優しさの種類
私は朝から、手書きの試験用紙に取り組んだ。
ヨハン様はその答案を全て見てから、私に視線を移した。
「ダニエルが認めるだけの事はあるね。それで、なぜ学園に行く必要があるんだい? エリザベスが入らなければ、他の誰かが一人、入れるのだが?」
ヨハン様の言葉が、一瞬理解できなかった。
「神官の勉強をしなければなりません」
「なぜだい?」
ダニエル様の仲間と、この船の人たちは、私が獣神官候補であることは、知っているのである。
「四神獣様にお会いしなければ、力をいただけないと聞いています」
「それは正解。だが、エリザベスは四つの魔力を、既にいただいている」
ヨハンさんは魔力も高く、魔法の研究者でもあるのは知っているが、なぜ、それが分かったのだろう。
「そんな腕輪をしておいて、なぜ驚いているのさ。試練を受けたのだろう? 公になっていないだけで、エリザベスは獣神官。本来ならば、私はひざまずかなければならないねえ。神官には絶対にならない者が、学園に行ってどうするのさ」
ヨハン様の視線は、私を逃してはくれない。
甘く優しい大人とも、敵対する人とも違うその視線は、私の心まで見据えているような気がした。
「私は特殊な村で生まれ、ダニエル様と旅を続けていました。同じ年の子供と接触もなく、せっかくできた友人も、私のせいで殺されてしまったのです」
そこまで言って、私はうつむいてしまった。
エブリンの代わりを、探しに行きたい訳ではない。
同世代の仲間との日常を、楽しんでみたいと思っただけなのかもしれない。
「これからも、エリザベスの友人となる者は、その覚悟が必要になるよ。当然だろう、その者を手に入れたら獣神官を思い通りにできるんだ。年若い者は獣神官の友人になれた事に、舞い上がるだろうね。その行動が、ねたまれるとも知らずにね。それでも、友人を探しに学園に行くのかい?」
意地の悪い問い掛けだが、少しも間違ってはいない。
私の友人になってくれる大切な人たちに、そのような思いを、させる訳にはいかない。
私は既に、獣神官候補ではなく、獣神官なのである。
「学ぶべき事は、既にない。見ていたら、剣術も良い腕前だねえ。魔法学の教師に神獣様の魔法は教えられない、彼らはその魔法を知らないからね。友人を得るために、遊びがてら学園に来られても、エリザベス様の警護で学園は大変だろうね」
「警護はいらないと思います」
だって私には、ルベがいる。
「エリザベスは馬鹿なのかい? アホな学生を守るための警護です。ルベウス様がいらっしゃるのに、あなたに警護を付ける必要がどこにある?」
散々である。
切り刻まれて、踏まれた気分だが、今日まで学園に通う事だけ考えていたのだ。
今更、それを白紙に戻したら、私はどこに向かって、歩いて良いのかも分からないのである。
「早く獣神官になってしまいなさい。白の大陸どころか世界中に堂々と行けるよ。白の学園の学園長室に遊びに行くのも良い。フォルカの祖父は優しい人だからね。友達は檻の中で見繕うものではないよ。不思議な事に出会ってしまうものなんだ。良くも悪くもね。腐れ縁になるハズレもあって、そのせいで絶望的な未来が、続く事になろうともね」
ヨハン様の視線が途中から、フォルカ様にくぎ付けなのだが……。
思い切り愚痴を聞かされた気がするが、言いたい事は、ちゃんと伝わってきた。
ヨハン様は優しく遠回りはしてくれないが、私の行き先を示してくれている気がする。
ヨハン様とフォルカ様の、第三者には全く分からない会話が始まったので、私は船室を出た。
頭と気持ちが重い気がして、たまらなく外の風に吹かれたくなったのである。
帆船に吹く風に当たりたければ、船尾が特等席である。
「人生は思いの外、面倒臭いわね。息をしているだけでは、終わらないもの」
「そうですね?」
独り言に返ってきた言葉に、驚いて振り向いた。
そこにいたのは、笑顔のハンスさんだった。
「部屋に行ったらヨハンが、ベスと下らない話をしてこいと、言いましてね。ヨハンにきつい事を言われましたか?」
ヨハン様とハンスさんの心遣いは、なぜ、こんなに気持ちを温かくするのだろう。
