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奇妙なカバンが守ると言ったから  作者: 天色白磁
第三章 黒の大陸
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忘却と草笛

 とても深く眠っていたような気がする。

 いつものように、左側の顔の横にはルベが丸くなって眠っていた。

 柔らかで滑りの良い毛をなでると、ルベは薄らと目を開けた。


『帰ってきたな。待っていたぞ』

「ベス? 私が分かりますか?」

 二人は何を、言っているのかが分からない。

 私に何があったのだろう。


「ダニエル様、何を言っているんですか? 私、頭でも打っておかしくなって、眠っていたのですか?」

『獣神官の試練を受けて、帰ってきたのだ』

 質問の答えが、理解できないのは重症だろうか。


「あのぉ。ダニエル様、頭に回復の魔法を掛けてください。どうしよう。何も覚えていないのです」

 この強度な度忘れ感は、多分病気だと思う。


「試練の記憶は、ないのが普通なのですよ。ベスの傷だらけの足と、爪の割れた手の指で、あなたがどれ程頑張って、ここに帰ってきてくれたのかが、良く分かりました。帰ってきてくれて、ありがとうございます。ベス、おかえりなさい」

「はい、ただいま?」


 ダニエル様が、えらく感激しているようなので、この度忘れ状態は病気ではないのだろう。

 違和感はあるが、久しぶりに頭をなでられて嬉しい。


「えへぇ。ダニエル様、フワトロのオムレツ!」

 記憶はないが、ご褒美はほしい。

「はいはい」

 言ってみるものである。

『我も食うぞ』


 夜も明けていないというのに、四つもベッドのある部屋の真ん中に、小さなテーブルと椅子を置いて、食べているのは朝食だろうか。

 ダニエル様は、お茶を飲みながら、私とルベの食事を楽しそうに見ていた。

 食後にルベの口の周りを拭きながら、入り口に近いベッドに目がいった。


「そう言えば、ジョンは?」

「今夜には戻るでしょう。用事を頼んでいたのです」

 ダニエル様は、主神官で忙しいのに、私のそばにいてくれる。

 その分、部下さんたちが大変で、それをいつも申し訳なく思う。


 私はルベを抱き上げると、ベッドに腰かけた。

「朝になったら、ドナート様にご挨拶をしなければいけませんね」

 ダニエル様の師匠で、世界でただ一人の送り神官。

 私が無事に戻ってきた事を、きっと喜んでくださるに違いない。


「ベス。ドナート送り神官は、もう旅立たれてしまわれました……」

「なんて、今なんて言ったのダニエル様?!」

 思いもしていなかった返事に、私は驚いた。

 ダニエル様が寂しげに、私を見て笑顔を浮かべて見せた。


 ああ、私は馬鹿だ。

 こんな顔をさせては駄目なのに……

 悲しいのはダニエル様なのに……。


「ごめんなさい。いつ旅立たれたのですか?」

「四カ月程前でした」


 四カ月程が分からない。

「私が試練を受けたのはいつですか?」

「それは……」

『ダニエル、我が話そう』


 ルベは鼻の上に小さなシワを作って、私を見上げた。

『あれは春を迎えられなかった。それほど、魔力は限界だったのだ。ベスを送ってすぐに倒れ、三日後に旅立った』


「私を送ったから? ……私が無理をさせたからですか?!」

 思わず叫ぶように言ってしまった。

 泣いて済むことではない。しかし……。

「ベス!」

 ダニエル様が走り寄って来て、私をきつく抱きしめた。


「違います。落ち着きなさい。ベスを送る事を望んだのは、師匠ですよ。私は何度も止めました。師匠はただ魔力が消えるのを待っているより、特異な運命を背負った、あなたを送る名誉を授かりたいとおっしゃった。大神官と獣神官を送った、史上初の送り神官として、師匠は旅立たれたのですよ。満足そうな笑顔でした」


