懐かしい船
「フォルカ! よく乗ってきたねぇ。塔に行く手間が省けたよ。私に教育についての論文を送ってきたのかと思ったよ。気が向いたので、最後まで読んだが、読まないとは思わなかったのかい? 頭がおかしいのかい?」
ヨハン様の口調は、相も変わらず攻撃的だが、フォルカ様には全く通用しないようである。
強い口調ではあるが、根は優しい方なので、誰も止めはしない。
「ヨハン、煩いですよ。フォルカはいつもおかしいです。手紙を読んで副学長になるために、サブリナを呼んで船に乗って来たのでしょう?」
「それは、正解ではないよ」
ダニエル様の言葉に、ヨハン様は詰まらなさそうに横を向いた。
サブルナさんや、久しぶりに会った船の皆さんと、私は挨拶を交わしていた。
ヨハン様が私に気が付いて、笑みを浮かべてくれたので、挨拶をさせてもらう事にした。
「ヨハン様、その節はお世話になりました」
「エリザベス、顔だけは少し、大人になりましたね。ちゃんと食べていますか?」
「はい」
「では、質が悪いのです。肉が付いていません」
「すみません」
「なぜ、謝罪をしている? 体質はあなたのせいではないだろうに」
ヨハンさんは楽しそうに笑っている。
私にはたちの悪い、酔っ払いにしか見えないが。
「ダニエル、私はおじいさまに言われて、ヨハンを迎えに行っただけだよ」
サブリナさんは大きな声で、後ろにいるダニエル様に声を掛けた。
「おや、本当に勘が外れたようですね」
少し首を傾けて、ダニエル様は小さく笑った。
「ダニエルは、三百枚の手紙をもらった事があるかい? 手紙の部分は、最後の一行だけだよ。それも “ヨハンが副学長になってくれたら、学長になるよ” だけ。私は目まいがしたよ。早速、白の学園の学園長に手紙を送って、先日まで検討を重ねていた」
私は呆れて、フォルカ様を見た。
「ベス、可愛い」
目が合うと、決まって私に同じ言葉をくれるフォルカ様を、最近はパブロフの犬のようだと思っているのは秘密である。
「ヨハンがフォルカの横に付いていれば、安心ですね」
「フォルカが一人で学園長になるなんて、心配しないでいられるかい? できる者がいるとも思えないから、仕方がないよ。文章を書く事しかできない男だからね」
ダニエル様の顔を見て、ヨハン様はため息をついた。
「フォルカ様は文章を普通に書けるのですか?」
私は、ダニエル様を見た。
「ええ、もちろん」
ダニエル様は大きくうなずいた。
「でしたら、それを読めば良いだけですよね」
「斜めに単語だけ読みますから、全く伝わりません」
尋ねた私にダニエル様が、困った顔で答えてくれた。
普通に読む方が、楽だろうとは思うが、彼を普通とは言いにくい。
「フォルカ様、文章を読む練習をしましょうね? きっとお話も上手にできるようになりますよ」
「ヨハンがいる。ベスと話しできる」
私を見て、優しい笑みを浮かべるフォルカ様に、それ以上の事は言えなかった。
そばにいる人たちが、大きなため息をついたのを見て、私は小さく笑った。
多分、それぞれが挫折した経験があるのだろう。
甲板に吹く風が、頬に冷たい。海の上には、まだ行き遅れた冬がいるのだろう。
懐かしい顔ぶれが、気楽に声を掛けてくれるのが嬉しい。
「イザベラさん、オトマール料理長はお元気でしょうか?」
「ああ、ベスたちが乗船すると知って、張り切っているんだ。良ければ調理場に顔を出してやってくれないか。孫を待つ爺みたいになっているから、きっと喜ぶ」
「はい、早速行ってきます」
ダニエル様たちにハンスさんも加わって、話は終わりそうにない。
イザベラさんを補佐しているハンスさんも、学園の仲間だったと知って、なかなか濃いメンバーだと思った。
