諦めないための試練
ドナート様は、とても穏やかな表情で、私を見つめた。
「エリザベス様、最初にこれだけは言っておきましょう。大神官様もダニエル様もあなたをとても大切に思っておいでです。神も神獣も、あなたが悲しむ事を望んではおられない」
ダニエル様以外は、会った事もないのですが……。
そんな雲の上の人が、私のような庶民の小娘を知っていると、本気で思っているのだろうか。
ダニエル様の師匠だから、多少のズレは想定内だが、驚かされる。
「大丈夫です。生まれた時から私を守ってくれている、ダニエル様の気持ちを疑った事はありません」
ドナート様は、私の言葉にゆっくりと大きくうなずいた。
「エリザベス様、この部屋は二人きりです。どうかお聞かせください。あなたはこれから、何を学びたいと思われ、どのような夢をお持ちなのでしょう?」
将来の職業ではなく、夢を聞かれて困惑した。
私の何を知りたいのだろうか。
「私は治療学と薬学を学びたいと思っています。ですが、教会関係者の方々には申し訳なく思いますが、どこかの教会に神官として赴きたいとは、思っていないのです。ですから、治癒の魔法は独学で身に付けるのが夢です」
ドナート様は愉快そうに笑った。
「ほう、神官は人気のある職業だと聞いておりましたが、これは嫌われたものです。ところで、治癒の魔法を覚えて、どうなさるおつもりですかな」
治癒の魔法は覚えられないから、夢と言ったのだが、どうやら見逃してはくれないようである。
「治癒の魔法は、神獣様に認められなければ、もらえない事は知っています。許されるなら、私は学園を卒業しても旅を続けたい。どの大陸の人たちも自然も、大好きなのです。その中で、誰かの助けになれたら良いと思っています。子供の夢と笑ってください。ちゃんと仕事に就かなければならない事は、分かっています。ドナート様にだけお話した、未熟な私の夢です」
ドナート様は、不思議そうに小首をかしげた。
「それをなぜ、ダニエル様に話されなかったのですか?」
「治療学と薬学は、患者一人の人生だけではなく、周りの人たちの人生をも左右すると、言われた事があるのです。私にはその覚悟がまだありません」
「当たり前ですよ。そのお年で、そのような覚悟など、できる訳がありません。治療学と薬学を学ぼうとする子に、学園が覚悟を望んだら、学生はきっと来ませんよ。教師は楽でしょうがね」
そう言いながら、ドナート様は席を立たれた。
執務室の扉を、小さくたたく音が聞こえたのである。
管理人さんが、テーブルの上のお茶を新しくしてくれた。
私はお礼を言って、カップに口を付けた。
熱い物は熱い内が、一番おいしいと思っている。
「ドナート様。お聞きしても良いですか?」
「ええ、もちろん。私の頭にある事でしたら、お答えいたしましょう」
大人と子供の違いは、逃げる場所の用意ができるかどうかなのだろうか。
「教会本部はどうして私にだけ、特別に良くしてくれるのですか。ダニエル様はなぜ、ご自分の人生の十二年間を使って、私を守ってくれるのですか。私は十八歳まで、それを知る権利がないのでしょうか」
ドナート様は私の質問を、分かっていたと言わんばかりにうなずいた。
「十八歳……。いいえ、本部はダニエル様が止めようとも、十五歳でエリザベス様に選択を迫った事でしょうね」
「十五歳なら、選ぶ学園を聞かれるのでしょうか?」
それを選択とは言わないだろうが。
「いいえ。白の学園を選ぶか否かです」
今のところ、神官になる気はないので、答えは否である。
「選択ができるなら、良かった。それは、教会本部と縁を結ぶか、一般人として生きるかの選択ですよね?」
成人まで、ダニエル様が後見人なのだから、当然そうなると思う。
「いいえ、エリザベス様。あなた様を待っている選択は、そのような小さな事ではございませんよ」
ドナート様の表情は、温和なままだったが、その目は私の心の奥を、見定めるように動かなかった。
ラベーナの世界には、創造神であるラベーナ神の神託を聞く大神官と。四神獣の神託を聞く獣神官が必要なのだとドナート様は言った。
ラベーナ神は、巨大な魔力を受け入れる器を持った者に、試練を受けさせて、大神官と認めるのだと言う。
獣神官になる者は、四神獣がその魂を認め、全ての魔法を授けるにあたいする者に試練を受けさせて、獣神官と認めるのだと言う。
「エリザベス様。あなた様の魂を四神獣が求めているのです。教会本部は、エリザベス様を獣神官として、本部でお育てしようと思っていたのですよ。しかし、ラベーナ神がそれを、お許しにはならなかったのです」
途方もない話を聞かされると、自分の名前すら、別人の名前に聞こえるのだと初めて知った。
四神獣と民をつなぐ者が、魔物も人も知らない者であってはならないと、ラベーナ神は考えているようだ。
本来、魔力の高い獣神官の候補は、白の学園生活の中で四神獣に選ばれて、試練を受けられるようだ。
しかし、ここしばらくは、獣神官になりえる魂の者は、現れなかったという。
「エリザベス様。その魂をお持ちなのが、あなた様なのでございますよ」
「いやいや、それ人違いじゃないですか? 自慢しますが、私はそんな立派な人間ではないですから」
驚き過ぎて、素で否定をしてしまったが、持ち合わせている魂はあいにく、その辺に転がっているような代物に違いないと思う。
「見事な自慢話です!」
「へっ?」
「ダニエル様は本当に、エリザベス様を普通のお嬢様のように、育てられた」