「いいえ。当たり前の事を言われました。私は特別なのだから、普通に生きると周りに迷惑をかけると、そろそろ自覚するべきなのかもしれません。迷惑が人の人生や命にかかわるものならば、なおの事ですよね」
「ヨハンは誰に対しても、聞き心地の良いことは言いません。ですが、彼ほど人を大切に思う人も少ないでしょう。言い方が優しければ、誤解もされないでしょうがね。あれで照れ屋なのですよ」
ハンスさんは、少し困った顔で、ヨハン様の弁明をした。
「そうですね。初対面から散々でしたから、大丈夫です。優しい方なのは、知っていますよ」
その言葉に嘘はないと、ハンスさんを見た。
「あのフォルカが、彼を選んだのは、正しいでしょうね」
「私もそう思います」
私たちはそう言って、互いに海に視線を投げた。
「ハンスさん、少し立ち入った事をお聞きしても良いでしょうか? お答えいただかなくても、全然かまいませんので」
「怖いですね。できる限りお答えいたしましょう」
ハンスさんは、いつも冷静な大人である。
「ハンスさんはなぜ、イザベラさんの補佐をしようと思われたのですか? 教会の神官への道もあったと思うのですが」
「ああ、なるほど。参考になるかどうかは分かりませんが、イザベラが船に乗った経緯は、聞いていますか?」
ハンスさんは私を見て尋ねた。
「ええ、大まかには」
聞いたのは、初めてこの船に乗った時だった。
その大きな衝撃で、私はいまだにその日の天候すら、はっきりと覚えている。
「人には支えてもらって輝く者と、人を輝かすために支える者がいると、私は思っているのです。私には神官になるより、主神官イザベラを補佐する事の方が、はるかにやりがいのある事に思えたのです。大きな声では言えませんが、私以外の人間には、補佐はできないと思うほどの問題児ですからね」
ハンスさんは、そう言って笑顔を見せたが、二人の間にある絆は、確かで強いものに見える。
この船は穏やかな海ばかりを、航海している訳ではない。
互いに背中を預けるほどの、相手でもあるのだろう。
「フォルカ様とヨハン様はどうでしょう?」
「さあ、どうでしょうね。そうあって欲しいと思っています。こればかりは本人の気持ちですからね」
私には、ヨハン様の決心が確かなものだと分かる。
彼はもう、フォルカ様以上に、白の学園の人だと思った。
「ダニエル様は支えられる人? それとも支える人?」
「ダニエル様は大神官を支える立場だと思いますよ、彼は学生時代から、私たちとは別格でしたからね。そう言う意味ではフォルカもヨハンも周りからは浮いていましたね」
群れそびれた変人が、自然に集まり互いに理解を深めていった、そんな感じが私は嫌いではない。
「なんとなく、わかります」
「ベス、欲しいものがある時は、躊躇してはいけない。駄目でもともとと思っていては、手に入りませんよ。何としてでも手に入れると思う事です。そのためにはどうすれば良いかは、しっかりと考えておくのですよ」
「はい、頑張ります」
ハンスさんは大人だから、きっと、私の気持ちに気が付いたのに違いない。
そっと後押しをされたようで、勇気が湧いてきた。
勇気が暴走しないようにするのは、少し難しいかもしれないが。
それから数日後。
真っ暗な甲板に、私はイザベラさんと立っていた。
だが、獣神官の私の目には真っ暗はない。
どうやら、私が見て置かなければならない事があるらしい。
「この梯子を登るよ」
イザベラさんがだろうか? 私がだろうか? 後者ならば、遠慮したい。
「大丈夫。私が下から付いて行くから」
どうやら、二人で登るらしい……。
「暗闇で何も見えないが、梯子を登る時は、決して下を見てはいけない。ただ、真っすぐ前に目を据えて登るんだ。どんな梯子でも、それは同じだよ」
「はい」
真っ暗ではないから、その注意はありがたい。
前世で登った、スチール製の脚立とは、当然だが、全く違う。
縄梯子は、軸になる足が不安定なのである。その足に気を取られると、足がすくむので、次々に上へと登るしかない。
『大丈夫か? 我がくわえて連れて行こうか?』
『ありがとう。でも、大丈夫。怖くはないわ』
