最終話
東方諸国連合との交渉は、困難を極めた。
一度失われた信頼を取り戻すことは、新たに築き上げることよりも遥かに難しい。
わたくしは、ルーカス様と共に連合の代表国へと渡った。
当初、連合の代表たちは「今さらどの面を下げてきた」と、冷ややかな態度を崩さなかった。
けれど、わたくしは諦めなかった。
まず、エドワード殿下とリリアン嬢のこれまでの非礼を、国王の名代として心から謝罪した。そして、二人が王族の身分を剥奪され、相応の罰を受けることが決定したと伝えた。
次に、彼らの文化を侮辱したことへの償いとして、わたくしが王立図書館の古文書から解き明かした、彼らの建国神話にまつわる新たな史実を贈った。それは、彼らが長年探し求めていた、自らの民族の正統性を示す重要な証拠だった。
そして何より、ルーカス様が隣にいてくれた。
交渉の場で激昂する将軍たちから、彼はその身を盾にするようにわたくしを守り、その絶対的な存在感で議論の場を冷静に保ってくれた。
夜、疲れ果てて部屋に戻ると、いつも温かい食事と優しい言葉で、わたくしの心を包んでくれた。
「君は一人ではない。私がいる」
その言葉が、どれほどの支えになったことだろう。
わたくしたちの真摯な姿勢と、ルーカス様の威光、そして何より過去に築いた信頼関係が功を奏し、連合との関係は雪解けを迎えた。
最終的に、彼らは軍を撤退させるだけでなく、以前よりもさらに強固な友好関係を結ぶことを約束してくれたのだ。
王都に凱旋したわたくしたちを待っていたのは、民衆からの熱狂的な歓迎だった。
「シャーロット様、万歳!」
「ヴォルフガング公爵こそ、我らが真の英雄だ!」
馬車の中からその光景を見た時、わたくしは静かに涙を流した。もう「地味な令嬢」と蔑む者は、どこにもいなかった。
そして、断罪の時が訪れた。
正式に王位継承権を剥奪されたエドワードと、男爵家を勘当されたリリアンは、罪人として法廷の場に引きずり出された。
彼らの罪状は、国家を危機に陥れたことだけではない。わたくしが匿名で提出していた数々の功績を、自らのものとして偽っていた詐称の罪も明らかにされた。
「そ、そんなはずはない! 私は、私の実力で……!」
「いやよ! わたくしは、王子妃になるはずだったのに!」
最後まで見苦しくわめく二人だったが、次々と突きつけられる動かぬ証拠の前に、その顔は絶望の色に染まっていった。
判決は、国への賠償のための鉱山での強制労働。彼らがこれまで享受してきた華やかな生活とは、無縁の場所だった。
自らの愚かさが招いた当然の結末。
けれど、その姿を見ても、わたくしの心に喜びはなかった。ただ、深い虚しさと、一つの恋の終わりに対する、かすかな哀れみがあるだけだった。
すべてが終わり、王国の未来に再び光が差し込み始めた、ある晴れた日のこと。
わたくしは、ルーカス様と共に、ヴォルフガント公爵領にある美しい湖のほとりを訪れていた。
ここは、彼が子供の頃に過ごした、思い出の場所なのだという。
「……ようやく、穏やかな日々が戻ってきたな」
隣を歩くルーカス様が、優しい声で言った。
わたくしは、彼の腕にそっと自分の腕を絡める。
「はい。ルーカス様、あなたのおかげです」
「いや、君がいたからだ。君という光が、私の進むべき道を照らしてくれた」
彼は立ち止まると、ゆっくりとこちらに向き直った。
その赤い瞳が、愛おしさに満ちた熱を帯びて、まっすぐにわたくしを見つめている。
「シャーロット」
彼の指が、わたくしの頬を優しく撫でる。
「君を初めて見かけたのは、王宮の図書室だった。君は、誰にも気づかれない片隅で、黙々と膨大な資料を読み解いていた。その真摯な横顔が、あまりに美しくて、私は目を奪われた」
それは、わたくしが東方諸国連合との条約のために、彼らの歴史を学んでいた時のことだった。
「それからだ。私は、ずっと君だけを見ていた。君がどれほどの才知を持ち、どれほど深くこの国を愛しているか。そして、その功績をすべて、あの愚かな王子に奪われても、文句一つ言わずに耐え忍んでいる姿を」
知らず知らずのうちに、視界が涙で滲む。
わたくしが孤独に戦っていたあの頃、ずっと見ていてくれる人がいた。
それだけで、これまでの苦労がすべて報われる気がした。
「婚約破棄のあの夜会で、君が絶望に打ちひしがれているのを見た時、私はもう自分を抑えることができなかった。ようやく、君を私の腕の中に迎え入れる口実ができたのだからな」
悪戯っぽく笑う彼の顔は、まるで少年のようだった。
『氷の悪魔』などではない。ただ、不器用で、一途なだけの、優しい人。
「シャーロット。私は、君の本質を愛している。君の聡明さも、慈愛深さも、そして、私が知る誰よりも強いその魂も。私のすべてを懸けて、生涯君を守り、愛し続けると誓う」
そして彼は、ジャケットの内ポケットから、小さなベルベットの箱を取り出した。
箱の中には、夜空の星をすべて集めたかのように輝く、サファイアの指輪があった。
それは、ヴォルフガング公爵家に代々伝わる、当主の妻に贈られる指輪だという。
「もう一度、言わせてほしい。シャーロット、私の妻になってください」
その言葉は、初めて求婚された時よりも、ずっと深く、温かく、わたくしの心に響き渡った。
「――はい、喜んで。私の、愛しいルーカス様」
涙で濡れた笑顔でそう答えると、彼は優しくわたくしを抱きしめた。
彼の胸の中で、わたくしはもう「氷の人形」でも「地味な令嬢」でもない。
ただ一人の、愛される女性としての幸福を噛み締めていた。
見せかけの華やかさは、いつか色褪せる。
けれど、人の本質を見抜いて結ばれた真実の愛は、永遠に輝き続ける。
わたくしたちは、これから二人で手を取り合って、この国を、そしてお互いを深く慈しみながら、未来へと歩んでいく。
その道のりが、光と喜びに満ち溢れていることを、わたくしはもう知っていた。
湖面を渡る風が、祝福するように、わたくしたちの髪を優しく揺らしていた。
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