それって、褒めていませんが……。
普通のお嬢様ですら、ない気がする。
大神官は絶大な信用を置いている、主神官の中でも一番若いダニエル様に、私を守る任務を与えたのだと、ドナート様は言う。
ダニエル様はその任務を受けるにあたり、条件を出したようだ。
“本人が十八歳になるまで、教会本部は口出しをしない事。十八歳で面会をしても、本人の決断を尊重して、獣神官になる事を強制しない事”
「その条件は守られるはずだったのです。ところが、神獣たちがエリザベス様を気に入ってしまわれたのです。私が旅立てば十年間は、試練の場所に送る者がいなくなる。それで、エリザベス様に試練を受けさせようと、神獣たちが動かれているのです」
「試練を受けたら、獣神官になるしかないのですよね」
「どこの大陸も十五歳まで、仕事は禁止されております。学園を卒業される十八歳までは公表はせずに、自由をくださるでしょう」
それから先は、獣神官という事なのだろう。
「私には無理ですよ。平凡に長く生きて行こうと思っているのです」
将来の職業を選ぶ時、私は責任の重そうな、獣神官は避けたいと思う。
私に望まなくても、神官職は人気があるのだ。
その中には、獣神官になりたいと願う者も、いると思った。
「長い間、神獣の信託を民に伝える方法もなく、その貴重な魔法で、救えるはずの民を失っていたのです。先頃の赤の大陸で起きた大事故も、獣神官様がいらしたら、事前に避難も可能だったと言われております。エリザベス様のお話しくださった夢は、獣神官ならば可能な事だと思いますが、いかがでしょう?」
キャッチセールスに、会ったみたいな気がする。
「……考えさせてください」
これは、一人で答えてはいけない問題だと思った。
「待ちきれずに、扉の前まで来たようですね」
ドナート様はそう言って、扉に声をかけた。
『試練を受けるのか?』
入ってくるなり、ルベが聞いた。
「ダニエル様に相談をしてから、決めるべきだと思ったの」
「私に聞くより、ベスの気持ちはどうなのですか?」
「試練に受かるかどうかは、分からないでしょう? でも、神獣様の声を人々に届ける事で、フルビアみたいな子が、両親を失わずに済むのなら、お手伝いをするのも悪くないと思ったの。そんな簡単な仕事ではないでしょうが」
「神獣様は何をお考えなのでしょう。試練は十五歳ではなく、十八歳からなのですよ。その理由を忘れたとは言わせません! 十八歳未満の帰還者がいないからですよ。ベスをそれほど大切に思っているのなら、待つべきでしょう』
ダニエル様が珍しく、声を荒げているが、神獣様に聞こえるのだろうか?
『大きな災害が十年、待ってくれるのか? 神獣が急ぐのには、それなりの理由があるのだ。我だとて、ベスを大事に思うのは同じだ。だが、ベス以外に民を救える者はいないのだぞ』
ルベは魔物だから、神獣様の味方なのだろうか。
「ベスが帰還できなければ、結果は同じです。それならば、私たちは滅びればいいのです」
いやいや、それは駄目でしょう。
私はドナート様に、視線で助けを求めた。
「ダニエル様、少し落ち着いてください。エリザベス様は、ただの候補者ではありません。かつて神獣の加護をいただいて、試練に挑んだ者はいないのです。主神官であるあなた様ならば、その意味も理解はされていらっしゃるでしょう」
「私の二番目の兄は本部に言われるがまま、十五歳で試練を受けて、帰ってはこなかったのですよ。ベスは十八歳になるまで、試練を受けさせたくはないと、本部との接触は避けていたのです。それなのに神獣様は次々に加護を授けていかれる。本当に守ってくださるのでしょうか? ベスはまだ、十二歳なのですよ」
ダニエル様がルベを責めても、どうにもならないと思う。
「ダニエル様。きっと、大丈夫です。私はダニエル様のそばに戻ってきます。私が安心できる、唯一の場所ですからね」
私はそう言って、取り乱しているダニエル様に抱き付いた。
大きな災害で、ダニエル様や私が出会った人たちを失うのは嫌だ。
それを避ける力が手に入るのであれば、挑戦するしかないと思う。
ここにいても、試練を受けても失う命ならば、生き残れる確率が高い方を、私は選ぶべきだろう。
何もできずに、炎に包まれたあの日を忘れてはいない。
窓の外には、生きる可能性があったのだ。
今の私は、自分の命も他人の命も、消える事を知っている。
だからこそ、諦める事だけはしたくないと思うのである。
次の日の朝。
私は入浴後に一枚の布を体に巻き付けた。
それ以外を身に付ける事は、許されないらしい。
「ダニエル様、ルベ。行ってきます。ちゃんと迷わずに帰って来ますからね」
『我はそばにおれぬ。用心をするのだぞ』
「ベス。急いだり、無理をしたりしてはいけませんよ。待っていますから、きっと帰ってくるのですよ。良いですね」
「はい、ダニエル様」
ドナート様と二人で、礼拝堂の奥の扉を抜けた。
全てが石で囲まれた、箱のような部屋。
私はその真ん中の、細かな文字が書かれている石盤の上に立たされた。
「ここは?」
「試練の地に向かう場所です。昔、この石板の上に倒れていた人たちが、四区の人たちの祖先なのです。この石板を守るために、この教会はあるのです」
始祖の教会の由来は分かったが、あれこれ質問をする時間はなさそうである。
「エリザベス様。お気を付けて……」
ドナート様の杖が石板に触れた途端、足元が光った。




