行けない村
ダニエル様がこの家に来た二日後、アンバーが部下さんと、ご主人の待つ三区へと帰って行った。
小さな家に五人は多かったようで、急に家が涼しくなった気がした。
そう感じるのは、アンバーがいない、寂しさのせいかもしれない。
黒の大陸の中でも、北にある二区は夏でも湿度が低く、朝夕は肌寒い。
日中でも暑苦しくはないが、人が二人減るだけで、風の通りは確かに違う。
ルベは北の生き物だから、ここは快適なようで、魔物とは思えない姿で、寝転がっている。
ダニエル様は薬草を刈って干したり、手元に保存している薬草を薬にしたりと忙しい。
ジョンは、この家を利用する事が多いようで、気になっていた場所の修理に余念がない。
「ううぅ、苦い……」
「ベス、薬を一つ覚える度に、味見をする人は、私の知る限りあなただけですよ」
「だって、見ただけでは分からないでしょ? だまされないように、舌に覚え込まさないとね。サックリやゴックリで殺されたら、長生きができませんから」
「ゴックリが増えたのですね。用心する事は良い事です」
ダニエル様は、私を見て笑みを浮かべた。
「ベスは、食い物に仕込めば、簡単にゴックリできそうだけれどね」
板を担いで通り過ぎるジョンが、楽しそうに言った。
「うん。ゴックリされるわね、きっと」
「え? ベス?」
ダニエル様は、自信たっぷりに答えた私をのぞき込む。
毒まで全て、味見ができる訳ではない。当然殺す方は、無味や無臭の物を使うと思ったら、毒殺される方は、諦めるしかないと結論付けた。
『悪意のある者も、その魂の気配までは隠せない。ベスには我がいる。だが、薬は臭いで覚えるほうが、体には良いぞ。ベスはその辺の魔物より鼻は良いからな』
鼻が良いと言われても、急に良くなったのなら、分かるだろうが、犬より良いとは思えない。私の頭の中には、シェパードが並んでお座りをしている。
『そうでしたね。私もうっかりしていました。薬草畑と手持ちの物で、毒も教えてあげましょう』
ダニエル様が薬の調合を教える時より、嬉しそうなのはなぜだろう。
まるで、毒薬を作る大義名分ができたと、言わんばかりである。
「ダニエル様、トリが情報を持ってきたのですが、一応、行ってみましょうか」
ジョンがダニエル様に、手紙を手渡した。
「私も気にはなっていたのです。村人の詳細も頼めますか?」
「ここからだと馬で、片道一日半で行けるでしょう」
ジョンは次の日、馬に鞍を付けて出掛けて行った。
「ジョンは馬に乗れるのね。すごい」
「彼らは、馬車を使う事の方が、少ないですからね」
「ダニエル様も乗れる?」
「男の子は職業に関係なく。父親や兄から教わりますからね。私も兄から習いましたよ」
どちらの兄かは聞かない。どちらでも、ダニエル様は懐かしそうに笑うと、私は知っているのだから。
「私も馬に乗る」
「駄目です」
私はその即答に驚いて、ダニエル様を見た。
「危ないからですか?」
「獣神官は馬には乗れないからです。白の大陸に馬もおりません」
きっぱり言い切られてしまったが、納得はできない。
一年中、雪に覆われているから、馬は使えないのだろうか。
砂漠にグープがいたように、馬に代わる生き物が、いるのかもしれない。
だが、馬には乗れないとは、どういう意味だろう。
家に入るダニエル様の背中を、ただ見ていた。
『どうした、ベス』
『ルベ、なぜ獣神官は馬には乗れないの?』
『ベスの腕には、送り神官がくれた腕輪があるから、気付かないだろうが、ベスの魔力では、もう既に直接馬には乗れないのだ』
『魔力?』
『我がいるから、旅の途中も魔物に襲われない。魔物は強さを魔力で測るのだ。馬は馬車を引く訓練を受けているから、魔力の高い者をのせるが、背には乗せない。魔物の本能だからな』
私は、忘れていたのだろうか。
この世界に地球と同じ生き物は、一つもいないのだという事を。
魔物は魔力を持った生き物で、人間とは対局にある。服従を良しとはしない。
だから、家畜とされるものの種類は少なく、ペットがほとんどいないのだ。
日本でも乗馬をした事はないから、乗馬に強い思い入れもない。だが、乗れない理由が、自分の魔力だとしたら悲しい。私は馬が好きなのである。
『大丈夫だ。話し掛けて手入れをされると、馬はいつも喜んでいた。悪意のない強い者に優しくされると、馬とて嬉しいのだ』
『うん。分かった』
納得するしかない。馬車だって、私は嫌いな訳ではない。
ジョンは十日で戻ってきた。
お土産は、袋にいっぱいの、取れたばかりのトウモロコシだった。
ダニエル様にお土産は任せて、私は畑に出た。
小さな家では、大事な話ができないと思ったからだ。
お茶用、スープ用、肉用、煮込み用、風呂用。
薬草畑は半分がハーブである。薬として使うので、薬草ではある。
ルベはダニエル様と報告を聞いている。
終わったら呼びにくるだろうと、私はゆっくり葉っぱを摘む事にした。
