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奇妙なカバンが守ると言ったから  作者: 天色白磁
第三章 黒の大陸
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風と名乗った人

「無理……」

 私は登山道のない山に、登った事はない。

 そもそも車で途中まで行って、ゆっくり頂上でお弁当を食べて下山する、そんな登山遠足しか知らないのである。


 人が数十年に一度しか通らない山に道はなく、頼りの獣道は、頂上を目指してはいないと、ここに来て初めて知る始末。

 私は途切れた獣道を諦めて、背丈ほどある草が茂る斜面を、取りあえず上に行くしかなかった。


 魔物はいないが、虫や蛇はいる。

 おそらく動物もいるだろう。

 毒があるかどうかは分からないが、噛まれたくはないので、落ちていた枝の先を、小刀で削って持ち歩いている。


 脅しで退いてくれると良いが、向かって来られたら、応戦しなければならない。

 虫の羽音や鳥の鳴き声と、自分の足音。

 それらに混じって、水音が遠くに聞こえた。


 登りながら水音の方向へ足を向ける。

 すり足ではワラジが傷むからと、教えられた歩行方法で歩いていたが、それでもワラジはそろそろ替え時のようだった。


 草木の間が明るくなり始めたら、すぐに目の前の視界が開けた。

 足元の地面が無くなり、その少し下に川があった。

 日は頭の真上にあるが、私は鳥居から一度も、腰を下ろしてはいない。


 川原に下りて、澄んだ水で顔や手足を洗い、テレサさんが持たせてくれた、お握りを頰張った。

 塩漬けの葉っぱに包まれているお握りは初めて食べたが、塩分がご飯に抱き込まれていない分、その塩味が疲れた体にはありがたい。


 陶器をワラで巻いた水筒に入っていたお茶は、残りが僅かだった。

 川の水が安全なものかどうかは分からないが、口に含んで、味と臭いを確かめてから水筒に入れた。

 草の茎や木の枝から水をとる方法では、喉の渇きは癒えなかったのである。


 私は少し体を休めてから、川沿いに上へ向かう事にした。

 背丈ほどある草をかき分けて進むのは、思いの外、体力を消耗するのである。


 川で水を飲む動物を遠くに見かけるが、彼らは物音がすると、すぐに立ち去る。

 魔法のない世界は、魔物こそいないが、弱肉強食や食物連鎖は当然、存在するのだろう。

 細い川をしばらく行くと、狭い川原の石は大きくなり、すぐに川原は歩けなくなった。


 川の横は背丈ほどあった草木が減り、石と土の斜面になっていた。

 歩きやすいとは言えないが、前が見える分、気持ちは楽である。

 私は時々、四つんばいになりながら、滑り落ちないように進んだ。

 手袋がないので、爪はすぐにボロボロになった。


 持たされたワラジが残り一足になった頃、ようやく頂上にたどり着いたのだが、その場所には何もなかった。


 背の低い数本の木があるだけで、神の山と書いてある標識もなければ、標高の表示もない。

 営林署はないだろうし、登山者も来ない山の山頂は、ただ殺風景だった。


 初心者が朝から夕方まで歩いて、山頂にたどり着ける山なので、深呼吸ができる程、酸素は豊富で高山病の症状もない。

 何もない山の頂上で、私は首をかしげた。

 神の山から、前の世界に帰れる事は聞かされていたが、その方法は知らないのである。


「山を間違えた? ここに朝までいて下山する方が良いかなぁ? 下山したって山は他にないみたいだけど……」


 足元も見えない夜の山を、灯りも持たずに歩けるとは思えない。

 私は雨具として持たされた、ポンチョを背負い袋から出して、風を少しでも防げるような、枝の多い低木を探した。


 食べる物は、川でくんだ水と干芋と塩。

 夜が明けたら、登る時に見つけた、食べられそうな植物を取って川へ行こう。

 その後の事は、それからゆっくり考えればいい。

 ワラで出来ている背負い袋を敷物にして、ポンチョを被ると温かく、疲れも出たのか眠くなった。



「このような場所で野宿をしては、体を壊しますよ?」

「ご親切にありがとうございます。頭が悪いので、体は丈夫ですから、どうぞお構いなく」

 昔から、頭の弱い子は体が強いと言われているのを、この人は知らないのか?


