スキよりももっと… 2
「工場長が納得してくれないなら……、私はここをやめます……」
そう言った瞬間、喉の奥に氷を埋め込まれたみたいに、ひゅって痛みが走る。
本当はやめたくなんかない。
やっと就職できたここで、工場長と出会えて、他の従業員の人とも出会えて、仕事して、笑い合って、すごく大好きな職場だからやめたくなんかない。でも。
工場長が分かってくれないなら、工場長がすぐそばにいるのに拒む自信がないから……
気がついたら、ぽろぽろと頬を伝って涙がこぼれ落ちていた。
そんな私を見て、工場長は心底困ったようにため息をついて、ぽんっと私の頭をなでた。
「分かったよ……」
ため息交じりの声は諦めと怒りがないまぜになったような声で、私の胸をつく。
むちゃくちゃなこと言ってるって分かっているけど、これしか方法がなくて。
泣きたいわけじゃないのに、涙が後から後からぽろぽろ溢れてくる。
「分かったから、やめるなんて言うなよ……、宇佐美さんがいなくなったら困る……」
本当に困ったような工場長の声に、ずずっと鼻をすすって苦笑する。
「分かってますよ、うちの工場人手不足ですもんね。突然辞めたりしませんから、やめたりしませんから……だから……っ」
工場長が私の頭を撫でている手と反対の手で私の背中を引き寄せて抱きしめるから、私の言葉は途中で途切れて。
工場長は私を抱きしめながら、何度も「分かったよ……」って言ってくれた。
※
夜、ベッドの中に横になりながら、月明かりで照らされた天井をぼんやりと眺める。
あんな言い方したけど、きっと工場長にはすべて私の気持ちは見透かされていたと思う。
異性として好きなわけじゃないなんて嘘、ただの憧れなんて間違い。
本当は好きで好きで、好きすぎてどうにかなっちゃいそう。
工場長のこと忘れることなんてできないし、胸をくすぶる熱い想いもすぐには消えない。
でも、私が諦めるのが一番いい方法だと思うのも本当で。
そんな私の気持ちをすべてお見通しで、最後には折れてくれた。
工場長の優しさに付け込んだんだ。
これで私と工場長はただの上司と部下になる。
もちろん、すぐには前みたいに普通には出来ないだろうけど、今まで以上に普通にできるように努力するつもりだ。
工場長が幸せになれるなら――
幼い頃に唯一の血縁である母親と死別して、血の繋がりのない義父に引き取られて後継者の座を任されて。きっと、工場長にとってはそれだけが救いだったのだと思う。生きる希望だったのだと思う。紅林家の後継者になれるように頑張ってきたのだと思う。
そのためには薫子さんとの婚約は必須で。
『小松家との婚約は俺の意志じゃない。祖父や父が望んだことで、取り消そうと思えばどうとでもできる』
まどろむ意識の中で、工場長の言葉を思い出す。
取り消そうと思えば取り消せるけど、そうしないのは、工場長がそれを望まないからですよね――……
※
翌日、出社するのが怖かったけど、それでもいかないわけにはいかなくて仕事に行くと、そこに工場長はいなかった。
基本的には普段同じフロアで働いている工場長だけど、どのフロアの仕事もこなせる工場長は、その日の欠員や状況を見て、各フロアの助っ人にいってて同じフロアにいない日も多い。朝礼で工場長がいるのを確認して、工場内にはいるんだと分かったから特に気にしていなかった。
だけどそんなことが数日続いて、二階で働いていたアルバイトの子が急にやめてしまい、工場長が完全に三階から二階担当になることを知らされて、フロアが違うため昼食時間もずれてお昼休憩中は顔を合わせないし、朝礼以外ではまったく工場長の姿を見なくなってしまった。
それに。
工場長と会って視線があっても、以前のように微笑んでくれなくなってしまった。
視線が合うと、すっと視線をそらされてしまう。私が笑いかけても、工場長は眉間に皺をよせて、困った表情で顔をそらしてしまう。
なにもなかったように今まで通り接したいっていうのは私の我が儘なのかもしれないけど、配属フロアが違って全然顔を合わせることがなくなって、たまに顔を合わせた時くらい笑顔で挨拶したいって思うのはいけないのかな……
自分が招いた結果とはいえ、避けられるような態度が胸をえぐられているように切なくてどうしようもなかった。
※
お盆休みは店舗自体がお盆休みでお店を締めるんだけど、スーパーの中にある店舗やホテルなどはお盆中でも営業しているから工場も完全に休みになるわけではない。
人数はいつもよりも減らしてお盆中も工場内で洗濯機が回っている。
お盆休みは交代でとることになっていて、私は八月末にまとめてお休みをもらうためにお盆中は休みなしで出勤した。
人がいなくて、いつも以上に静かな工場内を寂しいと思いながら、あっという間にお盆は過ぎ、八月末、家族旅行で北海道へ。
北海道には母方の祖父母が牧場を営みながら暮らしており、毎年この時期に遊びに行くのが恒例になっている。
毎年行く祖父母の家は第二の実家ともいえて、ほとんど地元感覚で近場に遊びに行ったり、牧場の手伝いをしたりして夏の休暇は終わっていった。




