初恋は実らない? 9
「あいつは君の気持ちには答えてくれない――」
社長の言葉を理解するのに、時間がかかる。
冷ややかな声音で告げられた言葉がゆっくりと脳内に響いていき、胸に突き刺さる。
「な、んで……」
喉から出た声は、からからで震るえていた。
工場長があの時、社長の家に泊まることに対して怒っていたのは、社長が実は男性だということを知っているからで、もしかして少しは自分に好意を持っているから怒っていたのかな――
なんて自分に都合のいいことを考えていた矢先に、社長の言葉が鋭いナイフのように胸に突き刺さって、どうしたらいいか分からなくなる。
「瑠璃ちゃんも、うすうす気づいてるんじゃない……」
私を見下ろした社長は、眉根をよせて問いかける。
その言葉に心当たりがありすぎて、苦しくなる。
「わたし……」
顔がくしゃっと泣きそうになって、それを隠すように額に触れる。
「わかりません……、仕事してる工場長がかっこよくてつい見とれちゃって、些細な事でも工場長と話せたら嬉しくて、からかわれているだけだって分かってるんですけど……」
「初恋なんだね……」
ぽつりとつぶやかれた社長の言葉が、すぅーっと胸に落ちてくる。
そっか、初恋なのかって、自覚する。
工場長のこと好きだなって思うことは今まであった。でも、上司として尊敬している部分も多くて、恋なのかどうか自分でよく分かっていなかった。
「柊吾は瑠璃ちゃんのこと気に入ってると思うよ? でもそれだけ。初恋は実らないっていうでしょ? それに柊吾には……」
そこで言葉を切った社長は、その瞳に悲痛な影を落とし、言葉を続けた。
「柊吾には婚約者がいるんだ――」
告げられた真実に、頭の中が真っ白になる。
「えっ……」
「私が生まれる前にうちの両親は離婚して、姉たちと私は母方に引き取られた。それはね、父には女がいたから。離婚後すぐにその人と再婚して生まれたのが柊吾……。父方の実家は紅林コンツェル――大財閥で、柊吾は紅林家の後継者として、それにふさわしい家柄のお嬢さんと婚約中なんだ」
私は俯いて、ぎゅっと唇を噛みしめた。
「瑠璃ちゃんが柊吾の財布届けてくれた日、その婚約者の一家と食事会があったんだ。結納ももうすぐだよ」
工場長に婚約者がいるなんて……
もうすぐ結納もするなんて……
聞きたくなくて、いますぐ耳を塞いでしまいたくて。
「だから、諦めて――?」
冷ややかに告げられた言葉に、驚きすぎで呆然と社長の顔を見返す。
えっ、今なんて……?
振り仰ぐとすぐ上に社長の切れ長の眼差しが私を射抜いてて、その冷たさにゾクッとする。
あまりにも社長が真剣な眼差しで見てくるから、戸惑う。
工場長に婚約者がいるというだけでもショックが大きくて、社長に告げられた言葉をうまく処理することができない。
「えっと、あの……」
なにか言わなければいけないと思うのに、言葉が出てこなくてどもってしまう。
視線を彷徨わせ、恐る恐る社長の顔を見上げると、社長があまりにも悲愴な表情で唇を強くかみしめているから、心を痛む。
社長は苦しそうな表情で前髪をくしゃっとかきあげて、苦々しげにつぶやく。
「うちの父親のせいで柊吾の人生は狂わされたんだ。あの人が柊吾の母親に執着しなければ柊吾は紅林家で辛い幼少期を過ごすことも跡目争いのごたごたに巻き込まれることもなかったんだ……」
吐き出すように言った社長の言葉に、私は俯く。
よく分からないけど、私なんかには計り知れないような複雑な事情があるんだろう。
前に、社長が工場長との関係を教えてくれた時に、家のことを言いにくそうにしていたのを思い出す。
私なんかが踏み込んではいけないような何かがあるんだとは感じていたけど……
「やっとお祖父さまも柊吾のことを後継者として認めてくださって、小松家との結納が終われば正式に後継者になる。だから、瑠璃ちゃんにはこれ以上、柊吾に近づいてほしくない。柊吾は……瑠璃ちゃんのこと気に入ってると思う。その気持ちがいまは恋愛感情じゃなくてお気に入りのおもちゃみたいなものだとしても、なにかの拍子に恋愛感情と勘違いしてしまったら困るんだよね。言ってる意味、わかる?」
運転手席に座った社長は、私の方に体ごと向け、力のこもった瞳で見下ろしてくる。
その威圧感に思わず、びくついてしまう。
今日一日一緒にいたふんわりとした優しげな雰囲気をまとった社長とは別人のような高圧的な瞳に、声が出ない。
「本当に柊吾のことを思うなら、諦めてくれるよね――?」




