甘いお菓子に気をつけて? 3
工場長がくれたマカロンはその場では一つだけ食べて、残りは家に持って帰って大事に部屋に置いてある。
要冷蔵って書いてあったけど、キッチンにある冷蔵庫にしまうのは躊躇われて部屋の涼しい場所に置いて、一日の仕事を終えて帰ってきたら一つ食べる。そうして大事に食べていった。
いきなりなんでマカロンをくれたのかはわからないけど。
工場長が私だけにって、秘密だよって渡してくれたことが、自分だけが特別といわれたみたいで嬉しくて仕方がなくて。
ここ最近沈み気味だった気分は一気に急上昇してうきうき気分で仕事に向かう。
どうしたら諦められるんだろうとか、どんどん工場長に惹かれていって困るとか悩んでいたけど、なんかだんだん馬鹿らしくなってしまった。
だって、考えたってどうしようもないし。
そんな簡単に諦められるような気持ちじゃないし。
諦めようって決めたって、私は工場長の事が好きなわけで、話しかけられたら嬉しいし、自分にだけってお菓子をもらえば特別扱いみたいで幸せだし。
そう感じてしまうのは仕方がないことで、その気持ちを溢れさせないようにすることしか出来ないんだって思う。
意識して気持ちを抑えると、どこかで決壊してそこから溢れてしまいそうで、なるようになるかなぁ~なんてお気楽思考でのほほんと自転車を漕いでいつものように出勤する。
工場横の駐車場の端にある駐輪スペースに自転車を止めたらまず二階のロッカールームに向かう。
自分のロッカーに荷物を置いて、コートをかけて、水筒を入れた小さめの手提げを持って今度は五階の事務所に行き、タイムカードを押して持ち場の三階に向かう。
始業時間まではハンガーなどの補充や掃除などをして時間をつぶし、始業間際になって上がってきた洗濯物をどんどん仕上げていく。
数日前までは、答えの出ないことをぐるぐる考えて気分は沈みっぱなしだし、気持ちここに非ずって感じで仕事してたけど、ふっきったというか、考えるのやめたら気分がすっきりして仕事も楽しくなってくる。
つい鼻歌まじりにアイロンをかけていたら、横を通りかかった工場長にふっと鼻で笑われてしまった。
絶対、こどもっぽいって笑ったなぁ~!
こっちをちらっと見て通り過ぎていく工場長を拗ねたように睨んで、でもその口元はすぐに緩んでしまう。
だって、こんな些細なやりとりさえ幸せだって思えてしまうんだもの。
恋って怖い。
ここで働き始めたばかりの頃は工場長にからかわれて腹立ったし、困ったりもしたけど、工場長がからかってくるのに慣れちゃったというか、かまってくれることが嬉しく思ってしまう私って、ちょっとやばいかな……
恋は脳を溶けたバターみたいにとろとろにして、思考回路をおかしていく。
工場長を好きだって自覚した時は初めての気持ちに戸惑うばかりだったけど、恋するって幸せなことなんだなぁ~、なんてしみじみ感じてしまう。
だけど、そんな幸せ気分は長続きしないのが世の常で。
そして、恋が幸せなだけではないことを思い知る――
※
その日もいつも通り仕事をして、久しぶりに飲みに行かないかって暁ちゃんに誘われてロッカールームで支度して外に出ようと思った時、無線機をポケットにいれたままだったことに気づく。
無線機はみんなが持っているわけじゃなくて、ポジションによって他のフロアと連絡を頻繁に交わす必要がある人だけが持っている。たとえば工場長とか、洗濯して上の階にあげる人、それを受け取って乾燥機に入れる人など。
下っ端の私は普段は無線機は持たないんだけど、今日は江坂さんが休みだから代わりに持っているように言われた。
無線機は五階の事務所に置いてあって、使い終わったら事務所に戻すことになっているんだけど、私は無線機を持って仕事をするのが初めてだからまだ慣れなくて、タイムカードを押した時に戻すのを忘れてしまっていた。