私はルベと記憶に残っている通路を、調理場に向かって歩きだした。
『あれの料理はうまいからな。珍しい肉を出してやろう』
「ルベの食料は大丈夫?」
『我は食う物に不自由をした事がない』
「そうね」
ルベは人間の私と、同じ食事では足りない事は知っていた。
私が眠った後、深夜に狩りに出て行く事もあるようだが、私の前で、魔物を食べる姿を見せない。
見せられたら驚くだろうが、生きているルベを否定するような、態度や言動をとるつもりはないのだが。
調理場にいきなり入るのは、失礼だと思い、私は食堂からカウンター越しに中を見た。
「オトマールさん! お久し振りです。また、お世話になります」
「おお! 嬢ちゃん。大きくなったな。ちょっと待っていてくれ」
オトマールさんは、他の人に仕事の指示を出して、食堂に果実水を持ってきてくれた。
ルベには深い器に入れてきてくれる辺りが、オトマールさんらしい。
「青の大陸の果物は、出回らないからな」
「懐かしい味です。私が育った教会には、秋になるとこれが実っていたんです」
「そうか、子供の時の食い物の味は、思い出と一緒に残っているから、忘れられないものだ。オレは雪の下に埋まっているニンジンが、それだな」
「ニンジン? 野菜の?」
「ああ、雪の下の畑で眠っているニンジンは、菓子のように甘くてうまい。よく母親に隠れて、掘り起こしたものさ。隠れて食うから一段とうまい」
そう言って笑う顔が、オトマールさんの少年時代の顔を想像させる。
『ベス、肉を出すと言え』
「オトマールさん、ルベがお肉をくれるみたいです。どこに出しますか?」
「本当にか? ありがとうございます。隣の下処理場に案内するよ」
下処理場だというのに、その部屋は奇麗に片付いていたが、頻繁に使われているようで、床は洗い流した後らしく、乾いてはいなかった。
「これは! なんと珍しい物だ」
「竜の赤ちゃん?」
「いや、火吹き鳥だよ」
翼があるから、鳥なのだろうが、大きさは子羊ほどある。
これが空を飛ぶなら、地上を歩くのは危険だと思う。
「赤の大陸の火山に住んでいるから、入手は困難なんだ。鳥とは言うが、高く空を飛べない」
「体の割に、翼が小さいですよね」
「この羽は火を防ぐ効果がある、貴重な物だ」
火山に住むこの鳥は、火の耐性はあるようだ。
口から吐く火が強烈で、わざわざ取りに行く人がいないようだが、肉と脂の味は格別においしいらしい。
「火吹き鳥のスープは、内臓を元気にする。他の食材を使わずに作るんだ。若い者たちは、見るのも初めてだろうから、勉強をさせてやれる。ルベ様、ありがとうございます」
『ベスが捕まった時に、食わせろと赤の神獣が持ってきた。ベスは生で食えんから、良い料理人に会ったら出そうと思っていた』
『ありがとう。若い料理人さんたちの、勉強になるみたいで良かった』
学園の屋敷の料理人が聞いたら、怒ると思うが、ルベから合格点はもらえなかったようである。
特別まずくはなかったと思うのだが。
私は火吹き鳥の解体から、料理の仕方までを勉強させてもらいながら、下働きとして、手伝いもした。
オトマールさんは、私を特別扱いしない人で、前回と同じように接してくれるから、調理場の人たちも気軽に話し掛けてくれる。
船の中なので、ルベはダニエル様の元に行き、私はすっかり調理場の一員になっていた。
おそらく、この先、料理に携わる仕事に就く事はない。
だからこそ、このような体験は貴重だと思うのである。
「嬢ちゃん、船長の部屋にこれを運んで、そのまま飯にしな。助かったよ、ありがとうな」
「楽しかった。また、来てもいいですか? 洗い物ぐらいしかできませんけど」
