恋を忘れる方法はありますか? 7
道路を駆け抜ける車内には重苦しい沈黙が続いていた。
お店を出た瞬間、工場長と薫子さんがキスしている現場を見てしまって驚きすぎて固まってしまった。二人は婚約しているのだから当り前の事なのに、その現実を嫌というほど突きつけられて、重い氷を胸に押し込められたように苦しくて声が出なかった。
しばらく離れがたそうに工場長に抱きついていた薫子さんは私に気づいて、ぱっと顔を照れたように染めて車の後部座席に乗り込み、走り出した車の窓から顔をのぞかせて私達が見えなくなるまでずっと手を振ってくれていた。
その後、車を駐車場から出してきた工場長にドアを開けてもらって助手席に居心地悪く乗り込み、工場長の運転する車で家まで送ってもらうことになった。
住所を告げた時、「ほんとに反対方向だったんだな」ってぼそっと告げた工場長に首を傾げて、なんのことか聞こうと工場長を仰ぎ見たのに、工場長は何も答えてくれなくてそのまま沈黙が続いている。
どうして、工場長に送ってもらってるんだろう――
ってか、送ってもらっちゃって、本当によかったのかな……
私の意見なんかまるっと無視して決まったことだからいまさら考えてもどうしようもないことなのかもしれないけど、そう考えずにはいられない。
そんな思考を断ち切るように頭を大きく横に振り、関係ない話題をふる。
「そういえば、今日はお酒飲んでないんですね?」
車を運転している時点でそんなことは分かりきっていることなんだけど、こんなどうでもない話題を話すしかなくて。
工場長もいまさらそんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、一瞬、大きく目を見開いてこちらを見、すぐに、真剣な眼差しが前に向けられる。
「彼女が飲めないのに一人で飲むわけにはいかないからね、それに帰りは彼女を送っていくつもり、だったから……」
しまった、というように工場長が歯切れ悪くなり、言葉を切る。
「すみませんね、邪魔してしまって」
工場長が黙るから、ついむっとした口調になってしまう。
「私のことなんて放っておいて、彼女を送ってあげればよかったのに、大事な婚約者さんじゃないですかっ」
自分の言葉が刺々しいのに気づいていたけど、どうしようもない。
苛立ちを乗せるように言ってしまい、言った後に後悔する。
ちょうど赤信号で車が止まり、私の言葉に驚いたように工場長がこっちを見る。
「どうして婚約のこと……」
「社長に聞きました、ついでに社長と工場長の関係とか、社長の性別についても……」
言いながら、出来ればどうしてその話を聞く状況になったのかは突っ込まないでくださいと願う。だって、いきさつを話すことになったら、また工場長が怒りだしそうで怖い。
「柚希のやつ……」
工場長は忌々しげに舌打ちして、社長の名前を呼んだ。
そんな表情の工場長がなんか珍しくて、いつもなら聞けないことがすらすら喉から言葉になっていく。
「あの人が……、婚約者さんなんですよね……?」
「そう、小松 薫子さん」
「学生さんって言ってたけど、いくつなんですか?」
「十六……」
一瞬、視線を彷徨わせて、歯切れ悪く答えた工場長を、思いっきり凝視してしまう。
「高一ですか……!?」
「たぶん……」
若そうだとは思ったけど、二十歳とかせめて大学生くらいだと思ってたのに、高校生――!?
声にならないほど驚いていたら、工場長がこほんっとわざとらしい咳払いをする。
「親同士が知り合いで、彼女が生まれた時から決まっていたことだ……」
絶句していた私は、「だからロリコンとかそういうことではなく……」とかぼそぼそ言っている工場長の声はまったく聞こえなくて。
「十六歳にこの子とか言われていた私って一体いくつに間違われていたんでしょう……?」
ボソッと漏らした私に、工場長が目を瞬く。それから、ぷっと噴き出した。
必死に笑いを押し殺そうとしているけど、ついには声をあげて笑い始めるから、じとっと睨んでしまう。
「どうしてそこで笑うんですかっ!?」
「宇佐美さんが気にしてるのがそこだとは思わなくて。いや、うん、俺も薫子さんは宇佐美さんの年齢を誤解しているなぁ~っとは思ってたけど」
「やっぱり気づいていて訂正してくれなかったんですね!?」
詰め寄る私に、工場長はまだくすくす笑いながら、子ども扱いで私の頭をふわっとなでる。
「ごめん、ごめん。でも、あそこで訂正したら――」
そこで言葉を切った工場長は、さっきまでの笑いをしゅっとおさめ感情の読み取れない表情になる。
「俺と宇佐美さんが知り合いだって彼女が知ることになるし、薫子さんに心配かけたくなかったんだ」
その言葉が、ずんっと胸に重くのしかかる。
「そ、ですね……」
分かりきっていたことなのに。
宇佐美さんとのこと誤解されたくないから――って暗に言われて泣きそうになる。
「今日はデートだったんですか?」
瞳から溢れてきそうになる涙をこらえて、尋ねた自分の言葉に、堪えていたものが溢れそうになる。
そんなこと聞きたくないのに、なんで聞いちゃったんだろう……
墓穴を掘るような発言に、気分はへこへこに沈んでいく。
工場長はハンドルを握り視線をまっすぐにむけたまま、どこか歯切れ悪く口ごもる。
「柚希から聞いたならだいたいの事情は聞いていると思うけど、今日は午後から小松家との結納を済ませてその後二人で食事に行くように言われて薫子さんと……」
歯切れ悪い工場長の言葉が言い訳みたいに聞こえるのは私が、そう思いたいからなのかな。
結納って言ったのは、そういえば私には何のことかわからないと思ったのかな。でも。
「ご婚約、おめでとうございます……」
震えそうになる口で精一杯虚勢を張ってお祝いを言う。
工場長の体が強張り、ぼそっとささやくように「ありがとう」と言われる。
工場長の声は沈んでいてぜんぜん嬉しそうじゃないし、私もとてもおめでとうといったような声音じゃなくて、また車内に沈黙が落ちる。
工場長から距離をとるように窓側に体を寄せ、気づかれないくらい小さな吐息をもらす。
それと一緒にぽろっと涙が溢れてきて、慌てて涙をぬぐおうとして、それすらも面倒になってしまう。
どうせ私が泣いていたって、足が痛くて泣いているって勘違いするんだ。それなら、それでいいや。
誤魔化すのもしんどくて、私は窓の外に向けていた瞳をゆっくり閉じた。
『瑠璃ちゃんが柊吾の財布届けてくれた日、その婚約者の一家と食事会があったんだ。結納ももうすぐだよ』
『あいつは君の気持ちには答えてくれない――』
『本当に柊吾のことを思うなら、諦めてくれるよね――?』
社長の威嚇するような鋭い眼差しと牽制する言葉が脳裏によみがえる。
本当に社長の言うとおりでした……
もっと早く諦めていたら、こんなに辛くなかったのかな……
この気持ちに気づかなかったら、こんなに苦しくならなかったのかな……
初めて人を好きになって、恋がどんなに切ないのか知った。
この気持ちは工場長に教えてもらったんですよ。
そっと閉じていた瞳を開いて、窓ガラスに映る工場長を見つめる。
だから。
忘れ方も工場長が教えてください――……