 そんな話を聞かされたら、一層悲しくなる。

 ダニエル様が師匠と過ごす、穏やかな最後の時間に、なるはずだったのだ。


 私がその時間を取り上げてしまった。

 二度と取り戻せない時間だというのに。

 何という事を、してしまったのだろう。どう償えばいい。


「夜が明けましたね。祈りの時間ですから、デビットにベスが目覚めた事を、知らせてきます。私と同様に、彼も待っていましたからね。目を冷やして、休んでいるのですよ」

 ダニエル様は冷たい手拭いを、私の目にあてて、部屋を出て行った。



『ドナートはかつて、獣神官の試練にダニエルの兄を送った。二人とも戻っては来られぬと知っておったのだ。我は大神官からそれを聞いて、急いで来たが間に合わなかった。そしてドナートは生涯、その罪を背負った。ダニエルが育てたベスを、最後に送る事を望んだのは、罪滅ぼしだったのだろう』


『ルベはその時から、ダニエル様のおそばに?』

『あれの長兄は大神官。大切な弟であっても、そばにはおれぬ身。ダニエルは生きる事に、興味のない子供だったから、目が離せなかった』

 ダニエル様のお兄様は、大神官だったのだ。


 私はそこで、ある事に気が付いた。

『ルベ、ダニエル様って何人兄弟なの?』

『真ん中はいないが、本来は三兄弟だ。上は年が離れているがな』


『とんでもない事に気付いたんだけど、私の父親役って、ひょっとして大神官様なのかしら?』

『ひょっとしなくても、そうだ』


『馬鹿なのかしら?』

『あの二人を馬鹿呼ばわりするのは、ベス位だな』

 隠れみのが金ピカって、隠れていないでしょ?

 悪目立ちしてどうするのよ。



 デビット神官の朝の仕事が終わる頃、ダニエル様に連れられて、私はドナート様がかつて使われていた、執務室に入った。

「エリザベス様。おめでとうございます」

 デビット神官は、そう言ってくれたが、私の気持ちは重たい。


「申し訳ありません。ドナート様の時間を、私が奪ってしまいました」

 デビット神官もまた、師を失った事に変わりはないのだ。


「おやおや、そんな顔をなさってはいけませんよ。私がドナート様の立場だったとしても、同じようにしたでしょう。送り神官として、こんなに嬉しい旅立ちはありません。大神官様も獣神官様も、本物を送れるのは何百年に一人なのです。よくご無事で戻ってきてくださいました。ドナート送り神官に代わって、私がお礼を申しあげます」


「ありがとうございます。そう言っていただけると、気持ちが少し楽になります」

 楽になってはいけない気はするが、そばでダニエル様が、心配そうに私を見ているので、もう泣いたりはしない。


 デビット神官は正方形の木の箱を、私の前のテーブルに置いた。

「これは、エリザベス様が試練を受けられる前に、ドナート様からお預かりしていた物です」


「開けても良いですか?」

「もちろん、どうぞ」

 それは白く光る銀色の金属に、羽根が彫られている腕輪だった。


「ドナート様が自らお作りになった物で、魔力を隠す効果がございます。エリザベス様は今、並外れた魔力をお持ちですが、それを見ることのできる者には、すぐに分かってしまうでしょう。就任式がお済みになるまで、お役に立てばとドナート様は言っておられました」


