていく。
「うん、うん……」
「瑠璃、お前ももうそんな年になったのか……」
なんだか涙交じりに感激した声で言ったおじいちゃんに、この間会ったばかりなのにどうしっちゃったんだろうと首を傾げて、会社に行く準備しなきゃならないからと言って電話を切った。
結局、なんの用事だったのかはさっぱり分からない。
早く目が覚めすぎて、孫と喋りたくなったのだろうか……
いつも通りの時間に出て自転車を漕ぎ、工場に時間通りに到着する。
階段を上がり事務所でタイムカードを押していたら、「おはよう」と後ろから声をかけられて振り返りながら挨拶を返したら、普通に男装姿の柚希さんがいて驚きのあまり口をパクパクさせてしまう。
えっ、だって。
そんなさらっとカミングアウトしちゃうんですか……
「ばらしちゃっていいんですか?」
呆然としながら尋ねた私を、きりっとスーツを着こなした柚希さんが社長席に座って、ちらっと視線をあげる。
「いいもなにも、私がまた女装したらお見合い相手に男を連れてくるってお爺様に言われたらもう以前の格好なんてできるわけないだろう? あの人は一度やるといったら容赦なくやる人だからな……」
ぶるっと体を震わせる柚希さんを見て、苦笑するしかない。
確かに、一度対面しただけだけど、あのお祖父さんならやりそうな気がする。
ご愁傷様です、と心の中で合掌する。
そんな私に気づいているのか、いないのか、じぃーっと見つめられてしまう。
「私の事より、瑠璃ちゃんはどうするつもり?」
と尋ねられても……
きょとんっと首を傾げたら、なんだか同情したような眼差しではぁーっと盛大なため息をつかれてしまった。
「もしかして、柊吾からなにも聞いてないの?」
「なにもってなにがですか……?」
「いや、柊吾が言っていないのに私の口からは……」
「そんな中途半端な言い方されると気になるんですけどぉ~?」
尋ねたけど柚希さんは苦笑を浮かべるだけで教えてはくれなかったので、仕方なく事務所をでて持ち場に移動する。
工場長はしばらくはフロリダに行っていた企画とやらの引継ぎがあるので工場には来られないと言っていた。
同じ工場長がいないのでも、なんで来ないのか理由がわからないのと、はじめから来ないと聞かされているのでは全然心の持ちようが違う。
工場長に会えないのはちょっぴり寂しかったけど、仕方がないことだと我慢する。
柚希さんがどうするのかとか、工場長が戻ってくるのかとか、分からないことは多いけど、きっといい方向に持っていこうと工場長が頑張ってくれてるんだって分かるから、安心して自分がやるべきことに集中できた。
工場長が戻ってきた時に、フロアのみんなに宇佐美さんが頑張っていたって言ってもらえるように、いつも以上に熱心に仕事に取りかかった。
お互い仕事が忙しくて会えないものの、私のアドレスをどこから知りえたのか――というかたぶん確実に情報源は柚希さんだと思うけど――、工場長は毎日メールしてくれて。「いま仕事終わってこれから帰宅」とか、「おやすみ」とか、そんな些細なメールさえ幸せに感じてしまう。
パーティーの日から会えないまま二週間が経ち、会えないことにちょっと不安を感じ始めていた私は、仕事が終わり工場を出て駐車場に工場長の姿を見つけて心臓が大きく飛び跳ねる。
「工場長っ」
思わず駆け寄ってしまって、笑顔がこぼれてしまう。
だって、会いたいって思っていたら目の前に現れるんだもの。
「どうしたんですか? 仕事が落ち着いたんですか? あっそれとも、工場に用事が……?」
尋ねたら、無言でぎゅっと抱きしめられてしまった。
私の肩に顔をうずめてしばらくそのまま動かないから、相当疲れているのかと思ったら。
ぱっとあげた顔はまぶしすぎるキラキラ笑顔で、困ってしまう。
至近距離でこの笑顔は破壊力がありすぎる……
「宇佐美さん、デートしようっ」
突然言い出した工場長に戸惑ってしまう。「どこ行きたい?」と聞かれて、私は逡巡して答える。
「じゃあ、水族館に行きたいです」
そう言った私に、工場長はとろけそうなくらい甘い笑みを浮かべて、車までエスコートしてくれた。
車を走らせて、工場からさほど離れていないショッピングモールの中に入っている水族館に到着したんだけど。
近かったといっても仕事終わりの時間だったから、到着したのは閉園一時間前。最終入場にギリギリ間に合って水族館に入った。




