春は忘れずに
「ここは、どこだろう?」
私は天蓋付きベッドの天井を見上げて、つぶやいた。
周りを囲む布が厚手で、辛うじて光は通すが、部屋の様子が分からない。
風呂にいた事を思い出して、慌てて腕輪に触れたが、その存在を確かめて、安心した。
着せられている寝衣で、私は乱暴に扱われてはいないと思った。
上等なシルクの寝衣は、生まれて初めて身に付けたが、なかなか肌に気持ちの良い物である。
私を拉致した人たちには、普段の寝姿は見せられないと、小さく笑った。
“二度あることは三度ある”とはいうが、五年で三度も誘拐されると、さすがに、こちら側に責任があるような気すらしてくる。
私の居場所などは、とうにルベか神獣が把握しているだろう。
犯人が気の毒だとは、少しも思ってはいないが。
私が見たのは、生きている蝶ではなく、タトゥーの蝶だったが、おそらくクレナイの仲間だろうと思う。
エブリンを失った、グイドさんたちの悲しみを考えると、許す気にはならない。
彼女の手紙の内容を、彼らは知らない。
私は彼女に接した男に、会おうと思っている。
『ルベ、ルベ! いる?』
『ここにおる』
ベッドから上半身を起こした私の膝に、ルベが座った。
『私を今は、助けないでほしいの。エブリンがあった男に会いたい。そして、黒幕にも会おうと思っているの。会えなければ、せめて情報だけでも仕入れたい。本当にあの方が黒幕ならば、これは私にしかできないでしょう?』
『四神獣が怒っておる。大切な獣神官を奪われたのだぞ。神獣の怒りを知った神が、黙ってはいない。関係者は裁きを受ける。今のベスは就任前だ、意見は通らぬ。裁きを受けた者が黒幕だと知れば良い』
『そんなぁ、人間の罪は人間が裁くものでしょう?』
何のために、国に警備兵や裁判官がいるのだ。
『大神官と獣神官は、人間ではない。神と神獣は自分の身内を守る』
人間を止めた覚えはない。
これから、そうなるつもりもない。
『わ、私はほら、まだ何もされてはいないから、ね?』
大変な事になりそうで、私は動揺していると思う。
『ベスが、悲しみと怒りで泣いた。それで十分だ。第一、獣神官が人間ごときに、裸で連れ出されたのだぞ、分かっておるのか』
この世界は、風呂に入る時は湯衣を着るが、人目がなければ、私は風呂には裸で入りたいのである。
確かに裸で連れ出されたのなら、私は獣神官としてより、乙女として恥ずかしすぎると思う。
『うん……。動けなかったの。ごめん』
『もう、良い』
部屋の外に大勢の人の気配がした。
扉を開く音のすぐ後で、天蓋ベッドの布が開いた。
「ベス! 無事でしたか?!」
「ダニエル様」
「心配しましたよ」
私を抱きしめる、ダニエル様の匂いは、安心する。
「ごめんなさい。さっき目が覚めたのです。寝坊しました」
ダニエル様はクスリと笑った。
「さあ、帰りますよ」
「クレナイとクレメル元主神官長に会わなくては、また問題が起こります。エブリンの敵を討って、エルモに手出しはさせないように、しなくてはなりません」
そう、私は帰る訳にはいかない。
「ベスが眠っていたのは、三日間です。ルベがその間、あなたのそばで守っていたのですよ」
「ルベ、ありがとう」
小さくて可愛いルベは、いつも頼りになる。
「その間に、この世から三十人以上の人間が消えました。クレナイの一味とクレメルの血族です」
「どうして? 私はまだ何もされていません!」
私は何もされてはいない。なのになぜ、彼らは消されたのだろう。
私にかかわると、どうして人が死ぬのだろう。
それならば、私は誰とも接したりはしない。
「落ち着きなさい。殺されたのはエブリンだけではありません。クレメルとクレナイの証拠がなかっただけなのですよ。フォルカやオーカンの父親たちもそうですが、被害者はとても多いのです。神から、断罪理由を告げられた大神官が、自分で手を下したいと思った程の数だと聞いています」
「そんなに悪い人だったの?」
ダニエル様は静かにうなずいた。
「世界中の警備隊がそれぞれに動けば、逃げる者もでますからね。大神官は神にお任せしたのです。各国の警備隊は事後処理のために、今動いているのです」
『ベス、どうした?』
「殴ってやろうと思っていたの。それもグーで。でも、悲しんだ人や苦しんだ人の数が、殴れないほどの悪人だったのね」
『手が腫れる。許可はできんな』
「殴られて、ごめんなさいが言える人は、悪党にはなっていませんよ」
ルベとダニエル様は当然のような顔をしているが、私には裁判もせずに、死刑を執行している気がしてならない。
彼らの言い分は誰が聞いたのだろう。
「時効とかないのかな……」
「ジコウ?」
「事件を起こして、何年も逃げ続けたら、許してもらえるの」
ダニエル様が不思議そうに、首をかしげた。
「人を不幸にしたのにですか? 誰が許すのですか?」