「あなたは何をしにここへ来たのですか?」

「ああ、場所を間違えたみたいです。明日探します」

 人が気持ち良く寝ているというのに、大きなお世話だ。この人は暇人なのか?


「ええ?! この人? 人がいるの? なぜ? って言うか誰?」

「お目覚めのようですね」

 会いたい人が、そこにいた。


「ダ、ダニエル様?!」

「いいえ。私は風と申します。ここで休んでは体にさわります。せめて建物に入りませんか?」

 人違いをしたようだが、その人は困ったように眉を上げる表情すら、ダニエル様のようだった。


「山のてっぺんに建物はないですよ」

 日本ならば、展望レストランとか、売店とかはありますが。

「ここに来てから、歩かなかったのですね? 私に付いていらっしゃい」


 知らない人だけれど、食べ物もくれなかったし、ダニエル様に似ているから、悪い人ではないだろうと思った。

 判断基準が変かもしれないが、困った事はない。


 山頂の中心ぐらいの場所で、風さんは振り返った。

「ここへ、来てごらんなさい」

 風さんの横に立つと、景色が一変した。

「これは……」


 石造りの建物があった。

 だが、ここはさして広くもない山の頂上なのである。

 土地の面積と建物の大きさが、あまりにも違い過ぎる。

「中へ入りましょう」


 私は慌てて風さんの袖を引いた。

「危ないですよ? 崩れます。地面は少ししかないですから、この建物はほとんどが空中に浮いていると思いますよ。動いちゃ駄目です」

 風さんは優しい笑みを浮かべて、真剣に忠告をしている私を見た。


「神がつくられた山と神殿ですから、心配はいりませんよ」

 あった事もない神を、信じろと言うのはどうなのだろうか。

 しかし、たくさんの女性が並んでいる光景を見て、私はルベの空間を思い出し、きっとそのような物なのだと、できの良くない自分の頭を、説得するしかなかったのである。


「それでは、身を清めていただきます。お話はその後でいたしましょう」

 お話をしてから、帰れるのだろうか。

 帰るためなら、井戸水を何杯でも被って見せる。


 四人の女性に案内されたそこは、前世で家族と行った有名温泉の大浴場より広かった。

 湯衣を着せられたが、ほぼ裸の状態で、服を着ている集団に体を洗われるのは、気持ちの良い物ではない。

 それよりも、この無駄に広い風呂は、誰のためにあるのだろう。


 解放しても入りにくる者は少ないだろうが、お婆さんを連れてきたら、どんなに喜ぶだろうと思った。

 ツボに入って、あんなに感動していたのだから。

 前を合わせて、腰の部分をひもで結ぶ、見事な刺繍が施されているガウンのような服を身に着けて、私は女性たちに連れられて、大きな扉を潜った。


「平伏をなさいませ」

 そう言ったのは、その部屋にいた年配の女性だった。

 正装ならば分かるが、ガウンを着て低頭はどうなのだろう。

 一応は彼女の真似をしたが……。


 数分で絹のすれるような音が聞こえてきた。

 神に対する挨拶を習ってはいない。

 ただ、拝むのはこの場合、違う気がする。


「ご挨拶をなさいませ」

 年配の女性はむちゃを言う……。


「拝謁を賜り、恐悦至極に存じます。私はエリザベスと申します。ラベーナ神におかれましては、以後、お見知りおきいただけると光栄に存じます」

「エリザベス。よう来たな。(わらわ)はラベーナ、面をあげよ」


 黒の大陸、四区の始祖の教会にある女神像がそこにいた。

 白金の長い髪と白い肌、整った顔にある瞳は金色で紅のない口元に、自然な笑みが浮かんでいた。


 ラベーナ神がその手を上げると、部屋には誰もいなくなった。

「エリザベス、(かしこ)まらなくても良い。楽にいたせ」

 楽にって……。無理。

