恋にハプニングはつきもの? 5
どうぞと言われても……
なに? なんでこんなことになっているのぉ――!?
頭の中で大パニックになりながら、なんとか突破口を探して口を開く。
「ええっと……、帰りますから……」
「電車止まってるよ?」
「運転再開するまで待つので大丈夫です」
「駅はすごい人だと思うよ」
「平気です」
「待っても終電間に合わないでしょう?」
「まあ、そうなんですけど……、歩いて帰ります」
「その格好で?」
「歩いていたら熱くなりますよっ」
二人の会話が平行線をたどって、工場長はわずかに眉間に皺を寄せて視線を斜め上に向ける。はぁーっとため息つかれた気がする。
でもさ、工場長の家に泊まるとかあり得ないからっ!!
なんとか帰る許可を取ろうと、工場長が何か言う前に口を開く。
「それに、明日も仕事なんですよ? さすがにこのままってわけには……」
着替えがありません。家に帰って着替えたいですっ!
暗にそうほのめかしたんだけど、ばっさり切られてしまった。
「それなら明日の朝、出社前に家まで車で送っていくよ」
「送っていただかなくて結構ですよ。ってか、工場長の車、工場じゃないですか……」
まあ確かに、このまま電車が運転再開するまで待って電車に乗ってそれでも終電に間に合わなくて途中から歩いて帰って日付変わってから家に着くなら、ここで泊まって始発で帰って着替えてから出社してもそう変わらないかもしれないけど……
なんだか心折れそうになって、黙り込んで俯いてたら。
「そんなに…………のがよかった?」
ボソボソッと工場長が喋るから、ちらっと視線をあげれば、工場長はとても思いつめたような怖い表情をしてるから息を飲む。
「柚希の家ならよくて、俺の家は泊まれないって……?」
自傷気味にこぼした工場長の言葉に、一瞬、「はっ!?」ってなる。
社長の家なら泊まってもいいなんて、そんなこと私いつ言った……?
工場長の家だって無理だけど、社長の家だって無理ですよ……??
訝しげに見上げたら、工場長がその視線に気づいて、ふいっと視線をそらされてしまった。
「私っ、そんなこと言ってません!!」
反射的に言い募ったんだけど。
「泊まっていきなって言われて頷きそうだっただろう?」
「っ……、あれはっ」
射るような眼差しで見つめられてばっさり切られて、言葉に詰まる。
社長のあまりに優しい笑みに思わず頷いてしまうとこだったけど……
社長の家ならいいなんて言ってないです……
声にならなかった言葉を心の中でつぶやく。
工場長は不機嫌そうに横を向いてしまうから、胸の中が苦しくなる。それからだんだんと腹立たしくなってくる。
社長の家には泊まれて工場長の家には泊まれないなんて、言ってないのに。私が違うって言っているのに、どうして聞いてくれないのっ!?
「社長の家なら泊まってもいいなんて言ってないじゃないですかっ!? 勝手に変な解釈しないでくださいっ!?」
なんでこんなことで腹を立てているのか分からない。
だけど一度出てしまった言葉は止まらなくて。
「だいたい、社長の家と工場長の家を比べることなんてできませんよっ、どっちの家だって泊まるなんてありえませんっ! そもそも、なんでそこで工場長が怒るんですかっ? 私はそんなこと言ってないのに勝手に思い込んで勝手に怒って、意味わかりませんっ」
言葉と一緒に、ぽろぽろと涙が溢れてくる。
自分がなんで怒ってるのか、なんで泣いてるのか分からない。
ただ、腹立たしくて、悲しかった。
「ひっく……」
肩を揺らして嗚咽を飲み込む。瞳からはとめどなく涙が溢れてくる。
なんだかもう思考がぐちゃぐちゃだ。
今日は朝からついていなくて、最後の最後に工場長のお財布を拾っちゃって。届けに行こうと思ったのはほんの気まぐれだった。
お財布がないと工場長が困っているだろうと思ったのは本当。
でも本当は、工場長に会えたらいいな――
そう思っただけ。それなのに。
工場長の家には社長がいて、しかも社長は工場長の隣の家に住んでて。
工場長と社長が仲良いのはなんとなく分かっていた。お互い下の名前で呼び合っているし、年も近そうだし。工場長と社長っていう立場上、一緒にいることも多いだろう。でもそれだけだと思ってた。それが、工場長の家に社長がいるなんて思いもしなかった。
ただたまたまいたとかそういう雰囲気じゃなかった。よく工場長の家に来ているような、もっと親密な、私なんかが立ち入れないような深い関係。
それを裏付けるみたいに、工場長の隣の家に住んでいる社長。
二人のあまりにも親密すぎる関係に、胸がもやもやとして苦しくて、息が出来なくなる。
一度は考えるのをやめようと思ったけど、本当は気になって気になって仕方がなかった。
本当に今日はついていない……
工場長と社長が隣の家に暮らすような仲だなんて知りたくなかった……
それでも、知りたいと思ってしまう自分がいて。二人の関係に自分が口出しできる立場ではないって分かっているのに、気持ちが溢れてしまう。
「うっ……、工場長は家の用事で帰ったんじゃないんですかっ? なんで社長と一緒にいるんですかっ? なんで……社長と隣の家に住んでるんですか……?」
最後は嗚咽がまじり、声がとぎれとぎれになる。
ぽろぽろと溢れてくる涙にすんっと鼻をすする。知らず拳をにぎりしめてしまう。
こんな子供みたいに泣いて、工場長は困っているだろうか。呆れているだろうか。
うん、きっと呆れているだろう……
社長との関係なんてお前には関係ないって言われそうで怖くて、工場長の顔を見れない。
こんな泣き顔見られて恥ずかしい。でも、工場長と社長の関係が気になる。なんと言われるのか、想像しただけで苦しくて切なくなってくる。
感情がぐちゃぐちゃになって、自分でももうどうしていいのかわからなくなっていたら。
ふいに、温かい感触がして、びくっと肩を震わせる。
強くつぶっていた瞳を見開けば、あまりにも真剣な眼差しで工場長が私を射抜いて、鼓動が大きく跳ねる。
自分とは違う、工場長の大きくて長い指がゆっくり伸びてきて涙をそっと拭う。瞳にたまった涙を。頬をぬらした涙を。ガラス細工に触れるように優しく拭い、頬に触れた。
両頬を包むように触れられ、顔を見上げさせられる。
こちらを斜めに見下ろす瞳にあざやかな光が浮かびあがって、その美しさに私は息を飲む。
まっすぐに私の瞳を見つめたまま、工場長の顔がどんどん近づいてくるのがやけにスローモーションに見えて。
蛍光灯の光を受けてきらめく工場長の睫毛の長さに驚いていたら。
工場長は私の唇にキスを落とした。




