甘いお菓子に気をつけて? 1
「あれっ……」
困ったような工場長の声に顔をあげれば、首の後ろに手を伸ばして何かやっている工場長がいて、作業の手を止め声をかける。
「どうしたんですか?」
「あー、絡まったみたい……」
なにが絡まったのかと不思議に思い工場長に近づいてみると、無線機のイヤホンが外れて背中でセーターに引っかかってしまったようだった。
工場長は腕を上に折り曲げて首の後ろに手を差し入れて必死にコードを引っ張るけど、コードは頑固にセーターに絡まってしまっているようだった。
背中じゃ、自分じゃとれないよね。そう思って。
「取りましょうか?」
尋ねながら工場長に一歩近づき、思いっきり背伸びして両手を工場長の首の後ろに伸ばす。
それと同時に、工場長も自分でとることを諦めたのか軽くため息をつきながら「ああ、お願い」って言って、私が取りやすいように少し屈んでくれたんだけど。
「……っ」
「――っ」
いきなり目の前に工場長の顔が迫ってきて、息を飲む。
私が背伸びして工場長が屈んだものだから、約三十センチの距離なんてあっという間にゼロになってしまった。おまけに向かい合った格好だったから、どちらかがちょっとでも動けば唇が触れてしまいそうな距離にドギマギしてしまう。
息も触れそうな距離に工場長の端正な顔があって、心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかってくらいうるさくなる。
私は慌ててつま先立ちをやめて、俯く。
「すっ、すみません……、前からじゃなくて、後ろからの方がいいですよね……」
自分でもぎこちないのが分かったけど、なんとか誤魔化すようにへらっと笑って工場長の後ろに回り込む。
「あっ……、うん、お願い……」
工場長もちょっと歯切れ悪かったけど、私が取りやすいようにまた屈んでくれて。でもそれだけでは届かないからやっぱり私は目一杯背伸びして、なんとか工場長のセーターの襟元に絡んでいる無線機のイヤホンとコードを外した。
「はい、取れましたよ」
外したイヤホンを手渡すと、工場長がふふっといつものからかうような微笑を浮かべる。
「ありがとう、それにしても宇佐美さんは本当に小さいね、身長いくつ?」
「百四十八センチです」
「ふ~ん」
そう言って私の頭から足先まで見つめてにやにや笑うから、唇を尖らせて反抗する。
「うちの家系はみんな小さいんですっ。我が家では標準なんですから、工場長が高すぎるんですっ」
「そうかなぁ~」
「そうですよっ、明白じゃないですか、工場内で工場長が一番背高いじゃないですかっ!?」
「気にしたことなかったけど……、そうなの?」
前半は一人ごちて、後半は側でアイロンをかけていた本町さんに尋ねる。
会話が聞こえていたのか、本町さんが苦笑して「そうですよ」って肯定すると、工場長は考えるように顎に手を当てながら唸る。
「そっか、俺って背が高い方なのか……」
「えっ、本当に気づいていなかったんですか……?」
ちょっと呆れて尋ねたら、急に真剣な眼差しで見つめられてどきっとする。
「宇佐美さんは、背、高いの嫌い――?」
斜めに見おろすその瞳に一筋の憂いの影があって、私の胸をついた。
嫌いなわけがない――
私は見上げるほど背の高い工場長が嫌いじゃない。
凛として姿勢のよい長身も、アイロン台が低いのかその前に立つときだけ猫背になる背中も、いつも見惚れてしまうのに。だけど。
そんなこと言えるわけがなくて。
「好きじゃないです――」
そう言うしかない。
言いながら俯いて、ぎゅっと奥歯をかみしめる。
それからぱっと顔を上げて、愚痴っぽく言う。
「だって、工場長と話す時はいっつも首が折れるんじゃないかってくらい見上げないといけないんですよ? とても首が疲れます」
「ははっ、そっか」
ちょっと真面目な口調で言えば、好きじゃないと言ったのに工場長はなぜか嬉しそうに笑って行ってしまった。
その後姿を見送って、気づかれないくらい小さなため息をついてから私も自分の持ち場に戻る。
工場長に「嫌い?」って聞かれて、不覚にもどきっとした。
嘘でも嫌いなんて言えなくて、でも好きだとも言えなくてあんなふう誤魔化しちゃったけど、本当はあれもちょっと嘘。
私と話す時、工場長はいつも周りの人が気づかないくらいちょっとだけしゃがんでくれるだよね――
私はもう一度、はぁ~っとため息をもらす。
でも、いつも通りに出来てたよね、って内心ほっとする。
合コンに行ったら工場長が婚約者と一緒にいるところに鉢合わせちゃって、なぜか送ってもらうことになって、二人が正式に婚約したって聞かされて、家に送ってもらう途中で逃げてきちゃって……
どんな顔して工場長に会えばいいんだろうって不安だったけど。
ちゃんといつもどおり笑えてたよね……?
工場長がいつも通りなのは予想してたけど、まったく気にされていないのもちょっと悲しいかも。でも、「どうして途中で降りたの?」って聞かれても、上手く答えることができないと思うから、何も聞かれないで良かったとも思う。
そんなことを考えながら、心ここに非ずって感じでも、体に染みついてしまったのか手だけは次から次へと衣装にアイロンをかけていき、既定の大きさに畳んで積み上げていく。
あーあー。なんか結局、私はいつも工場長のことで、悩んでいる気がする。
どんなに悩んだって仕方がないって分かっているのに。
なんでなんだろう……
そんなことを考えていたら。
「宇佐美さん、またペースが速くなったね」
「……っ!?」
ひょいっとアイロン台の前から覗き込まれて、驚きのあまりアイロンを落としそうになる。
そんな私の様子なんて気にも留めず、工場長は嬉しそうに一人頷く。
「うんうん、えらいね」
そう言って、私の頭をよしよしって撫でて行ってしまい、そんな工場長の後姿を呆然と見つめる。
口調といい頭を撫でる行為といい、明らかに子ども扱いで以前だったらそのことに拗ねるのに。
ぼぼっと顔に熱が集中する。顔が真っ赤になるのが自分でも分かって嫌になってしまう。
子ども扱いだって分かっているのに、子ども扱いでも頭をなでられたことが泣きそうに嬉しくて。
触れられたところから甘い痺れが走って、心臓がどきどきいいすぎてどうにかなってしまいそうだった。