「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」

 腕輪は私には大きく、二の腕に丁度収まった。

 ダニエル様は、少し笑ってうなずいた。

 デビット神官も、同じように二度もうなずいた。


 二人の顔を見て、多分これは、大人用のブレスレットだと思った。

 その内に大人になるから、その時までは、邪魔にならなくて良いだろう。

 私は二人に笑顔でうなずき返した。深い意味はない。



「エリザベス様。おめでとうございます」

 夜になって、ジョンが帰ってきた。

「ベスって呼んでくれないのなら、ジョン様って呼ぶわ」


 ジョンは愉快そうに笑った。

「ベス、ご無事でなにより。オレは信じていましたよ」

「何を根拠に?」


「ダニエル様とルベ様が大切にしているんだよ。ハズレはないだろう?」

「それって、私じゃなくて、ダニエル様とルベを信じているんじゃない?」

「ああ、そうか。確かにそうとも取れる」

 ジョンは何とも、つかみ所のない性格をしている。


「それで、家は無事でしたか?」

 二人の会話に、困ったように眉をあげて、ダニエル様が言った。

「はい。あれは壊れないですから、でも、本気ですか?」

「魔素が薄いですからね。ルベがつらくなります」

 ジョンの言葉に、ダニエル様はそう答えて、ルベを見た。


「家って?」

 ルベがつらくなると聞いて、口を挟んだ。

「試練は早くて半年。一年が目途ですからね。住む場所を考えていたのですよ。もうじき、この辺りの山には雪が降ります。どちらにせよ、春までは移動できないのです」


「四区は山に囲まれているからな」

「ベスも戻ってきましたから、これ以上この教会に、ご迷惑を掛ける事はできません。私がお役に立てる場所でもありませんから、明日にでも移動しましょう」


 私はこの教会のベッドに、なじんではいないが、ダニエル様たちは、四カ月もいた事になる。

 この町の教会は他にあるので、この教会にはお年寄りが、たまに訪れるだけなのだと、ジョンが前に教えてくれた。


 デビット神官や教会の管理人さんに、挨拶を済ませて、試練後初めて教会の外に出た。

 近くの山は紅葉しているが、その向こうの山は既に白くなっている。

 少し肌寒い訳だと肩をすぼめた。


 教会の入り口にある、青い葉っぱが目に付いて、私はそれを一枚手に取った。

 口に当てて、私はそれを吹いた。

 無意識にしてしまった行動だったが、初めに出した音が懐かしい気がして、思い付くまま吹いてみた。


 この教会に初めて来た日、この教会が海の向こうを見ている気がしたが、その気持ちがより深く共感できる気がした。

 この海で泳いだ訳でもないのに。


 吹き終わって、振り返るとダニエル様がいた。

「草笛はどこで覚えたのですか?」

「これは草笛というのですか? ただ、この木の葉だけが緑だったので、口を付けたら音が鳴りました」


「そうですか」

「どうかしたのですか?」

 ダニエル様の静かな笑顔が、会話と合っていない気がする。


「私の兄が試練に向かう前に、この場所でベスと同じように、草笛を吹いていたものですからね」

「悲しい事を思い出させて、ごめんなさい。ダニエル様」

 知らぬ事とはいえ、これはまずいと思う。


「いいえ、試練の場所が、どのような所かは、誰にも分かりません。記憶を持って帰る人は一人もいませんからね」

 誰に消された記憶なのかは分からないが、この強力な違和感は厄介である。


「ただ、私は兄が死んだものだと、疑った事はなかったのです。きっとベスは兄に会ったのでしょうね。兄は面倒見の良い、優しい人でしたから、ベスに草笛を教えたのでしょう。ベス、ありがとうございます。ドナート様にもお聞かせできれば、長く苦しまずに済んだものを」


「草笛って、ダニエル様のお兄さんしか、吹けない物ですか?」

 なぜ、そのような解釈になったのだろう。

「いいえ、誰でも吹けるものですよ。ベスが吹いた曲は、兄が友人のために作った曲なのです。白の学園で、今も歌われているのですよ」


 志を抱いて故郷を離れた若者が、独りぽっちの夜には、故郷の野山や。家族や友人を思うという内容で、険しく恐ろしい世の荒波を、きっと乗り越えるから、どうか健やかでいてほしいと続くらしい。

 ホームシックの友人に作った曲だと言うが、泣かせただけだと思う。


「兄の後から試練を受けたのは、ベスだけなのです」

「覚えていなくて悔しい。私はちゃんとご挨拶ができたでしょうか。ごめんなさい、ダニエル様。思い出話のひとつもできなくて」


「いいえ。これだけで十分です。まさか、兄もベスが草笛を覚えて帰るとは、思っていなかったでしょうね」

 ダニエル様が、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべた。


 海を見ると、心の奥がキュンとなった。

 この教会が見ている先に、私は大切なものを、忘れてきたような気がしてならなかった。








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