「ああ、大歓迎だ。嬢ちゃんがいると、こいつらも良く働くからな」
私は調理場の人たちの後ろを、パンのカゴを持って付いて行った。
「船長、お食事をお持ちしました」
「お持ちしました」
調理場の人の真似をして言ってみた。
扉が開いて、現れたハンスさんが、優しく笑った。
「今日のお昼は、格別においしそうですね」
調理場の人が、振り向いて私を見た。
「はい、すごくおいしいですよ。スープなんか絶品です! あ、料理長が腕によりをかけた、一品でございます」
調理場の服を着用しているのだから、調理場の一員として話をしなければいけない事を、すっかり忘れていた。
慌てて直したが、ハンスさんは口元を押さえて、笑いを堪えている。
「ベス、楽しかったですか? さあ、中へお入りなさい」
ダニエル様が、そう言ってパンのカゴを持ってくれた。
「はい。また来ても良いと料理長が言ってくれました」
「良かったですね」
「はい。これは火吹き鳥のスープですよ。すごくおいしいですよ」
食卓の準備が進んでいるが、私は鍋を指差してダニエル様を見た。
「なぜ、味を知っているんだい?」
ヨハン様がこちらを見て尋ねた。
「毒味をさせてもらいました! と言えってスープの係の人が」
ヨハン様の呆れた顔は見ない事にして、私はダニエル様を見た。
「ダニエル様、あのね。半分飲んだら、残りにチーズをのせて、焼いたパンを入れてくれたんですよ。すごくおいしかったの。あっ、内緒だった……」
イザベラさんとハンスさんが笑っている。
少し失敗したと思っているけれど、笑うほど面白くはないと思う。
「エリザベス、チーズをのせて焼いたパンは、持って来たんだろうね?」
「毒味をしたいのですか?」
ヨハン様は何を言っているのだろう。
毒味は私がしたと言ったはずなのに。
「料理長が、こちらをと」
調理場から付いてきてくれた人が、そう言ってチーズのパンを出した。
「オトマールは分かっていたのですね」
ダニエル様はそう言ったが、私が失言をする事をなぜ分かっていたのだろう。
皆が笑っているので、取りあえず笑顔を作ったが、気持ちは微妙である。
『ベス、うまかったのなら、良かったな』
『うん。ありがとうルベ』
私はルベにスープを食べさせた。
『おいしい?』
『ああ、これはうまい。チーズのパンもうまい』
『そうでしょ? これで健康にならなければ、嘘よね』
「ダニエル、あれはいつもの光景か?」
「ええ。ルベはベスから出された物しか食べませんね。あのように手を掛けられるのを好みます」
「あれは、ルベウス様でなくても、好むだろうよ」
ヨハン様は、ルベと私の食事を見た事がなかったのだ。
魔物と食事をするのは、マナー違反だろうが、ルベは特別に許されている気がする。家獣にもランクがあるのだろうか。
初めての人には、許可をもらうのが礼儀かもしれない。
「また、食堂がにぎやかになる。二人が食事をする姿は見たい者が多いからな」
「今週はトマト料理のリクエストばかりだそうですよ」
イザベラさんとハンスさんの声を聞きながら、私はルベの口を拭いていた。
「気持ちは分かるが、ダニエル、これは過保護過ぎやしないかい? 第一野生に戻れなくなるだろう?」
「私も同じ事を、かつて言いました。ですが、ルベは野生だった事はないのです」
「ああ、なるほど」
「確かにそうだな」
「そうでしょうね」
ヨハンさんとイザベラさん、そしてハンスさんまでもが納得したようだ。
そう言えば、ルベはどこで生まれて、いつから家獣なのだろう。
「ベス、可愛い」
フォルカ様は、皆と別な笑みを浮かべて、私を見ていた。
フォルカ様はぶれない……。少しはぶれろ。