「国の法律」
私が決めた訳ではないのに、なぜか小さくなって答えた。
「被害者でもない人が、許すのでしょうか? 逃げ得ですね。ジコウは誰もが認めませんよ」
昔は何も感じなかったが、ダニエル様が言う事の方が、理解はできるから不思議である。
「クレメルは、ユキシやクレナイを使い、実に手を汚さず悪事を働いていました。本人は気の弱い男で、隠れるのも上手でしたから、ジコウがあれば利用したでしょうね」
気が弱い大悪党って、たちが悪そうである。
「そう言えば、クレナイが飼育していた蝶は、どうなったのですか?」
「生きている蝶はいませんでした」
ダニエル様は、部屋の外の警備兵から、何かを受け取って戻ってきた。
その手にある布を開くと、赤い色の羽を持った蝶がいた。
既に呼吸はしていなかったが。
「これは、白の大陸の奥地に生息する白い蝶なのです。本来、洞窟から出ることはないのですが、蝶の体に血を固める作用のりん粉が付いています。薬師たちには有名な蝶で、飼育している者もおります。この甘い匂いの、あかい粉は心臓の動きを押さえる薬です、この蝶は粉の重さで、遠くへは飛べなかったでしょうね」
「エブリンは血の塊が、心臓で詰まったのでしょうか?」
「さあ、どうでしょう。さじ加減の難しい薬です。大量に体に入ったのかもしれません。蝶を一度、持たされたと思いますからね」
ダニエル様はそう言って、首を振った。
エブリンの幸せのために、ダニエル様も力を貸していたのだ。
きっと、残念に思っているのだろう。
私一人だけが、悲しい訳ではない。
「フォルカ様の妹さんもこの蝶で?」
「彼女の場合は蝶からではなく、友人からもらった、食べ物でしたからね。捕まった友人たちは皆、紅色の蝶のタトゥーを、入れていたと聞いています」
「やはり、妹さんの分も殴りたかった!」
「今の彼女は、もう大人ですから、自分で殴れるでしょうね」
ダニエル様は、そう言って笑った。
学園の結界も奇麗に張り直され、悪い人たちもいなくなって、平和な日常になるはずが、なぜか騒がしい。
塔のいつもの部屋で、オーカンさんがお茶を用意してくれた。
「ありがとうございます」
「いえ、お二人の分は、後にした方が良さそうですね」
「うん。どこかいびつな友情ですよね」
オーカンさんは二人を見て、小さく笑った。
「それで、ヨハンには手紙を送ったのでしょうね?」
フォルカ様の机の前で、ダニエル様が顔をのぞき込みながら聞いた。
「うん。送った六羽」
「なぜ、六羽なのです? 一枚ずつ送ったのですか?」
「ダニ、五十枚しか送れない」
不思議そうに尋ねるダニエル様に、教えるようにフォルカ様が顔を見た。
「知っています!」
「フォルカ様は五百枚ほどお書きになり、その内の三百枚ほどを送られました」
オーカンさんが、見るに見かねて説明をする。
三百枚の手紙は嫌だな。
「なるほど、それで返事がこないのですね」
ダニエル様はどうやら、納得をしたようだ。
「返事の手紙、いらない」
「なぜですか?」
なぜだろう。
「ほしいのはヨハン、手紙じゃない」
いや、おかしいぞ。その答えが返信されてくるのだと思うが。
フォルカ様は、お茶を飲む気になったのか、私の横に座った。
それから、いつものように、私の頭をなでた。
「ベスも欲しい、可愛い」
「あげません!」
ダニエル様、即答をしなくても、フォルカ様は本気ではありません。
「ダニ、けち」
「ふん。けちで結構です」
どうやら、ダニエル様の反応が、気に入ったようで、フォルカ様は楽しそうに笑った。
大切な友人を亡くしたというのに。たくさんの命が消えたというのに。
冬はその思い出だけを残して立ち去り、春は忘れずにやってきた。
白の大陸の港を目指して、たくさんの船が出て行く。
ダニエル様と私、そしてフォルカ様の横には、学園長の屋敷を退いた、オーカンさんがいる。
本部まで私たちを乗せる船の帆には、赤いハートの中心にドクロ。
“白の海賊船”である。
「お兄さま!」
そう叫んで手を振っているのは、船長のイザベラさん。
「イザベラ、元気」
フォルカ様は嬉しそうに彼女を見た。
「ダニエル様、お二人は」
「ええ、兄と妹ですよ。似ているでしょ?」
確かに、言われてみれば、黒色に近い深緑の髪である。
イザベラさんの瞳の方が、少し明るい緑ではあるが、大柄な体つきまで似ている。海で過ごすイザベラさんと、塔にこもっていたフォルカ様の違いは肌の色だろうか。なかなか見栄えのする二人だと思った。
「そういえば、船に乗った経緯を聞いていました」
「ベスが殴らなくても、彼女が殴りそうでしょ?」
「本当ですね。私よりはるかに大きなコブを、作りそうです」
私たちは船に乗り込んだ。
「にぎやかで、楽しい船旅になりそうですね」
私は、こちらに歩いてくる彼を見つけて、そうつぶやいた。




