恋にハプニングはつきもの? 6
――――っ!!??
一瞬、思考が完全に停止する。
触れ合った唇が離れていって、私の瞳を覗き込む工場長の瞳が艶っぽく揺れて。
その表情を私は、瞳を大きく見開いて見つめていたと思う。
ええっと、いまのって……
キス……?
自覚した瞬間、声にならない悲鳴を上げる。
「~~~~…………っ!!??」
がばっと後ろに身を引き、思わず両手で口元を覆ってしまう。
なっ、なに!?
なんで!?
どうして、工場長が私にキスするのぉ~~……!!??
思考がショート寸前で、頭がぐらぐらする。
直前まで子供みたいにぼろぼろ涙を流していたことなんて頭から吹っ飛んでいって、工場長の意味不明の行動に悩まされる。
状況についていけなくていっぱいいっぱいで、驚きで引っ込んだはずの涙がじわりと目尻に浮かんでくる。
不安げに見上げれば工場長はなぜか無表情で、直後、いつもの色気全開の美麗な微笑みを口元に浮かべる。
うぅ……、なんだか嫌な予感がする……
そう思うのに、聞かずにはいられなかったのは、恋愛初心者だからだろうか。
「あの……、なんでキスしたんですか……?」
こんなんこと聞くなんて恥ずかしすぎて、声はぼそぼそと小さくなる。
だって、あの流れでこの展開っておかしいと思わないっ!?
でも、やっぱり聞いたことをすぐに後悔する。
工場長はまさかそんなことを聞かれるとは思わなかったのか、目を見開いて私を見た。それからわずかに喉を鳴らして、あえぐように息を飲んだ。
「聞いても後悔しない――?」
一瞬、視線をはずし、すぐに私に向き直った工場長は意味深なことを言うから、私は答えにつまってしまう。
どういうこと……?
傷つくような答えなの……?
それって――
そんなふうに言われたら、聞くのが怖くなってしまう。
どんな答えが返ってくるのか想像して、きゅうっと胸が苦しくなる。
「い、いです……、聞きたくありません……」
言うと同時に、私は工場長の家を飛び出した。
工場長の玄関をでてすぐに、私は誰かにどんっとぶつかってしまった。
「宇佐美さん!?」
顔を上げれば、驚いた表情の社長がいた。
※
「どうぞ」
目の前に置かれたのは湯気の立ち上るコーヒーの注がれたマグカップ。
「ごめんね、うち、コーヒーしかないんだけど飲める?」
「はい……」
社長の言葉に私は苦笑しながら頷き、マグカップを手に取り、コーヒーを一杯飲んだ。
苦い……
そう思うのに、なぜかその苦さがいまは心地よくて、私はゆっくりとコーヒーを飲みほした。
コーヒーを美味しいと思ったの初めてかも。
社長がコーヒー飲めるって聞いたのは、きっと、私がいつも工場ではコーヒーを飲まないのを知っていたからだろう。
実は、コーヒーって苦くて苦手。
こんなことを言うと子供っぽいって笑われそうだけど、苦手なものは苦手なのだから仕方がない。別にコーヒーが飲めなくたって死なないし。
工場の休憩室にはウォーターサーバーとコーヒーメーカーが置かれてて、休憩時間にはコーヒーを飲んでいる人が多い。時々、多く入れすぎてしまった人が、コーヒーを配ってくれるんだけど、そう言う時、私は申し訳ないなと思いながら断っている。だって飲めないんだもの。
でも、いま社長がいれてくれたコーヒーは美味しい。
工場長と玄関で話していたからか、すっかり体が冷えてしまって、私がコーヒー苦手って知っててコーヒーを出したのは体が温まるものをという社長なりの気づかいだと分かるからだろうか。
「……大丈夫? 無理して飲まなくていいからね? あっ、牛乳があるからホットミルク作ろうか?」
こたつの斜め横に座って、私の様子をじっと見ていた社長が慌てて立とうとするのを止める。
「大丈夫です。コーヒーは苦手だったんですけど、これは美味しいです」
「本当……?」
「はい。すごく美味しいです、どこのメーカーですか……?」
「そんなに褒められると困るな……、普通のインスタントなんだよね……」
そう言って苦笑した社長は、キッチンからインスタントコーヒーの入った瓶を持ってきて見せてくれた。
「ここの覚えておきます。今度買ってみますね」
瓶をしげしげと眺めて微笑んだ私を、社長はじぃーっと見つめていた。
その視線に気づいて、ことりと瓶を机の上に置いた。
「そろそろ、聞いてもいいかな……?」
気遣わしげに切り出した社長の言葉に、私は小さく一つ頷いた。
工場長の家を飛び出した私は、駐車スペースのところで社長にぶつかてしまった。私が工場長の家に泊まることに納得していると思っていた社長は、私が飛び出してきたことに酷く驚き、とりあえずうちにおいでと言ってくれた。
ついさっき、社長の家に泊まるのはいいのかって工場長に言われて、そんなこといっていないって豪語したばかりだったけど、そんなことに気づかないくらい動揺していた。
工場長の家に行ってからそんなに時間立ってないけど、なにがあったの――?
視線で尋ねられて、私は社長に話すかどうか迷う。
工場長と社長は親密な関係で、そのことを考えると胸がちりちりと痛む。
こんなこと社長に言っていいのだろうか……
ちらっと視線をあげれば、社長は私の様子を伺うようにじっとこちらを見つめている。その瞳に、気づかうような光が揺れていて、私は思い切って話すことにした。
もちろん、キスの部分は伏せてだけど。
「……つまり、それで思わず飛び出してきてしまったと?」
「はい……」
恥ずかしさもあって俯いて頷くと、なぜか社長は盛大なため息をついて首を横に振っていた。
「あの……?」
不思議に思って尋ねると、こっちを見た社長がふわりと優しげな笑みを浮かべる。
「ああ、気にしないで――って言っても気になるよね」
苦笑をもらす社長に私はこくこくと頷く。
「うーん……」
社長は顎に手をあててなにかを考え込むように視線を彷徨わせ、最後に私をまっすぐに見据えた。
その瞳は、すべてを見透かすように鋭くて、どこか優しげな光がまたたいていた。
「まあ、いいかな~?」
ひとりごちた社長に首を傾げていたら、社長がちょいちょいと手招きする。
なんだろうと思って社長に近づけば、社長は私の耳元に唇を寄せてささやいた。
「――私と柊吾は、宇佐美さんが気にしているような関係じゃないから。柊吾は弟」
※ 一部加筆しました。(2013.12.27)




