薬草畑の小さな家
三区を抜けて、山を越えた。
魔物を狩る事も、薬草や植物を採取する事も、ほとんど許可がでなかったが、ジョンたちの気持ちを考えると、無理は言えない。
彼らの目的は、私を無事に送り届ける事にあるのだから。
「そうか、山を散策するのが好きだったんだね。待ち合わせの場所は、薬草がたくさんあるから、楽しみにしているといいよ」
寄り道の多い、ダニエル様との旅の話をジョンから聞いて、アンバーは同情してくれたようである。
「アンバー、本当なの?!」
「嘘を言っても、仕方がないだろう?」
急に元気になった私を、アンバーは小さく笑った。
山を下った場所には町があったが、そこには寄らず、馬車は山の麓沿いに走る。
小さな集落の横を通り過ぎてから、馬を休ませた。
「小さい村ですね」
私の言葉を聞いたジョンが、そこに目をやった。
「あそこは村じゃない。村はもっと下にあるんだ。ここは一年の半分は雪があるからね。その間は村で木工品を作っているんだよ。雪のない季節は、あの場所で寝泊まりをして、木を切っているんだ」
「その村に行くの?」
「いや、逆の方向にいくよ」
山の麓を走ってきたのだから、当然、逆の方向はどこを見ても山である。
首をかしげる私に、二人は笑顔を向けるだけで、説明をしてくれる気はなさそうだった。
馬車は山道を行く……。
二日間も山の中だったのに、二区でもまた山である。
何もできない山に興味はなく、景色も山は似たり寄ったりでつまらない。
「さあ、着いたよ。ベス」
アンバーに、馬車から下ろされた私の前には、石造りの小さな家。
「ここは?」
「ダニエル様との、待ち合わせの場所だよ」
私にそう言いながら、家へと向かうアンバーの後を、小走りで追う。
ジョンは、家の横にある馬小屋で、馬を休ませるようだ。
家は古い物のようで、小さな台所とテーブルのある場所は土間だった。
木の板が敷いてある場所はつい立てがあり、壁際に古い木のベッドが一つ。反対側の壁には、比較的新しい、二段ベッドがあった。
トイレと風呂は外の小屋にあるようだ。
アンバーと私は掃除をしたが、何もない家なので、それはすぐに終わった。
「ベス、見てごらん。広いだろう?」
台所にある扉を開けて、アンバーが私を手招きする。
私はアンバーの元へ行って、目を見開いた。
「アンバー! あれが薬草畑? 初めて見るの。ねえ、薬草畑なの?!」
「そうさ、行っておいで」
「うん」
奇麗に仕切られて、植えてある薬草を見て歩いた。
知っている物もあるが、図鑑でしか見た事のない物がほとんどだった。
どのように分けられているのかは、分からないが、手入れは行き届いていた。
『ルベ、ここは誰の薬草畑なの?』
『今は我のだが、ダニエルに使わせている。我は草に興味はないからな』
『ルベのって?』
『主神官を退いた者が、余生を過ごした家だ』
『ルベ、違っていたらごめんね。私の前にルベに名前を付けた人?』
『そうだ。ミッシェルを迎えに行った、主神官だ。あれは優し過ぎたのだ』
イーズリの国々と教会本部の架け橋になるべく、奔走していた彼の元に届いた知らせは、ミッシェルの拉致だったとルベは言った。
駆け付けた時には、すでに火あぶりの刑が執行されていて、彼はその事にひどく心を痛めたと言う。
彼は神獣に加護を返上して、教会を去ったようだ。
『それでも。ルベはそばにいたのね』
『あれは、優しいだけの者だった。加護を返上すると、人はたちまち老いる。我ら魔物の生きる年月の、ほんの僅かな時間だ。あれを見送るのは、我しかいなかったからな』
私はルベを抱きしめた。
大切な人だったのだろう。ルベはきっと、その主神官を守りたかったに違いない。心の病んだ主神官のそばで、ルベはどれ程つらかっただろう。
『ベス、泣くな。我はその火の中で、ベスと会ったのだ。だから誰にも名をもらわずに待っていた』
ルベは私を待っていた……。
長い年月の間には、色々な人と出会っただろう。ダニエル様だってその一人なのである。
私はルベに、何をしてあげればいいのだろう。
この家に来てから、三日が過ぎた。
毎朝、薬草畑には老いた夫婦と、その息子夫婦がやってくる。
二組の夫婦は慣れた手つきで、一時間程、庭の手入れをして帰って行く。
聞けば、炭焼きをしている家族で、下の集落に一年中いる、唯一の家族のようで、ダニエル様が畑の手入れを任せているらしい。
私はその手伝いをしながら、薬草の事をいろいろと教えてもらうのが、楽しみだった。
「アンバー、今日のお茶はお肌に良いらしいよ。生でも乾燥しても、効果は変わらないって、教えてもらったの」
「本当かい? それはいいねぇ」
ジョンの焼いたクッキーで、アンバーと私はさまざまな効能のあるお茶を飲むのが、楽しみになっていた。
「アンバー、私は子供だから、お肌の心配は早いかも……」
「お肌のために、毎日これを飲み続ける根性はないね……」
それを聞いていたジョンが、面白そうに笑う。
