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love it  作者: 滝沢美月
4便
21/78

恋にハプニングはつきもの? 1



 おそらく、今日の私の運勢はどの雑誌に載っている星占いを見ても最悪に違いない。

 仕事に向かう途中、坂道を一気に下ったら前から飛んできた羽虫が口の中に飛び込んできて、慌てて吐き出した。

 信号が赤になって止まったら、上からボトッとなにかが落ちてきて。新調して袖を通したばかりのコートにカラスのフンを落とされた……

 それで気が動転していたら時間が経ってしまっていつものタイミングで踏切を渡れず、朝の通勤ラッシュ時間帯で右からも左からも次々に電車がやってきて結局全部で八台も電車が通過するのを待たされて。

 出勤時間超ギリギリで事務所に駆け込んだら、何もないところで躓いて派手に転んでしまった。タイムカードの手前、工場長の目の前で……

 今日はほんとについていない……

 コートに落とされたフンはすぐに洗って乾かしたからなんとか大丈夫だったけど、最後の最後でなんでこんな厄介なものを拾ってしまうなんて……

 私は誰もいない作業場で、この世の終わりのような盛大なため息を一つついた。

 アイロン台の横の床に這いつくばるように膝をついていた私の手の先には、二つ折りタイプの黒皮のお財布がある。

 今日の作業を終え、帰る前に明日として外注の包装し終わったものを店舗ごとに仕分けし保管室に運び、ついでにハンガーの補充をしようとして欲張って腕いっぱいのハンガーを天井から釣り下がったパイプハンガーに引っ掛けようとして、身長の低い私ではそのままでは届かないからつま先立ちになって背伸びしたら……

 上手くパイプハンガーにハンガーが引っかからず、何本か散らばり落としてしまった。

 それを集めようと床に膝をつき、アイロン台の裏にも落ちてしまったハンガーを取ろうとアイロン台を回り込んで手を伸ばしたら、床に落ちているお財布を見つけてしまった、というわけだ。

 たいがい私もドジだとは思うけど、こんな普通にしてたら見えないようなアイロン台の裏側にお財布落とすのもかなりドジだよね……

 でも、この工場にそんなドジな人いたかなぁ~

 天井を仰いで一つ息を吐きだし、「失礼します」と呟いてお財布を手にとり中を開く。

 二つ折りを開くと、左側が三段のカード入れになっていてその一番下に免許証があるのが目についた。

 ポケットからほんの少し覗いた免許証の氏名欄には「紅林 柊吾」という名前があって――

 私は反射的に社員旅行で見た工場長の天使もかくやという美麗な微笑みを思い出してしまい、ぼぼっと顔が赤くなってしまう。

 なっ、なんで工場長っ!?

 工場長なんですかぁ~~!!??

 一瞬パニックになりかけた頭に、慌てて首を振る。

 ええっと……、どうして工場長がこんなところにお財布を落としちゃったのかは分からないけど、お財布ないと困るよね。

 工場長って確か車通勤だったし、絶対探しているはずだっ!

 すでに就業時間が終わり従業員が帰り始めている中、工場長がお財布を探している姿が浮かんで、私は膝についた埃を払うのも忘れて、慌てて五階の事務所に向かった。

 工場長は就業後、事務作業を少しやってから帰るから、きっと事務所にいるはずだ。

 と思ったのに。


「ええっ!? 工場長、もう帰っちゃったんですか……?」


 私は呆気にとられて、ぽかんと口を開けてしまう。

 デスクの前に座った牧野さんが椅子ごと振り返りながら苦笑した。


「そうなのよ、なんかご家庭の用事とかでお昼過ぎかな、慌てて帰っていかれたわよ」

「そうなんですか……」


 そう言われてみれば、午後は工場長の姿を見なかったような……

 手元の財布にちらっと視線を向ける。

 やっぱりお財布ないと困る、よね……?


「なに? なんか工場長に用事なら電話してみようか?」

「いえ、大丈夫です。お疲れさまですっ」


 親切で言ってくれた牧野さんの提案を断り、私は挨拶をして事務所を出た。

 階段を下りながら、ちらちらとお財布に視線を向ける。

 そのまま工場を出て工場の隣の駐車場兼駐輪場に入り、自分の自転車に鍵を差し込みながら、そこに工場長の車があることを確認する。

 それからもう一度お財布を開き、「失礼します」と心の中でつぶやいてすっと免許証を引きだし、住所が書かれた欄を見て元に戻した。

 工場長の住所、わりと近くなんだ。

 工場から近くなのに車通勤とか贅沢。

 でも、工場長が自転車乗ってる姿とか、想像できないけど……

 そんなどうでもいいことを考えながら、自転車にまたがり、勢いよくペダルをこぎ出す。

 センサーで夜の闇を感知して漕ぎ出すのと同時にライトが道路を照らす。

 自宅に帰る道とは逆の道を漕ぎ進んでいく。

 細い路地を進み、何度か角を曲がり、大通りに出てからはひたすら通り沿いに歩道の自転車通行帯を走っていく。

 とうに日は暮れた時間だというのに三車線の車道にはたくさんの車が行き交い、大通りに並ぶ商業ビルのネオンと街灯が明るく歩道を照らしていた。

 途中で何度か携帯を取り出し、地図で工場長の住所を確認した。

 四十分くらい自転車を漕ぎ、私は静かにブレーキをかけて止まる。

 大通りから一本脇道に入った場所にある二階建てのテラスハウス。

 道路側に玉竜の草目路のはいった駐車スペースがあり、その奥に白い壁にダークグレーの屋根の建物が横に連なっている。屋根の上には飾り煙突があって、そこだけ見れば異国のような情緒がある。

 これまたイメージだけど、工場長なら汐留とかお台場の高層マンションに住んでいるイメージだったんだけど。

 なんだか可愛らしいテラスハウスでビックリしてしまう。

 自転車をこぎ続けて上がった息を整えるように呼吸を繰り返し、息が落ち着いてから自転車から降り駐車スペースの前の歩道の脇に止め、呼び鈴を鳴らすために歩き出す。

 駐車スペースを横切るのに、呼び鈴に指を伸ばすのにいちいちどきどきしながら。

 あと一センチで指がドアホンのボタンに触れる、その直前。

 ガチャッと開錠される音が聞こえ工場長の家の扉が開き、顔を上げると、玄関から工場長と社長が出てくるところだった――




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