フォルカとオーカン
「濡れて困る物は、なくなったわね」
私は靴を脱いで廊下に出すと、水魔法と火魔法のお湯を風魔法で飛ばす。
天井から壁を流し、本棚、机、椅子に至るまで、ことごとく、洗い流した。
最後に床の汚れた水を、風呂場に流した頃、ルベが戻ってきた。
『同じ部屋とは思えぬな』
「臭いも消えたでしょ? 後は乾燥させるだけよ」
『それは、我も手伝おう』
部屋がすっかり乾いてから、ベッドと風呂を整えて、掃除は終わった。
ルベに預けていた、本や書類を本棚に片づけて、私はルベがご褒美にくれた、果実水を飲んだ。
『ベスは公にはされていないが、獣神官だ。四神獣から授かった魔法は覚えておるか? 時、光、闇、空間だ』
「うん。でもまだ少ししか使えないでしょう? 神獣に会っていないもの」
『そうだな。その四魔法が、神官たちにすら与えられないのはなぜだと思う?』
「おそらく、この世界を滅ぼせるからでしょう? 一つや二つで大騒ぎになるほど、魔力が上がる。四つは神官といえども持たせられないのかな? だから大神官と獣神官だけが持てるのでしょう。神や神獣の使いとして」
試練の事は覚えていない。四神獣に直接会って、話もしていないのだから、実感はない。
ただ、試練から私は明らかな自分の変化に、気が付いているのだ。
それは、魔力やおでこのアザではない。前世でも一度も信じていなかった神を、今は、絶対に裏切らないという、強い気持ちがある。
『時は時間を止めるだけではなく、戻す事ができる。ただ、神獣ですら心臓を持つものには使えない。歴史を変える事にもなるから、思慮のない者には与えられん。ただ、この部屋位は使えるぞ?』
「……。それって、ルベも使える?」
ルベは目を合わせると、フヨフヨと飛んでいった。気まずいのだろうが、その姿がかわいくて怒る気にはなれない。
「この塔は古い。六年前に戻しても、これほど奇麗にはならなかっただろうな」
弁解が見つかったようで、ルベが戻ってきた。
「うん。ありがとう、ルベ」
どんな手段であれ、この部屋を奇麗にできた事には、満足している。
「ええ?! これをエリザベス様が、お一人で?」
扉のノックに返事をしたら、入ってきたのは従僕さんだった。
「さすがですね、ベス。疲れたでしょう」
ダニエル様がそう言って、私を優しく抱きしめた。
「ダニエル様、お客様ですか?」
私は、戸口に立ち尽くしている人物を見て言った。
「ベス、怒ってない?」
黒に見える、深い緑の髪を、全て後ろで一本に束ね、髭もなくなっていたが、声は覚えている。
整った顔にある深緑の目だけが、少し怯えたように私を見ている。
「フォ、フォルカ様ですかぁ?!」
彼はコクリとうなずいた。
「ほら、フォルカ。ベスだって驚いていますよ。誰だってあんな臭いでは、そばに寄れないのです。せめて、これからは人間でいてください」
「うん。小さいベス、かわいそう。ごめんなさい」
少し待って欲しい。
フォルカ様はなぜ、私を哀れんでいるのだろう。
「ベス。お風呂に入ってきなさい。体を壊しますよ」
ダニエル様に言われて、私は初めて自分の姿に気が付いた。
動いている時は、寒くはなかったのである。
しかし、窓の外は小雪が風で飛んでいる。
足と手の指は、既に赤くなっていて、それを見た途端、急に寒くなってきた。
「お風呂にお湯を張りました。エリザベス様、こちらへ」
従僕さんが、お風呂の用意をしてくれたようだ。
私は慌ててルベを連れて、お風呂に入った。
着替えは全て、ルベが持っているのである。
「小さいベス、可愛い。可愛い」
私は風呂上がりに、フォルカ様に捕まって、なぜか膝の上に座らされている。
十三歳は年齢的に小さいとは言わない。
確かに痩せてはいるが、二メートルはありそうな長身の人から見れば、小さいだろうが、それならば、彼はほとんどの人を膝に乗せる事になる。
ダニエル様が、ルベにソファーのセットをださせた。
研究室の横には従者用の部屋があり、小さな台所があるらしい。
そこは掃除がされているらしく、従僕さんがお茶を持ってきた。
『ダニエル様、そろそろこの状態になった説明を、してくれませんか?』
私の視線に、ダニエル様は笑顔を見せた。
『そうですね。私がベスを赤ん坊の時から、大切に育てたと話したのです』
フォルカ様の父親は飼育ができる魔物の研究をされていたようで、良い毛やミルクがとれる魔物を育てていたようだ。
フォルカ様は、その魔物の赤ん坊を可愛がっていたようで、ダニエル様が育てた私に興味を持ったらしい。
ちなみに、人間だとは言ってくれたらしいが……。
従僕さんはフォルカ様が、気に入って、連れてきたようだ。
ダニエル様は屋敷に戻って、顔色の変わらなかった男の人だけに、入浴の介助を頼んだらしい。
彼は、祖父母をみとった経験があり、あのモップのような髪を、フォルカ様が嫌がらないように、奇麗に洗ったのだという。
『それで、自分のおそばに?』
『いいえ、彼はここで八年働いているそうですが、彼だけが、塔の裏に回ってここを見上げて帰って行ったそうです。フォルカが、食事をする時は彼が持ってきた物だけを食べていたようです。まあ、子供の頃には、何度か殺されそうになりましたからね』