私の頭より、少し大きいだけのルベに、くわえられて登るのは、きっと怖いと思う。見物人はいないが、その姿を見た者は、一生笑顔で過ごせると思うと、ほぼ、罰ゲームである。
「お疲れさま」
そう頭の上で声がした。引き上げてもらって、ペタリと座り込んだのは、見逃してほしい。体に力が全く入らないのだ。
「良く休まずに登れたな。大したもんだ」
イザベラさんは、そう言って笑うが、どの場所で、どのように休めたのだろう。
少なくても、私は足の裏に縄しかない場所では休めない。
『温かい茶がある。カバンからだすと良い』
『ルベ、ありがとう』
私は見張り番の人とイザベラさんに、カップを渡して、飲み物をそそいだ。
「ああ、いいねぇ。目が覚める」
縄梯子を寝ぼけて登っていたのだろうか。
それとも、私が遅くて、眠くなったのだろうか。
「あ、明るくなりました!」
「間にあったか。日の出などは、この先いくらでも見る事ができる。私がエリザベスに見せたい物はあれだ」
イザベラさんが、私の肩に手をのせて、体の角度を少し変えた。
空と海の間が曙色になった時、遠くにドームが見えた。
曙色に白が混じり始め、太陽が辺りを目覚めさせる時、そのドームは一瞬白く光って消えた。
私はきっと、幻を見たのに違いない……。
「あれが白の大陸にある、教会本部だ。このほんの一瞬だけ、高い場所からしか見えない景色だ。近くても、遠くても見えないのだ」
「あれは?」
「神が張られた結界だ。白の大陸は、一年中雪と氷に覆われ、冬は船も近寄れない。だが、あの中には四季がある。教会本部は魔物にも人にも襲われない。白の民はそこで暮らす者の事」
「あの結界から、外にでる事はできないのでしょうか?」
「いや、港の門以外は出入りは自由だ。門はあるが、門番はいない」
「魔物や盗賊は入ってこないのですか?」
「魔物は入らない。盗賊は外にいても仕事はないぞ? 魔物は強いし、凍死はするしな。入って来るなら、港からだが、白の民は魔力が高い。その中でも、選ばれた兵士が門番なのだ。稼ぐ前に捕まるだろうな」
「すごいですね」
白の民以外の者は、港で商売をして帰るのだとイザベラさんは言った。
教会本部は国ではなく、本部の私有地なので、港の先にある門は、許可のない者は入る事ができないようだ。
港には宿も店もあるが、他国の者が店を出す事はできない。
本部も学園も、招待した客が滞在する迎賓館はあるようだ。
学生の親は入れないが、港には宿もたくさんあるのだと言う。
「昼すぎには着くぞ。楽しみだろう?」
「はい」
「では、剣を出せ」
なぜ、ここで剣が必要なのだろうか。
「このロープの上に鞘をのせ、こうして左右をつかむ。あとは床を蹴飛ばすだけだ。付いてこい」
「……!」
イザベラさんが、あっという間に小さくなった。
「船長がすみません」
見張りの船員が、申し訳なさそうに言う。
上ってきた縄梯子で下りようかと、私は足元を見た。
選択肢はない。垂直な梯子を下りるのは無理!
ためらえば、ためらうほど、怖さが増していくのは想像が付く。
私は床をけった。
「あ、命綱!」
彼は言うのが遅いと思う。
戻れはしないのだ。
ロープの先にダニエル様が見えた。
「ベス! ああ、大丈夫ですか?!」
「ラニエルヒャマ……」
悪いが腰が抜けて、立ち上がれない。
「イザベラ、あなたって人は、何をしてくれるんです?」
『ダニエル様、怒らないで。私は楽しかったのですから!』
『怖がっていたではないか』
『ルベ……』
「あん? 私とダニエルがいるんだ、けがなどすぐに治せるだろう?」
「イザベラ、お話があります」
ハンスさんは、顔色も変えずにイザベラさんを連れて行った。
あの手の人は、怒らすとまずい。
助けに行かなければと思うが、腰は抜けたままである。
イザベラさん! ……がんばれ。
お読み頂き、ありがとうございます。
第三章 黒の大陸 はこれで終わります。
ブックマークや評価ポイントでの激励、誠にありがとうございます。
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第四章も引き続き、よろしくお願いいたします。




