スキよりももっと… 6
会場に一歩足を踏み入れると、そこは煌びやかな世界でした――
逃げていいならいますぐ逃げ出したい気持ちを我慢し、柚希さんの横でなんとか笑顔を浮かべている。
パーティーが初めてだと言っていた柚希さんは、その言葉を疑いたくなるくらい、会場に入った瞬間からいろんな人に声をかけて挨拶をしている。
ラビットクリーニングの社長として営業で知り合った関係者みたいで、柚希さんが声をかけるとみんな一瞬、柚希さんの美しさに見惚れ、それからラビットクリーニングの社長だと名乗ると驚いていた。
そりゃあ、まあ、驚くと思うけど。
そこらへんの女性よりも綺麗な女性が、いきなり実は男性だったなんて。
でも。
男装しても艶やかな柚希さんの姿に、会場中の女性が熱い視線を送り、男性ですら感嘆のため息をもらしている。
天井からさがった大きなシャンデリアがまばゆい光を放って会場に置かれている氷の彫像を輝かせているけど、そんなものよりもなによりも、柚希さんが眩しいくらいキラッキラの麗しい微笑みを浮かべていて、会場の注目を浴びている。
ついさっきまで女装していたなんて微塵も感じさせないキラキラした柚希さんの姿に、驚きつつも、納得させられてしまうのだと思う。
私はそんな柚希さんを眩しく見上げながら、側にいることしか出来ない。
女装をやめると言った柚希さんの決意が痛いほど心にしみて、泣きそうになる。
一番願っていたことを諦めなければいけないのはきっと、すごく勇気がいると思う。
その決意をした柚希さんがほんのちょっと辛そうに見えて、胸が震える。
私はなんて声をかえたらいのか分からなくて。
気の利いたことを言ってあげられなくて。
ただ、そばで柚希さんの笑顔を応援するしかできなくて、そんな無力な自分が歯がゆい。
それに――
ここは紅林家主催のパーティーだと言っていた。
もしかしたら――
っていう淡い期待に、ひどく動揺する。
工場長、なんで薫子さんとの婚約を解消しちゃったんですか――?
どうして、工場にいないんですか――?
今日、ここに工場長は来ますか――?
ただ、会いたいんです――
自分からあんなこと言って、工場長を傷つけて。
工場長に幸せになってほしかっただけだなんて言い訳だって分かっているけど、工場長の想いも、社長の想いも、薫子さんの想いも――
全部ぜんぶ、報われればいいと思ったんです――
たとえ、私の恋が終わってしまっても。
でも。
終わってもいいなんて、本当は嘘。
工場長に会えないだけで、工場長の笑顔を見られないだけで、こんなに胸が苦しくて切ないなんて思わなかった。
あの時。社長が私に諦めるように言った時に諦めていたら、こんなふうにはならなかったかもしれない。
社長の願いどおり工場長が紅林家の跡取りになって、薫子さんが工場長と結婚して。
だれも傷つかなくてすんだかもしれない。
だけど、後悔はしていない。
諦め方なんて分からなくて、工場長の隣に薫子さんがいるのが辛くて、子ども扱いだって分かっててもからかわれるだけで嬉しくて。
それがその時のすべてだった。
その時のその気持ちが真実で、間違って傷ついてたくさん泣いて。
それでも、ただ工場長の側にいたくて。
工場長の笑顔が見たくて。
工場長に会いたい――
その気持ちだけが私の胸を締めつける。
涙が溢れてきそうになって、慌てて俯いて、ぎゅっと唇をかみしめた時。
掴んでいた柚希さんの腕がビクっと震えたから顔を上げると、それまで微笑みを浮かべていた柚希さんの表情が引き締まって、真剣な眼差しが会場の奥の方へと向けられていた。
つられて視線をそちらに向けると、会場の奥、舞台の前で、和装の老齢の男性と六十代位のスーツを着た男性が二人の男性と話をしていた。