なかなか物騒な説明だったが、フォルカ様とオーカンさんの人柄が、少し分かったような気がした。
私はここで、しなければならない事を、白紙に戻す必要があると思った。
やるべき事は、フォルカ様を船に乗せる事ではない。
私はフォルカ様の意思や気持ちを、少しでも理解できるように、努力をするのが先だと思った。
それにはまず、私を知ってもらいましょう。
「フォルカ様、これではお顔が見えません。第一、せっかく彼が用意してくれたお茶が飲めません。降ろしてください」
フォルカ様は優しく笑って、私を静かに降ろしてくれた。
「彼はオーカン」
従僕さんを紹介してくれたようである。
「あの人数が一度に名乗っても、覚えられませんよね。オーカンと申します」
昨日は屋敷で働く人たちを、紹介されたのである。
出入りをする以上、不審者扱いをされても困るので、自己紹介をしたのだ。
「ごめんなさい。正直に言うと、昨日は誰の名前も覚えられなかったの。執事さんとその下である従僕さん。女性は侍女頭さんだけお顔を覚えたのですが」
「いえいえ。それで十分用は足りるでしょう」
オーカンさんは、笑顔でそう言ってくれた。
「オーカンさんは、フォルカ様の専属になったの?」
「そう。専属」
その言葉に、一番驚いたのがオーカンさんのようで、おそらくそれは今、皆が知った事のようである。
「オーカン、大丈夫ですか? 従僕をしている位ですから、次の行き先が決まっているのではないですか」
ダニエル様が、心配そうに言う気持ちも分かる。
どう考えてみても、フォルカ様は大変そうな人だと思う。
「私は白の民です。父はフォルカ様のお父上の護衛に付いておりました。あの事故の生存者は一人もおりません。私はフォルカ様のご実家のお力添えで、学園を卒業いたしました。こちらに務めが決まって、フォルカ様のお食事をお持ちする事が、一番の楽しみでした。従僕は十年目に学園長が、次の仕事先をご紹介くださるので、次の職場はまだ、決まっておりません」
「フォルカはオーカンの事を、知っていたのですね?」
「オーカンは泣いていた。雪の山は寒い」
「当時はまだ、子供でしたから」
オーカンさんに異存はないようで、この話はフォルカ様の代わりに、ダニエル様が、交渉する事になった。
「三日に一度程度の食事では、オーカンさんが苦労しそうね。フォルカ様はなぜ食事をしないの? お風呂みたいに、一人では食べられないとか?」
フォルカ様は私を見て、小さく笑った。
「スープがない。おなかがすいた時だけ」
「フォルカの家の食事は、皿が一つなのです。野菜も肉も魚も麦もスープに入っていました。具沢山のスープやシチューという感じですね」
手の込んだ、手抜き料理だろうか……。
「なぜ、それをおっしゃらなかったのですか?」
「疲れる」
オーカンさんの問いかけに、返事は一言だけだった。
「長く説明するのが嫌だったのでしょう。食べる事に興味がありませんからね。本当に手が掛かりますよ。オーカン、断るのなら今ですよ」
「フォルカ様がいらっしゃる間は、できるだけの事はさせていただきます」
ダニエル様を見て、オーカンさんはしっかりと答えた。
彼にとっては、フォルカ様は特別なのだろう。
フォルカ様にとっても、そうなのかもしれない。
自分の父親を失った少年が、同じ境遇の少年を心配していたようである。
それ程印象に残っていたのなら、オーカンさんもまた、フォルカ様にとって特別な存在なのかもしれない。
『ダニエル様、お二人のお父様は事故で?』
『ええ。視察の途中で雪崩に巻き込まれて。フォルカも行く予定だったのですが、例のごとく行方不明で、置いて行かれたのです。それで助かったのですが』
『ふん。あそこは雪崩など、起きんと言っておるだろう』
ルベの言葉を聞いて、私はダニエル様を見た。
『フォルカのおじいさまは、白の学園の学園長です。亡くなったお父様が跡を継ぐと、誰もが思っていたのです。ただ、その席を望んだ者がおりましてね』
事故の証拠もないままに時が過ぎ、神官の勉強をしていたフォルカ様は、卒業時に神官の道を選ばなかったのだと、ダニエル様は言った。
そのフォルカ様がまた、命を狙われたようだ。
フォルカ様は魔力も高く、戦闘能力も優れているという。
そこに護衛まで付いたようで、しばらくは平和だったらしい。
しかし、次に狙われたのは、たった一人の妹だったようだ。
妹は何とか命を長らえ、白の大陸を離れたという。
フォルカ様はそれ以来、人間不信で白の大陸を離れたらしい。
『それって、犯人を捕まえれば良いだけでしょう?』
『主犯も共犯者も捕まりましたよ。ただ、黒幕はそのまま、沈黙しているのです』
『証拠はないのでしょうね? でも、学園長の席は?』
『大神官と他の学園長の会議で、次期学園長が決まる事になりましたから、手がだせなくなったのです。まあ、もっとおいしい席を見つけたようですがね』
白の大陸には、お菓子の椅子がたくさんあるようだ。
『白の大陸って名前は白いのに、腹黒大陸よね……』
『人間のいる場所には、必ず悪人がいる』
『うんうん。善人が目立たなくなるものね』
私とルベの会話を聞いて、ダニエル様は困った顔で肩を落とした。