ポケットから無線機を取り出して一度ロッカーの棚の上に置き、コートに袖を通して斜め掛けのショルダーを掛けてから、無線機を握る。
二階から五階へ一段飛ばしに階段を駆け上がり、ちょっと息をあげながら事務所のドアを開けようとして、ぴたっとその場に縫い止められる。
事務所のドアは立てつけが悪く、普通に閉めただけではぴっちり扉はしまらず隙間が出来てしまう。
いまも事務所の扉は完全には閉まっておらず、その隙間から室内の明かりとコーヒーの香り、それから話し声が聞こえてきた。
工場長と薫子さんだ。
「コーヒー、どうぞ」
「ありがとうございます」
隙間から室内を覗くと、パーテーションの向こう側に消えていく工場長の背中が見えた。
きっと、滅多には使われない応接スパースにいるのだろう。
カタカタと椅子をひいて座る音が聞こえる。
薫子さんは工場長に会いに来たのかな……
工場長が薫子さんにコーヒーを渡して、二人で飲んでいるのだろう。
私は事務所の中に入るかどうか躊躇する。
静かに入れば気づかれないとは思うけど、二人が一緒にいるところを見たくなくて。
たとえ姿はペーテーションで見えなくても、二人の楽しそうな会話が聞こえたら、きっと辛い。
でも、無線機を持って帰るわけにもいかないし。
ってことは、事務所に入らないといけないわけで……
扉の前に立ち尽くしたまま、頭の中でぐるぐる。
入らなきゃいけない、でも入りたくないって気持ちが堂々巡りして動けない。
「――マカロンのお味はいかがでしたか?」
完全に自分の思考に囚われていた私は、ふっと聞こえてきた薫子さんの言葉にひゅっと息を飲む。
喉の奥に冷たい物を押し込められたように苦しくなる。
「ああ、この間はありがとうございます。マカロンって初めて食べるけど美味しかったですよ」
顔は見えないのに、キラキラスマイルを浮かべている工場長の姿が見えて。
それから、頭の中が真っ暗になる。
もう何も考えられなくて、何かを考えている余裕がなくて。
物音を立てずにわずかな隙間から事務所に滑り込み、無線機を置くと同時に身をひるがえして事務所から飛び出した。
階段を駆け下りながら、頬に冷たい感触を感じて、はっとする。
ぽろぽろと涙が溢れてきて頬を伝ってこぼれ落ちていく。
無我夢中で逃げるように事務所から出て、階段の途中で足が止まる。
「なんだ、そっか……」
ぽろっとこぼれた言葉と一緒に、涙だけじゃなくて気持ちまでぽろぽろこぼれていく。
自分のために工場長が用意してくれたと思っていたマカロンは、工場長が薫子さんから貰ったものだったんだ。
本当にあれしかなかったから、他の従業員にばれないように秘密って言っただけで。
特別でもなんでもなかった――
工場長にとっては特別な意味はなかったのに、勝手に勘違いして……
工場長のこと諦めなきゃいけないのに、工場長の手をとった罰なんだ……
すらりと背が高く美麗な容姿の工場長とふわふわの砂糖菓子みたいに可愛い薫子さんが並んでいる姿が脳裏に思い出される。
なんてお似合いの二人なんだろう。
工場長には婚約者の薫子さんがいて、彼女だけが工場長の特別で――
私は、ただの従業員でしかなくて……
フレンチレストランの表でキスをしている二人の姿――
『本当に柊吾のことを思うなら、諦めてくれるよね――?』
そう言った社長の真剣な眼差し。
ぽろぽろと頬を伝ってこぼれていく涙と一緒に気持ちもこぼれていく。
好きって気持ちがどんどん膨らんでいって、気持ちを伝えられなくても側にいられるだけで幸せだって思ったのに。
工場長と薫子さんが一緒にいる姿を見るのは辛くて、工場長の特別が自分じゃないって思い知らされて切なくて。
でも、絶対に工場長の特別になることは出来ないんだ――
それならやっぱり、諦めるしかないんだ――……




