君と出会わなければ後悔はしなかったかな? 1 side柚希
※ 出だしは5便の後の柚希の回想です。
「本当に柊吾のことを思うなら、諦めてくれるよね――?」
そう言った時の私は、どんなに残酷な表情をしていただろうか……
放心した宇佐美さんの後姿が玄関の中に消えるのを見送って、私は深いため息をついて、くしゃっと前髪をかきあげた。
瞳を閉じれば、幼いあの日のことを鮮明に思い出す――
※
初めて柊吾と会ったのは十一歳の時だった。
小学校の帰り道、どこかに存在はしているとは思っていたけど一生会うことはないと思っていた父親からの迎えが来た。なにっていう感傷はなくて、ただ父親がどんな人なのかというわずかな好奇心から父方の実家に足を踏み入れた。
そこは純和風の豪邸で、案内された部屋の中央に置かれた総紫檀の座敷机の側面には繊細な彫細工を施されていて。そんな自分には一生縁がないと思っていた重厚な机を挟んで対面した父親は、想像とは違い物静かな人だった。
その父親が私を見て一瞬、苦虫をかみつぶしたみたいな表情をしたのが忘れられない。
父親と母は親同士が知人で幼い頃から二人は将来結婚することに決まっていた。が、父親は母と結婚した後も学生時代に付き合っていた女性のことがずっと忘れられなかった。そして偶然にもその女性と再会し、母と離婚してその女性と再婚すると言い出した。
もちろん、反対したのは父方の祖父や母方の祖父母だった。でも、最終的には母があることを交換条件に離婚に承諾して、離婚が成立した。条件は母が子供を引き取ることだった。
物心ついた頃、母方の祖父母が父親のことを愚痴っているのを聞いていた私は、父親は情熱的な人なのだろうと思っていたから、実際に会った父親は想像とだいぶ違った。盲目的に恋に走るような熱情を内に抱えているようにはとても見えなかった。
突然、父親が自分を迎えに来たのは、父方の祖父が病で倒れて紅林家の相続問題が持ち上がったからだった。
父親の兄弟は兄と妹が一人。だけど、紅林家は代々直系男子が家を継ぐことになっていて、父親と伯父が揉めていた。普通なら伯父が後を継ぐのが順当だけど、伯父は結婚はしていたけど子供はいない。対して父は男児はいるが、母と離婚したことで祖父から怒りを買い、母と復縁しないかぎり家を継がせないと言われていた。おまけに母が復縁を望まなかった。
父親は私を引き取りたいと再三母に頭を下げ、最終的に母は、紅林家に戻るかどうかは私の意志に任せると言ったという。
対面した父親が簡潔に私に紅林家に戻ってくるように話し、判断するのはしばらく紅林家に滞在してからでいいと言い、服装も用意したものに着替えるように言った。
その時になって、父親が最初に顔をしかめた理由に気づき、自分の格好を見下ろす。
初めて紅林家に訪れた私はいつも通りの、女の子の格好――姉のお下がりのワンピースを着ていたからだった。
父親は後継ぎとなる男児が欲しかったから、私の女装が気に入らなかったのだろう。
私の部屋だと案内された部屋は、母と姉と暮らすアパートと同じくらいの広さの和室で、広すぎてなんだか落ち着かなかった。
用意されていた男物の服も最初は好奇心から着てみたものの、いままで着たことのない滑らかな着心地がむずがゆくて、ワンピースにすぐに着替えなおしてしまった。
トイレに行きたくなって出た廊下はあまりに長くて、縁側の外には広大な庭が広がっていて目を瞬いた。
トイレを探して歩いていたら、庭で遊んでいた同い年くらいの男の子と出会った――それが柊吾だった。
子供がいないと聞かされていた紅林家にいた柊吾のことは、お手伝いさんたちのお喋りですぐに耳に入ってきた。
再婚したと思っていた父親は再婚してなくて、父親の愛した女性は再会した時、他の男性の子供を身ごもっていた。そしてシングルマザーとして生んだのが柊吾だった。
柊吾が三歳の時その女性は亡くなり、父親が養子縁組をして柊吾を紅林家に引き取り、父親は血の繋がりのない柊吾を実の子のように溺愛しているらしい。
父親は祖父から怒りを買っていても伯父には子がないため、自分が紅林家を継ぎいずれは柊吾に跡を継いでほしいと願っていた。しかし祖父がそれをよしとせず、私を連れ戻すように言ったのだった。
血縁が一人もおらず、仮面をかぶってうわべだけで接する大人ばかりに囲まれた紅林家で育っていた柊吾。
血がつながっていなくても父親に愛され、将来を熱望されている柊吾。
その柊吾の世界を脅かすのが自分という存在だと気づいた私は、父親が用意した男物の服を拒否した。
女の子の格好をしてても、可愛い物が好きでも、中身はちゃんと男で。中学校に上がる頃には男の格好に戻ってもいいかなって思っていたけど、その気持ちを封印する。
私は男の子の格好をしたらダメなんだと思った。
血は繋がっていなくても、柊吾は私の弟で、私の父親は柊吾を跡取りにするつもりで。
紅林家にいたのはほんの一週間だけだったけど、そこには確かに父親と柊吾の世界があって。
滞在中、女装を貫いた私を見て父親は異物を見るように眉根を寄せ、祖父は血管がはちきれそうなほど顔を真っ赤にして怒っていたっけな。
中学に上がる時、女の子の制服で登校したいと言った私に、それまで女装に反対していなかった母も驚いた表情をしたけど、口に出して反対はしなかった。
なんといっても、スカート似合いすぎていたし。誰が見ても、私を男だと思う人はいなかったから。
まあ、男が好きなわけじゃないから、言い寄られたりすると鳥肌が立ったから、すぐに男で女装はあくまで趣味だとカミングアウトしたけど。
私が女装しているだけで柊吾の世界を守れるならいいかなって思った。
結局、三十三歳になっても女装しているのはどうなのだろうかと思う今日この頃だったりもするけど。
女装どうこうというよりも、この年でも女装が似合いすぎる体格が男としてちょっと情けなくなったりもするけど。
あともう少し――……
柊吾が紅林コンツェルの後継者としての地位が揺らがないようになるまで、祖父や紅林家の人達には私がただ女装しているだけなんだって気づかれないように、男だということを隠し通してみせる。
私がわざわざ宇佐美さんを傷つけてまで遠ざけたんだから。
だからどうか、柊吾は宇佐美さんに惹かれはじめている自分の気持ちには気づかないで――




