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love it  作者: 滝沢美月
10便
64/78

君と出会わなければ後悔はしなかったかな? 2 side柚希



「だから初恋は実らないって言ったのに……」

 非常口から事務所中に駆け込んできた宇佐美さんに、私は苦々しくこぼした。



  ※



 昨日の帰り際も放心状態だったけど、ついさっき朝礼の時も宇佐美さんはぼぉーっとして心ここにあらずという感じだったから。

 つい気になって宇佐美さんを見ていたら顔を上げた宇佐美さんと視線があって、その瞬間、宇佐美さんが狐に睨まれた兎のように震えるから、罪悪感でいっぱいになる。

 釘を刺したのは自分なのに、こんなに落ち込まれてしまうと、悪いことしてるとしか思えなくて嫌になる。

 朝礼後、難波君が宇佐美さんに声をかけて非常階段に連れ出す様子を見ていた私は、同じように柊吾が宇佐美さんの姿を追っているのに気がついて、胸の奥がざわつく。

 柊吾……

 もしもいま柊吾が宇佐美さんを追いかけるなら、絶対に止めるつもりだった。

 だから、宇佐美さんと難波君が消えていった非常口をじっと見つめる柊吾を、少し離れた場所から私は見ていた。

 柊吾はしばらく非常口を見つめた後、何を思ったのか、踵を返すとさっさと持ち場に戻っていってしまった。

 まるで全然気にもならないという態度で、追いかけると思っていた私はちょっと面食らう。

 万が一にも柊吾が宇佐美さんに惹かれているんじゃないかと思っていたのは、やっぱり、私の思い過ごしなのだろうか……

 私自身が目撃しているわけじゃないけど、工場で柊吾がやたらと宇佐美さんをからかっている――というか、特別目をかけているという話はあちこちから聞こえてきてきた。

 一見、宇佐美さんはおっとりした見た目だけど、仕事の覚えが早く、手際もいいと、どこのフロアでも評判がいい。

 柊吾が扱き使ってあちこちのフロアに宇佐美さんを駆り出していたけど、その成果はしっかりと出ている。

 いまこの工場内で全フロアの仕事をすべてこなせるのは、工場長の柊吾と宇佐美さんだけだろう。

 実際話してみると宇佐美さんってなんだかからかいたくなるような可愛さがあるから、仕事の事抜きでも柊吾がちょっかい出したくなる気持ちもわかるんだけど。

 結納を控えたこの時期に、柊吾に気になる女の子がいるっていうのは問題だろう……?

