こんなに近くにいるのに遠く感じるのはなぜ? 4
黒たまご食べて、富士山を見て、遊歩道を散策して大涌谷を満喫して、遊歩道の入り口にある売店を覗いていたら、周辺観光地などのパンフレットが置いてある側に「自然探勝歩道ハイキング」と大きく書かれたポスターが貼られているのに気づく。
探勝って、綺麗な景色を見てその景色を楽しむってことだよね。
自然探勝歩道――
なんかすっごく素敵な散策路って感じがする。
しかも、大涌谷から隣の姥子駅まで徒歩三十分なんだぁ~。
三十分くらいなら私でも難なく歩けそうな気がする。
それに中学の林間学校で箱根に来た時に歩いた旧街道を思い出させるポスターの石畳にふつふつと体のうちから好奇心が湧き上がってくる。
従業員同士の親睦を深めるっていうのが目的の社員旅行だから、集合場所から宿までと大涌谷で昼食をとって観光っていうのは毎年の決まった行程でみんな一緒に行動するらしいけど、その後は夕食まで自由行動だと言っていた。
宿に戻って温泉につかるもよし、部屋でゆっくり休むもよし、近場を観光するもよしって行きの電車の中で梅田さんが言っていたことを思い出す。
夕食は十八時から大広間でちょっとした宴会になるらしいけど、それまでにもどればいいってことだ。
もうすぐ十三時になるところだ。
いまから探勝歩道を三十分歩いて、姥子駅からロープウェイに乗って引き返しても、ぜんぜん余裕で十八時までに宿に戻ることは出来る。
よしっ、行こうっ!
勢い込んで踵を返そうとした瞬間。
「なに見てんの? うさちゃん」
「~~~~っ!!??」
ぽんっと肩に手を置かれて、私は声にならない悲鳴を上げる。
完全に自分の世界にトリップしていた私は、突然声をかけられて驚いてしまった。
振り返れば、そんなに驚くとは思いもしなかっただろう暁ちゃんが瞠目して私を見下ろしていた。
「……ごめん、驚かせて」
「ううん、私こそ、変に驚いてごめんね……」
お互い気まずさに視線をそらす。それからふっと暁ちゃんは視線をあげ、私がさっきまで見ていたポスターに目をとめた。
「このポスター見てたのか?」
「そーだよ~」
「ふ~ん、探勝歩道か、旧街道みたいな感じか?」
暁ちゃんが私と同じようなことを想像しているみたいで、ふふっと笑う。
「たぶんね。大涌谷は何度も来てるけど探勝歩道があるなんて知らなかったから行ってみようかなぁ~と思って」
そう言ったら。
「はっ!?」
すごいしかめっ面で聞き返されてしまった……
「今なんて?」
「だから、探勝歩道に行ってみようかなぁ~って」
言いながら売店から外に出る。
昼食後は自由行動ってことになっているけど、一度十三時に集まって宿に戻る組と観光組で別れることになっている。
もう少し観光してから戻ると他の人に伝えようと思って集合場所に向かって歩く私を追い抜かして横に並んだ暁ちゃんが呆れた表情で私を見下ろす。
「昨日ぶっ倒れたやつがハイキングとか無理だろ」
「大丈夫だよー」
「大丈夫に見えない」
「私これでも学生時代はずっと運動部で体鍛えていたから三十分くらいなら余裕だって~」
「それは元気ならの話だろ」
「元気だし」
「病み上がりだろ、電車の中でまだ少し頭痛がするって言ってただろ」
「そんなこと言ったかなぁ……」
暁ちゃんの言葉に私が言い返すと、すぐに暁ちゃんが反論してくる。
お互い一歩も引かない口論に、つい歩調も速くなってしまう。
「ほんとに大丈夫だって~」
へらっと笑いかけたら、鼻の奥がむずっとして。
「くしゅっ……!」
くしゃみが出て鼻をすする。
ジロっと鋭い眼差しで暁ちゃんに睨まれて、肩をすくめる。
うぅ……
それ見たことか、と言わんばかりの視線で見下ろされて思わず押し黙る。
だって平気なのに。熱は本当に朝には下がっていたし、ちょっと頭痛はあったけど、こんなに綺麗な景色見たらそんなの飛んでいっちゃったんだもん。せっかく来たんだからもっと探索してみたいって思うのは当然じゃない……
声には出せないけど、内心でぶーたれていたら、暁ちゃんが「はぁー……」って呆れたような盛大なため息をついて、片手を腰にあて、もう片方の手で頭をぐしゃぐしゃっとかきむしった。
「頑固っ……」
すっごくすっごく小さな声でぼそっともらされた言葉だったけど聞こえてしまった私は唖然として暁ちゃんを見上げる。
まあ、その通りなんだけど……
なんか釈然としなくてふてくされて俯いたら。
ばさっと、ふいに後ろからなにかが覆いかぶさる。
「えっ……!?」
振り仰いだら、暁ちゃんが着ていた真っ赤なコートを着せ掛けられていた。
「これ着てるなら、一緒に行ってやるよ」
そう言ってなんとも言い表しがたい複雑な苦笑を浮かべた暁ちゃん。
コートを脱いだ姿はインナーとVネックのセーターだけの軽装で、私は慌てて暁ちゃんにコートを返そうとする。
「そんな、暁ちゃんが風邪ひいちゃうよ!?」
私の肩を両手で押さえて、コートを脱ごうとするのをやんわり押しとどめた暁ちゃんは、ふわっと勝気な笑みを口元に浮かべて言った。
「俺はうさちゃんと違って体の鍛え方が違うからこのくらいの薄着は平気なの。ちょうど日差しさしてきて暑いと思ってたし」
「でも……」
「俺、北海道出身だし、このくらいの寒さどうってことないって」
そう言って暁ちゃんは私に手を伸ばし、ぐしゃぐしゃっと頭をかきまわした。
「わっ……」
髪の毛をぐしゃぐしゃにされて、私は暁ちゃんの手から逃げるように身をかがめて一歩後ずさる。
正直、一人でハイキングはつまらないと思っていたから、暁ちゃんが一緒に行ってくれるのは嬉しい。でも。
「やっぱり、このコートは暁ちゃんが来てなきゃダメだよ。暁ちゃんが風邪ひかないか心配だし、さすがにコート二枚は重いっていうか、暁ちゃんのコートは私には大きすぎる……」
大きすぎて、コート着てる上からでも着れちゃうけどさ。
歩くなら多少は汗かくだろうし、コート二枚重ねは無理だよ……
コートを脱いで暁ちゃんに返すと、なぜだか暁ちゃんは瞳を見開いて私を見下ろした。それから、はぁーっと一つ吐息をもらす。
「しょうがねーなぁ……」
そう言った暁ちゃんの声には、ぜんぜん困っているような響きはなくて、なんだか楽しそうに聞こえた。
「ダメって言っても行くんだろ。じゃー、やっぱ俺がついていくしかないじゃん?」
白い歯をのぞかせてにかっと笑った暁ちゃんの笑顔がなぜだか眩しくて、私は瞳をしばたいた。