庭の手入れにくる人が、休む時に使う東屋に座って、端から順番に薬草の名前と、効能を言ってみる。
「よく覚えましたね」
途中から見ていた、ダニエル様が言った。
「ベス、この二区には、かつてのサイユ村があった事は知っていますね?」
「はい。戦争中に若者と子供が連れ去られ、大人は戦争で亡くなったように皆殺しにされ、焼かれたと聞いています。ミッシェルさまを狙った、バージム国が行った事と聞いています」
ダニエル様は大きくうなずいた。
「そのサイユ村の跡にできた村が、今、サイユ村と名前を変更しています」
継ぐほど豊かな村では、なかったはずである。
見方によれば、呪われた名前と言われても、仕方がないとすら思う。
「サイユ村を懐かしむ人が、いるのでしょうか」
「サイユ村の黒を持たない人たちは、十五歳で仕事や学園に行くために、村を出る事が許されます。彼らの行き先が今の村だったのです。サイユ村で結婚をして子供に黒が出たら、二度と外にはでられませんからね」
サイユ村で黒を持つ人は、実は少なかったのである。家族に黒を持つ者がいる家だけが、村で暮らしていたのだ。
黒を持たない者は、学園や仕事で村を一度出ると、二度と戻っては来なかったのである。
「行ってみますか? サイユ村には、ベスを覚えている方もいるでしょう」
「父さんと母さんは村の人間では、ありませんでしたから、その子供だった私も、彼らにとっては同じです。村長だった祖父、実の両親、兄のウィリー。私の本当の家族は、バージムの国に眠っています。私という秘密を抱いたまま……」
その村にいる人たちと、悲しみは分かち合えない。
彼らは大切な肉親を失った。だが、何も知らない彼らにとって、私は教会に守られる立場の人間なのである。
「つらい事を思い出させましたね。ただ、サイユ村があることは、知っておいた方が良いと思いましてね」
「ありがとうございます。色々な感情が入っている人伝は、怖いですからね。サイユ村の海が見たいですね。遠くからでも一度だけ」
「三区には戻りたくはないので、行く方向はサイユ村の方向です。一日の余分はいつもの事ですからね」
ダニエル様はそう言うと、私と一緒に家に向かった。
家のテーブルには、ゆであがったトウモロコシが、湯気をたてていて、ジョンがおいしそうにかぶりついていた。
『ベス、我はいつものように食べたい』
私はルベの器に、芯から外したトウモロコシを入れていった。
二日程、ジョンには体を休めてもらい、その間にダニエル様と私は、旅にでる準備をした。二区の一部は元イーズリ国だった場所で、一区まではそう遠くはないらしいが、大きな港町は、一区の一番北にあるようだ。
出発の朝は肌寒く、温かいスープがとてもおいしく感じられたが、日中は汗ばむほどの気温になった。
「もう一区は秋ですね」
私は驚いてダニエル様を見た。
「まだ、真夏がきていませんよ?」
「黒の大陸は、三区と二区の夏は三カ月。一区は二カ月ほどですからね。これから北に向かいますから、今日のように暖かい日は、少なくなりますよ」
薬草畑のある家は、山の上にあったからだろうか、うだるような暑さを感じる事もなかった。
夏が特別に好きな訳ではないが、別荘などを知らずに育った私には、猛暑や激暑を乗り越えてこその秋なのだ。
「あ、そうか! 春と秋があるのを忘れていました。一年の半分は雪があるというのは、後の半分に春と夏と秋があるという意味ですよね」
ジョンがいつものように、面白そうに笑う。
「一区は寒くてライハが育たないんだよ。土は良くて、野菜はうまいけどね」
「おお、おいしい野菜は好き」
「そうか、いっぱい食えるぞ」
「うん。楽しみ!」
二日目の昼頃、山を越える前の小高い丘の上で、馬車は止まった。
いつものように馬を休ませて、昼食を終えると、ダニエル様が珍しく私を散歩に誘った。
丘の道沿いにある木立を抜けると、その先は地面が突然消えていた。
「ご覧なさい。あそこに見えるのが、サイユ村ですよ」
海に面した山々から注ぐ一本の川。その河口付近にその村はあった。
今日の漁はどうしたのだろう。海岸に手漕ぎの船が見えた。
段々畑の一段ごとに、家があるように見えるが、あれは、斜面に建つ家の畑や庭なのだろう。
辺鄙な村である。
しかし、塀や監視に自由を奪われた場所で、生まれ育った者には、楽園に違いないだろう。
のどかなあの村に、かつて一人の主神官が訪れた。そして海賊があの村から子供を連れ去り、村人や家を焼き払ったのである。
たった一人の転生者、ミッシェルが生まれた事で、歴史を切り取られた村。
その血筋は、バージム国で途絶えたのだ。
転生者である私が、この世界で唯一、足を踏み入れてはいけない村。
末永く健やかに、幸せに暮らして欲しいと心から思う。
百年もの間、彼らは苦しんできたのだから。
村が静かに水の中に沈んで、地面に落ちた。