 いままで柊吾は女の子をからかうようなことはしなかったし、自分から積極的に関わることすらなかったから、もしかしてと心配していたけど……

 気鬱ならそれでいいんだと吐息をもらす。

 いつまでもここにいても仕方がないから私も仕事しようと思った時、下の階に降りたはずの柊吾が戻ってくるから驚きを通りこして呆然としてしまう。

 柊吾は脇目もふらずまっすぐに非常口に向かうと、静かに非常口を押し開けてわずかな隙間から外へと滑り出した。

 柊吾を通した扉はきっちりと閉まらず、わずかに開いたままになっていた。

 私は無意識に非常口へと近づき、わずかな隙間から漏れ聞こえてきた声に、息を飲む。


「じゃあ、俺と付き合う?」


 真剣な難波君の声に、私は固く瞳を閉じる。

 難波君が宇佐美さんと仲がいいのは知っていたけど、まさか難波君が宇佐美さんのことを好きだとは知らなかったな。

 このタイミングでこの展開は、なんだか神様のいたずらみたいだ。

 私にとっては思ってもみなかったことだけど、私の望みに大きく傾く展開になりそうで嬉しさが湧き上がる。だけど。

 宇佐美さんが何か言うよりも先に、柊吾の声が聞こえた。


「難波君、梅田さんが呼んでたよ」


 柊吾も難波君の告白を聞いたはずなのに、動揺した様子もなく平然としたいつもどおりの声音に、喉の奥がひゅっと冷たくなる。

 私が望んでいた展開なのに……

 なぜだか胸が切なくなる。


「分かりました、今いきます」


 難波君が静かな声で答え、ぎぎっと非常口が開く音と共に難波君が事務所内に入ってきた。

 入ってきた瞬間、すぐそばで腕を組んで立ち止まっている私と目が合って、難波君の瞳が一瞬 動揺したように揺れる。

 難波君はすぐにポーカーフェイスを取り戻し、軽く会釈して私の前を通り過ぎていった。

 事務所内にも、わずかに開いたままの非常口の外にも重苦しい沈黙が広がる。

 どのくらい経ったのか、もしかしたら一分も経っていないのかもしれない。

 沈黙を破ったのは柊吾の優しげな問いかけだった。


「難波君と付き合うの――? 宇佐美さんと難波君ならお似合いだと思うよ。まあ、俺に関係はないか」

「そ、ですね……」


 はっきりとした口調、だけどかすかに震えた宇佐美さんの声に、私は強く眉根を寄せて顔を伏せた。

 私が望んでいた展開なのに。

 宇佐美さんにはなんて酷な展開なんだろう……

 バタバタっと階段を駆け上がる音が聞こえ、非常口から飛び込んできた宇佐美さんは非常口のすぐそばに立っていた私に気づかなくてぶつかってしまった。

 振り仰いだ宇佐美さんは涙で頬を濡らしていて、その表情があまりにも痛々しくて、胸をついた。

 私が望んだ展開なのに、こんなに傷ついた宇佐美さんを見たかったわけじゃない……


「だから初恋は実らないって言ったのに……」


 私は苦々しくこぼした。

 口を開いて何か言おうとした宇佐美さんは、ぱっと慌てて顔を伏せた。

 後ろを見れば、非常口から柊吾が入ってくるところだった。

 柊吾はちらっと宇佐美さんを見ただけで、なにも言わずに私と宇佐美さんの横を通り過ぎて行ってしまった。

 柊吾が階段を下りていく音を聞きながら、ため息まじりにこぼす。


「この恋は諦めた方がいいよ、瑠璃ちゃんが傷つくだけだ」


 そう仕向けた私が言えるセリフじゃないけど、これ以上傷ついてほしくなくて。それなのに。

 顔を上げた宇佐美さんはさっきまでの弱弱しさはなく、涙にぬれた瞳に強い輝きをのせて。


「そんなこと言われても諦め方なんて分かりません……、こんな気持ちを知ったのは初めてなんです……」


 厄介だなと思った。

 こんなことを思う私は、なんて最低な人間なんだろう。

 紅林家での柊吾の確たる地位を望み、その邪魔になりそうな宇佐美さんの恋を邪魔して。

 それなのに宇佐美さんに傷ついてほしくないと思って。

 でも、諦めの悪い宇佐美さんにイライラして。

 どうしたいのかはっきりしない自分に一番苛立つ。


「でも……」


 ぎりっと奥歯を噛みしめた私は、宇佐美さんの声に宇佐美さんを見やる。


「工場長に迷惑はかけたくないので、私の気持ちには気づかれないようにします……」


 それがいまできる精一杯なのだというように、決意を込めた瞳で見上げられて、切なくなる。


「自分の気持ちに嘘をつくのは辛いよ……?」

「それでも、工場長を困らせたくないので……。工場長の迷惑にならないようにするって、社長に約束します」


 そう言ってまた泣きそうな顔をして去っていった宇佐美さんの後姿を見送って、やるせない気持ちになる。

 宇佐美さんの気持ちが迷惑かどうかなんて、私が決めることでも、宇佐美さんが決めることでもないのに。

 自分がやっていることは正しいはずなのに、宇佐美さんの泣きそうなのに必死に我慢している表情を見ていると、分からなくなってくるから困るんだ。




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