失恋に覚悟は必要ですか? 5
「どうして帰るの――?」
後ろから腕を掴まれて、不機嫌な声で尋ねられて。
今すぐこの場から消えてしまいたいほどいたたまれなかった気持ちがすっと引っ込んでいき、ふつふつと怒りが湧いてきて、肩が小刻みに震える。
どうしてもなにも――
「工場長が帰れっていったじゃないですかっ!?」
振り返りながら、思いっきり叫んだつもりだったのに、声は掠れて威力のかけらもない反撃になってしまった。
そんなふうに言われるとは予想していなかったのか、意表をついたのか、一瞬、驚いた表情をした工場長は、たまらないといったようにぎゅっと眉根を寄せてギロっとやや鋭利な眼差しを向ける。
「じゃあなんで泣いてるの? ちゃんと理由を言って」
そう言った工場長は、不機嫌な眼差しとは裏腹にあまりに優しい声音で、鋭い眼差しが泣き笑いのような困った表情を浮かべた。
今まで見たことのない不機嫌な工場長にビックリして、なにかがはじけ飛んでしまったんだと思う。
我慢していたつもりだったのに、いつのまにか私の頬には大粒の涙が後から後からポロポロとこぼれ落ちていって、溢れる涙と一緒に気持ちまでこぼれてしまう。
「私っ……、ひっくっ……、工場長のことが、好き、です……」
嗚咽交じりに詰まりながらも、ずっと言いたくて言えなかった気持ちが溢れて、安心感からか、嗚咽をもらして子供の様にぼろぼろと泣いてしまう。
「ぅ……、ひっくっ……、うぅ……」
ずびずび鼻をすすりながら、嗚咽を堪えようとすると。
さっきまで腕を強く握っていた工場長の手が離れていき、その手が私の頭に伸びてきて、長く細いその指で私の髪を優しく撫で、梳くように毛先まで滑らせていく。
泣いている子供をあやしているだけだって分かっていても、その感覚が気持ちよくて。
工場長がそっと私の腕を引いて、次の瞬間には工場長の腕の中で強く抱きしめられて、大きく目を見開く。
だけど。
驚きよりも、やっと言えたという安心感が強くて、頭を撫でられる感覚があまりにも心地よくて、うっとりとその感覚に瞳を閉じた――
※
ぱちっと目を開けて、何度もぱちぱちと目を瞬く。
目覚めたばかりでぼんやりする頭で、「ここ、どこなんだろう??」と素朴な疑問が浮かび上がる。
レースのカーテンだけがひかれた窓辺から差し込む街灯の明かりでうっすらと見える室内に、ただ自分の部屋ではないどこかだということが分かるだけで、どこなのかは分からない。
ベッドの上でしばらく上半身を起こした格好のままぼんやりしていると、だんだんと直前の記憶が酔甦って現状とつなげることができた。
って、ここってもしかして、工場長の家……!?
工場長に帰れって言われて逃げるように帰ろうとして、工場長に腕を掴まれて。
なんで泣いてるの? って聞かれて押さえていた気持ちが溢れてきちゃって。
子供みたいにわんわん泣いて、頭をあやすように撫でる工場長の手があまりに気持ちよくて、それでそのまま泣きつかれて寝ちゃったのか……
自分の失態に、穴があったら入ってしまいたいくらいだ。
それに。
言っちゃったんだよね……
好き――って。
いまさらだけど、かぁーって自分でも分かるくらい頬に熱が集まってきて、恥ずかしさのあまり、ぼふっとベッドに顔を突っ伏す。
あぁ―――、もぉ―――……
なんであんなこと言っちゃったのかなぁ、私……
好きって……、好きって工場長に言っちゃったんだよっ!?
これからどんな顔して会えばいいのかなぁ~!!??
ってか、そもそも告白して振られるために来たんだったっけ!?
あれれ???
完全にパニックって、自分でもなんなのかよくわからなくなってしまう。
でも。
とりあえずこれで、自分の気持ちを伝えて振られてきれいさっぱりふっきるっていう目的は果たしたよね――?
しばらくぐるぐる考えて。
工場長とどんな顔して会おうとか、寝癖ついてないかなとか、服に寝皺ついてないかなとか考えて。
そろそろとベッドから降り、サイドボードの上に置いてあった鞄を握りしめ、音をたてないように部屋から滑り出る。
私が寝ていたのは二階にある部屋の一つだった。
廊下から階下を覗けば、明かりがついているのが見えた。
工場長はまだ起きてて、リビングにいるのかな?
リビングからの明かりを頼りに腕時計を見ると、時刻はすでに二十四時を過ぎていてびっくりする。
混乱してたとはいえ、こんな時間までお邪魔してたら迷惑だよね。
ってか私も工場長も明日は仕事だし。
工場長に挨拶して、早く帰って寝なくちゃ。
私はなるべく足音を立てないように階段を下り、リビングに続く扉をそおっと開く。
室内を覗きこむと、工場長はスタンドライトの頼りない明かりの中でTVをつけていて、TVの明かりがチカチカと室内を照らして目にまぶしい。
まぶしさに目を細め、一人掛けのダークグレーの革張りのソファーに座っている工場長の後姿を見つける。
ゆっくり近づいていくと、つんっと鼻に香るお酒の匂いに眉根を寄せる。
うわぁ……、工場長、かなり飲んでる……?
近づきながら胸にほんの少しの不安を覚えながら、ソファーの横から覗き込むように工場長に声をかける。
「工場長……?」
覗きこむ時に、ソファーのそばにあるサイドテーブルの上に空のビール缶が何本も転がっているのに気づいて、わずかに眉根を寄せる。
そんな私とは対照的に、私の声に気づいてこちらを見上げた工場長は、酔ってどこか焦点の定まらない瞳で。潤んだように艶めいた瞳は色っぽくて、その口元に甘やかな笑みを浮かべた。
瞬間、どきんって心臓が大きく飛び跳ねる。
だって、あんまりにも嬉しそうに微笑むから、不意を突かれてドギマギしてしまう。
「あの、工場長……?」
かなり酔ってますよね――?
そう続くはずの言葉は、工場長の行動に阻まれる。
「瑠璃ちゃん――」
とろけそうな甘い声で名前を囁かれて。次の瞬間、腕を引かれて前方に体が傾き、私の唇と工場長の唇が触れていた。
~~~~~~…………ッッッ!!??
ほんの一瞬だったかもしれない。
しっとりと濡れた唇が触れたのは。
気がついたら私は、工場長を突き飛ばし、慌てて工場長の家を飛び出していた。
なに!?
なんで、キス!?
どうしてキスされたのぉ~~……!!??
今世紀最大というくらい混乱する頭で、街灯で照らされた夜道を無我夢中で自転車をこぐ。
キスされたっ!?
どうしようっ、どうしようっっっ!!??
自分の気持ちを伝えて振られてきれいさっぱりふっきるっていう目的で工場長の家まで押しかけたけど。
目的は、果たせたんだよねぇ~~……!!??