 緊張し過ぎて楽の仕方を思い出せない。


「エリザベス、獣神官は大きな魔力を持つ。従って、普通の人間に戻る事はかなわぬが、それでも受けてくれるか?」

「はい。そう心に決めて参りました」


「そうか、その気持ちを妾は尊く思う。神獣たちがそなたを待ち望んでおった。どうか、力になって欲しい」

「及ばずながら、努力を重ねる所存でございます」

「何もない所ではあるが、体を休めてから戻ると良い」

「お心遣いをいただき、恐縮にございます」



 風さんが、用意された部屋に案内をしてくれた。

「遅い時間ではございますが、お夕食を用意いたしました。このお部屋はご自由にお使いください。隣の部屋に、身の回りのお世話をさせていただく者が控えておりますので、なんなりとお申し付けください。ただ、この神殿を出る事はできません。黒の大陸へ行かれる時は、私をお呼びくださいますように」


「はい。ありがとうございます」

 豪華な食事が並んでいた。

 どれを食べても味は良かったが、一人で食べるのは、つまらない。


 私は焼き芋を、自分が食べるために、買うタイプの人間ではないのである。

 共に熱さと味を楽しめる相手がいたら、走って車を追いかける事すら、楽しめるタイプの人間なのだ。

 私は給仕をしてくれる女性に、おいしい食事だった事と、食べきれなかった事を伝えた。



 明るい日差しの、心地よいぬくもりの中で目が覚めた。

 疲れていたせいか、神経が太いせいか、初めての場所だというのに、寝坊とは自分でも呆れてしまう。

 朝の身支度から、食事の世話までしてくれる人を、待たせたと思うと気まずい。


 昨夜は気付かなかったが、窓の外には庭があり、そこにはたくさんの花が、あふれるように咲いて、思わず声をあげてしまった。

 庭は自由に見て回れるらしく、簡単なスリッパのような履き物を、用意してくれたので、少し見せてもらう事にした。


 この神殿は神が作った空間にあるのだと、花を見て実感した。

 山の頂上の目に見えない場所にあるのだから、今更だが、この咲き乱れる花は、人の力でどうにかなる物ではないだろう。

 奇麗な花が寂しく見えるのは、どこからか聞こえる音色のせいかもしれない。

 その音を探して、花の中を歩く。


 遠くを見つめて、風さんが立っていた。

「うるさかったでしょうか?」

「いいえ。あの音楽は、どのようにして奏でていたのですか?」


「これですよ」

「草笛って、とても奇麗な音色ですね」

「誰でも吹けるのですよ」

 そう言って風さんは、私に草笛の吹き方を教えてくれた。

 草笛は、才能が必要なのかもしれない……。


「そういえば、昨日、私の事をダニエル様とお間違えになりましたが、そのお方と私は似ているのでしょうか?」


「ええ。とても。白銀の長い髪も、黒い目も、少し違うのはダニエル様の黒は、赤が入っているのです。優しい雰囲気も声も似ています。まあ、ダニエル様は少し癖がありますが」


「癖ですか?」

 そう言って風さんは、探るように私の顔を見た。


「身内にだけ見せる腹の内は、結構、悪態大魔王なんです。でも、世界で一番信用できる人で、誰よりも優しい人です。私は生まれた時から、今まで、ダニエル様に守られて生きてきました」


「そうでしたか。そんな方と間違われて、光栄ですね」

 風さんは、本当に幸せそうな顔をして見せたので、私は少し腹がたった。


「ダニエル様の様子が聞けて、安心しているようですが、あなたを失った、彼の心の傷はまだ、癒えてはいませんよ。ダニエル様のお兄様?」

「……」

 風さんは黙って私を見つめた。








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