「素直にまずいと言えばいいだろう? はい、お茶」
私たちはジョンのお茶を飲んで、目を合わせて笑った。
こんな失敗も、また楽しいものである。
そんな時、外に馬車が止まった。
窓から外を見たジョンが、私を見る。
「ベス、ダニエル様だよ」
私は外に飛び出した。
「ダニエル様!」
優しい笑顔を浮かべて、ダニエル様がその腕を広げた。
「ベス、変わりはありませんか?」
「はい」
「娘を取られた気がするわ。ダニエル様にはかなわないね」
「生まれた時から、いつも一緒なんだ。親より絆は強いよ」
アンバーの言葉に、ジョンはそう言って笑った。
夕食が終わり、ジョンやアンバーとダニエル様と馬車に乗ってきた部下さんは、お酒の時間になった。
多分夕食は、子供である私とダニエル様が一緒に食べるので、付き合ってくれたのだろう。
私はそんな大人のために、早くベッドに入る事にした。
ルベは、ベッドを二つ出してから、私のそばで丸くなった。
私は寝付きが良い方である。しかし、少し神経が高ぶっていたのか、現実と夢の世界の中間に、立ち止まっているような不快感があり、眠れそうにない。
起きても、この狭い家ではいる場所もないのだ。
「ダニエル様、ユキシが動いているとは、どう言う事ですか? ベスを捕まえるというのなら、私はベスを連れて逃げますよ」
アンバーが私を守ってくれると、言ってくれるのはありがたい。
「アンバー、気持ちは分かるが、落ち着け。それはオレの仕事だ。匿う場所はあるからな」
ああ、アンバーとジョンはまだ、私の両親をしていると、嬉しくなって聞き耳を立てていた。
「大神官である兄を、あなたたちは知らないから、そんな事が言えるのです。あの恐ろしい顔で、小さいものと可愛いものが大好き、いえ、大好物なのです」
ギャップ萌えでしょうか。面白そうなお兄様です……。
「あり得ない……」
「想像できない……」
「考えたくもないわ……」
部下さん、ジョン、アンバーの顔は、声だけで十分に想像ができた。
「ユキシは、兄の指揮下にある警備隊です。大きな隊ですから、末端の隊員にまで目が届かなかったのでしょうが、隊長の一人がどうやら、クレメル主神官長に加担したようですね」
「やはり、あの方でしたか」
あの方って主神官長だったのね。
「指揮していた隊長は、拘束されて取り調べ中ですが、あの方の名前は出さないでしょうね」
自白させるのは、簡単そうに思える。
この世界には、魔法があり、薬草もある。薬草は善良そうな顔をしているが、毒を隠していたりするのである。
「あの方は、ベスをどうするおつもりなのですか?」
アンバーの声が、不安そうだ。
「大きな声ではいえませんが、黒の神獣様の加護を失ったようです」
黒の神獣が持つ魔法は闇。
加護は薄れると聞いた事があるが、失う事もあるようだ。
「なんだって?!」
「馬鹿、ベスが起きるだろう」
部下さんの声を、制したのはジョンである。起きていて、ごめん。
「ああ、済まない。主神官長が魔力が下がったら、格下げか?」
「いえ、今までの功績もありますから、その席は与えられると思うのですが、魔力量からいって、赤の獣神様の加護も下がっているようです。同僚からの情報では、神官職にも就けない程のようですね」
「では、いよいよ?」
アンバーは主神官長が嫌いなのだろうか、声から同情心は感じ取れない。
「恐らく、次回の人事で主神官、それで力がもどせなければ、更迭になるでしょう。そこでベスを利用しようと思っているのだと思います」
「ダニエル様が今日まで、大切に育ててこられたのに、ここで横取りですか? あの方がダニエル様を、目の敵にする理由は何なのでしょうね。全く、いまいましいったらないわ」
アンバーの言葉で、ダニエル様が教会に寄らない町がある事を思い出した。
「私は素直な子供では、ありませんでしたからね。あの方が兄の補佐になれなかったのは、私のせいだと思っているのです。兄は弟の助言で、人事を決めるような人ではないのですがね」
神獣が見放した人が、私の補佐になるのは嫌だ。ダニエル様に意地悪をする人など、論外である。おとといでも来て欲しくはない。
「ベスがもし、獣神官になって自分の人事を決める時、獣神官補佐になれば、誰にも口出しができませんからね」
公にはなっていないが、一応獣神官になっている。
「万が一に備えて、自分の身内もベスと同時に、試練を受けさせるつもりのようですからね」
「そんな事が許されるのですか?」
その前に、十年後の話ですからね。それも隠されているのだろうか。
「兄はこの際、クレメル派の壊滅を図る気でいるようです。兄の個人部下が動き出しましたからね」
ここは大神官と言わないところが怖い。
ダニエル様の兄弟は、共通の黒さがあると、私はベッドの中でうなずいた。
ルベが薄らと目を開けて、その短い手を私の額にあてた。
『ベス、眠れ……』
私は気持ち良く、暖かな日だまりのある場所に落ちた。