スーツの男性が話していた男性に柔らかい笑みを向けて挨拶し、二人の男性が去っていく。そのまま顔を上げたスーツの男性の顔がこちらに向いて、そのまま制止する。
その瞳が徐々に驚きに見開かれていくのが分かった。
スーツの男性の様子に気づいた老齢の男性も、こちらに顔を向けた。その表情が眉根に皺がより険しくなる。
柚希さんを見上げると、凛とした瞳に真剣でせつなげな光がきらめく。
つないだ腕から激しく叩きつける心臓の音が伝わってきて、柚希さんが緊張しているのが分かる。
いつも飄々としていて笑みを絶やさない人がこんなに緊張して強張った表情をしてしまう相手は、きっと一人しかいないだろう。
普通なら、こんなふうに緊張したりしないで接する相手。父親だ。
あの人が、柚希さんの父親で、工場長の義父――
一歩踏み出した柚希さんにつられて私も歩き出す。
コツ、コツと革靴の音がやけに大きく会場に響いているように聞こえる。
私達が近づく間、柚希さんのお父さんとお祖父さんはこっちをじっと見据えていた。
二人の目の前まで行くと、柚希さんは強張っていた表情にふっといつもの麗しい微笑みを浮かべた。
その笑顔に、私は内心ほっと胸をなでおろす。
柚希さんは私の腕を支えたまま、優雅にお辞儀する。
「お久しぶりです、お爺様。柚希です」
そう言った柚希さんは、いつもの余裕たっぷりの甘い笑みを浮かべてて、でも、その笑顔が緊張を隠して精一杯浮かべた笑顔だってなんとなく分かって、私は柚希さんに頑張れって伝えたくて、掴んでいる腕をぎゅっと握りしめた。
応援が届いたのか、柚希さんは一瞬、私の方を向いて微笑んでくれた。
「お父様もお久しぶりです」
「ああ……」
挨拶された柚希さんのお父さんは、穏やかそうな顔に苦渋の色を浮かべていた。
聞かされていた話からイメージしていたのは、もっと厳格そうな人だと思っていたけどすごく柔らかい雰囲気の人で、柚希さんはお父さん似なんだなって思ってしまった。
もちろん、横にいるお祖父さんは厳格そのものっていった感じで、頑固じじいって感じで内心苦笑する。
厳格を重んじる人は、柚希さんの女装はどうあっても許せないよねぇ……
「柚希、お前、その格好はなんだ?」
「なんだ、と言われましても……」
眉間の皺をさらに深くしながら不愉快そうに尋ねるお祖父さんの言葉に、柚希さんは怯むでもなく飄々とした口調で苦笑する。
「あなたが希望したことでしょう? この格好でもまだ不服がありますか?」
「いや……、お前がどういうつもりでそんな恰好をしているのか聞きたかっただけだ」
肩を竦めて言う柚希さんに、お祖父さんが呆れたようにつぶやく。
「柊吾があんなことになって心配しておったが、お前にやっと紅林家としての自覚が芽生えたようで安堵した」
口元に不敵な笑みを浮かべたお祖父さんに対して、柚希さんは皮肉気な笑みを浮かべる。
「紅林家としての自覚――? 笑わせますね、そんなものあるわけないでしょう? 私は緒方 柚希だ。紅林家から私や母を追い出したのは父だが、その原因はお爺様、あなたにもありますよね。母が望んだこととはいえ、私はそれを許すつもりはありませんし、紅林家を継ぐつもりもありません」
柚希さんの言葉には、この数十年、言えなかった気持ちがこもっていて胸を震わせる。
お祖父さんもさすがに口をつぐんでしまい、反論できないでいる。
横にいるお父さんに視線を向けると、お父さんは悲しげに眉根を寄せて視線を床に落としていた。
一触即発な対面にひやひやしながらも、私の心は、お祖父さんの言葉にドクドクと早鐘を打ち始める。
柊吾があんなことになって――
って言ったけど、工場長に何があったっていうの――!?




