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love it  作者: 滝沢美月
6便
44/78

恋を忘れる方法はありますか? 6



「おいで」


 気づかうような優しい声音でささやかれて、私はこくんと頷く。

 工場長に腕を引かれて、ゆっくりと歩き出す。

 きっと、その手を振りほどかなかったからいけないんだ。

 これはきっと、約束を守らない私への天罰――……



  ※



「柊吾さん――っ!」


 遠くから聞こえた、鈴を転がすような可愛らしい声音にびくっと肩が震える。

 一歩を踏み出した格好のまま、地面に縫い止められたみたいに微動だにできない。

 パタパタとかけてくる足音がやけに大きく響く。

 パステルブルーのワンピースを着た華奢な少女が頬を染めながら駆けよってきて、工場長に抱きつくようにその胸に飛び込んできた。

 瞬間、私の腕を掴んでいた工場長の手がぱっと離れる。

 離されたのか、抱きつかれた反動で離れてしまったのか、私には判断できないけど、私は思わず一歩後ずさってしまう。


「心配しましたよぉ~、お手洗いからなかなか戻ってこないので、気になって来てしまいました」


 腰まであるふわふわのロングヘアを揺らして、にこっと微笑む少女に思わず見とれてしまう。

 なんか喋り方といい、雰囲気といい、すごい可愛い子だなぁ……

 たぶんその時の私は、ぽかんと口を開けてみていたと思う。


「すみません、通路でう……、彼女が足を痛めて蹲っていたので」


 工場長の喋り方もなんかいつもと違う。そんなことを思いつつ。

 いま、宇佐美さんって言おうとして言い直してことに気づいてしまって、胸がつきんっと痛む。

 工場長が気づかっているっていうか、なんだかいつもと違う雰囲気にぴんとくる。

 もしかしてこの子が、工場長の婚約者――……

 工場長の言葉で彼女が振り返り、呆然と見つめているしかできない私の存在にいま気づいたようにビックリした表情になる。


「まあ、大丈夫ですかっ!? ご気分がすぐれないのですかっ!?」


 彼女は眉尻を下げ心配そうな表情になると、私の手を掴んで顔を覗き込んできた。

 突然の行動に呆然としてしまう。


「大丈夫です……」

「でも、泣いていらっしゃるわ」


 その言葉でやっと私は自分の頬をぽろぽろと涙がこぼれ落ちていることに気づき、慌てて手の甲で拭う。


「あの、平気です、じゃあ」


 それから顔をあげた私は、強がって笑ってみせる。

 だって、この場にもう一秒だって居たくない。

 泣いているのが怪我のせいだって勘違いしてるならもうそれでいいや。

 もうこれ以上、工場長とこの子が一緒にいるところなんて見たくない……

 私は二人から視線をそらすように俯いて、その場から立ち去ろうとした。それなのに。


「ダメですわっ! 泣いている女の子を一人で放ってなんておけませんっ、お家まで送ってさしあげますっ!!」

「えっ、あの……」


 口を挟む隙も与えず、彼女は使命感に瞳を輝かせている。


「いいですよね? 柊吾さん」


 振り返り、両手を胸の前で握って工場長に可愛くお願いする。

 なんだかすごくころころ表情が変わる人だなぁ……

 完全に置いてけぼりな状況に、ぽかんとそんなことを思ってしまう。

 ってか、工場長に抱きついた時は小さくて可愛らしい女の子って感じたけど、振り返った彼女は私よりも背が高くて見上げる形になってしまった。まあ、工場長と一緒だったらたいていの女の子は小さく見えるよね。そして私の身長が百四十八センチと小さすぎるんです……

 そして、たぶんこの小さな背のせいで、彼女は私のことけっこう幼いって勘違いしていそう……

 ちらって視線をあげれば、工場長も彼女の勘違いに気づいていそうなのに、そのことには触れずに彼女に微笑を浮かべる。


「そうですね、薫子さんの意見に賛成します。ですが、もう夜も遅いですし、薫子さんは先にお帰り下さい、彼女のことは私が責任を持って送り届けますので」

「えーっ」


 薫子さんと呼ばれた彼女は、あからさまに不服そうに頬を膨らませて拗ねている。


「そんなぁっ、わたくしだってこの子の事が心配ですのにっ」

「分かっていますよ、薫子さんがとても優しい人だと言うことは。ですが、もうこんな時間ですし、薫子さんは明日も学校があるでしょう?」

「それは柊吾さんだって同じじゃないですかっ」

「私は社会人、薫子さんは――?」

「学生です……っ」


 工場長の優しい笑みなのに有無を言わせない口調で問いかけられた薫子さんは、渋々と言った口調で答え、ぷくっと唇を膨らませる。


「そんなに帰れとおっしゃらなくてもっ」

「先ほど、まだ明日までの課題が終わっていないと言っていたでしょう? 彼女のことがなくてもそろそろ帰るように薦めるつもりでした」


 なんだか二人だけの世界にいるみたいで入っていけない。

 頭の片隅で、薫子さんが私のことを「この子」って言った言葉にあーやっぱり幼いって勘違いされてるって思いながら、目の前の光景が別次元の出来事のように霞んでいく。

 痛みとか疲れとかいろいろなことが押し寄せてきて、眩暈がしてふらつく。


「……っ」


 そんな私に気づいてくれたのは工場長で、咄嗟に伸ばされた腕が私の腰を支えて倒れないように支えてくれた。


「あっ、すみません……」


 そう言いながら、目の前が白くなってきて、ちかちかなにかが光っている。

 本当に気分が悪くなってきたのかもしれない。


「大丈夫ですか……?」


 そう問いかけた声にかろうじて頷きかえす。

 工場長が私にまで敬語つかってるとか考えられるなら、まだ大丈夫かな……


「わかりました、早くこの子を送って差し上げたいから……この子のことは柊吾さんにお願いしますわ」


 薫子さんの言葉で帰ることが決定して、私は工場長に送ってもらうことになって。

 工場長に送ってもらうなんて迷惑かけたくないから遠慮したいのに、もう口を開く元気すらなくて、言われたままに従うしかなかった。

 工場長と薫子さんは荷物を取りに一度部屋に戻るからお店の外で待っているように言われ、その場でいったん二人と分かれる。

 私も一応自分の口で朋さんに帰ることを伝えようと部屋に戻り、朋さんに心配されながら部屋を出てお店の出口に向かった。

 なんかすごいことになっちゃったけど、もう考えるのも億劫で思考を投げ出す。だけど。

 お店を出た瞬間、顔に吹き付ける冷たい風に囚われたように、その場から動けなくなる。

 街灯に照らし出されたそこで、工場長に抱きついた薫子さんの額に、工場長がキスを落としていた。




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