あまり飲まないらしい
馬車は本当に、夜通し走った。
幌の中は荷物もあるので、二人が横になって寝るのがようやくだった。
神官様とジルが交代で睡眠をとっていたが、十歳にはなったものの、社会的には九歳である私には、馬車を動かす事もできない。
幌の中にある野菜や衣類より、役に立っていないと、密かにひねくれてみた。
夜は魔導具という魔石を使った道具で、夜道を照らして馬車を走らせる。
村では、食事の支度も風呂も、木を燃やして使う。
ランプは油を使うが、毎朝、ランプの掃除をしなくてはならず面倒だった。
王都などの大きな街では、全て魔導具が使われるらしい。
木材の調達が大変であることと、火災による延焼を防ぐためのようだ。
魔導具に使う燃料は魔石である。日本で言うなら電池だろうか。
魔石は魔物の体内にあり、その大きさは魔力によって異なる。
魔物とは、魔力を持った生き物の総称で、ペットや家畜も魔物である。ただし、魔力が少なく、攻撃力のない物が育てられている。
この馬車を引いている馬も当然魔物である。荷物がなければ、十時間も走る事ができると聞かされた。
日も昇り、馬車は街道から脇にそれた、
「さあ。朝食にしましょう。ベスはジルと顔を洗っていらっしゃい」
「ベス、行くぞ」
私は手拭いを渡されて、ジルの後を急ぎ足で追いかける。
「川だ!」
「あん? ああ、そうか……。あの村は川がなかったな」
「はい! 奇麗な水ですね?」
「しばらく、雨がなかったからな。後で、体を洗えばいいさ。夜道は馬も疲れるから、休ませるだろうからな」
「はい」
川の水は冷たい。夏の盛りが過ぎたとはいえ、朝から日射しは暖かかった。
朝食は昨日の残りのスープとパン、それにブドウが添えられていた。
食後は、ジルと川で鍋や食器を洗ってから、流れの緩やかな浅瀬を探した。
もちろん、体を洗うためである。
買ってもらった服をルベのカバンに入れていたので、ルベが護衛を兼ねて付いてきてくれた。
前世でも川で遊んだり、泳いだりした経験はなかったが、体を洗い終わるころには水温にも慣れて、その気持ちの良さに心が弾んだ。
「ルベは水が嫌い?」
「あまり飲まない」
「……。言い直す。ルベは水浴びは嫌い?」
「した事がない」
私は空中にいるルベを大切に抱きかかえ、ゆっくり水をかけた。
少し体を固くしていたルベが、落ち着いたようなので、水に浸かりながら皮膚を洗った。
「土の穴にいたからね。かゆいところはない?」
「背の真ん中が、かきにくい」
「分かった」
ルベは気持ち良さそうに、その大きな緑の目を細めた。
川から上がったルベは、細くて小さかった。
私は濡れていない手拭いでルベを包んで、神官様がいるたき火に急いだ。
「ベス……。ルベを洗ったのですか?」
「私は服を着ていましたけど、ルベはそのままで土の穴にいましたから」
なぜかジルがヒーヒーとおなかを抱えて笑っていた。
ルベが情けない顔に見えるのは、毛が濡れているからだろう。
神官様は母さんみたいに、香油を手で温めて私の髪に塗ってくれた。
この世界には、水石けんという全身を洗うボディーソープがあるが、リンスはないので、香油を使う。
ちなみに、水石けんと台所洗剤は主原料は同じ植物で、泡はなく間違って飲んでも害はない。洗濯用の固形石けんとは別物である。
神官様は私とルベに温かい風の魔法を使った。
私は体を洗って、さっぱりとしたので、ご機嫌だった。
横に座っているルベは、フカフカに膨らんだ体ですましている。
神官様とジルは見る度に笑ってしまうようで、ルベを見ないようにしていた。
馬車の幌の裾を巻き上げて、上部から三分の一程残すようにすると、日よけにもなり、風も抜けるので気持ちが良い。
私は神官様に気になっている事を尋ねた。
「神官様、髪を乾かしてくれた魔法は一月一日になるまで、教えてもらえないのでしょうか?」
「指導資格のある者が付いていれば、基本の生活魔法は誕生月から許されていますよ? ただ、あれは上位の生活魔法です。基本ができてからにしましょう」
指導員の資格を持つ者は知らないが、世界中の子供に教えるのなら、学校が一番都合が良い場所だと思った。
「指導資格のある方には、学校に行かなければ会えませんか?」
「普通の子供は学校で習います。暴走すると危険ですからね。ただ、指導資格を持っている方は多くて、家庭教師や指導者のいない村などで、教えていますよ。魔力の高い者は、学生の内に資格をとりますからね」
「神官様は持っていますか?」
「はい。ですから、この国を出たら私が教えてあげますよ」
「ありがとうございます。それで、この国からはいつ出られるのでしょうか?」
この世界の常識を知らないのは、年齢的にも問題はないが、隔離されている村に生まれた非常識さは、十年のハンデだと思った。異世界の中の異世界に、生まれたようなものだと痛感する。
「今日の夕方には次の町に着きます。私は教会で仕事がありますから、ジルと宿に泊まってください。この国にはいろいろな目がありますので、次の日の朝に合流します」
「はい」
「それから三日ほどで、国境の町に着きます。山を越えたらネガーラ国に入りますよ。そこに着けば、追っ手の心配もありませんからね」
悪い事をした自覚もないので、つい忘れてしまうが、ダニエル様の言葉で、私は自分が逃亡中である事を思い出した。
夕方、町の近くで神官様は一人で馬車を降りた。
私はカバンを持って、御者台のジルの横に座る。
「王都じゃないのに門があるの?」
「ここは領主のいる町だからな。領主は私兵を持っている。門番を見れば、領主が分かると言われているのに、あの門番だからな。この町はうろつかない方がいい。本当はたくさん新しい物を見せてやりたいがな」
ジルのせいではないのに、すまなそうにしている彼が気の毒になる。
どうせ町中を見るのなら、私だって楽しみたい。
「この国をでるまでです。次の国の見物を楽しみにしています」
「ああ。任せておけ」
「はい」
門は札を見せると、何事もなく通る事ができた。
「教会の本部印じゃあ、金も巻き上げられねぇ」
「教会に泣き付かれてみろ。領主に報告されて職なしだぜ」
そんな声を背中で聞いて、ジルを見上げた。
「少しは知恵があったんだな」
ジルはそう言うと、正面を見たまま小さく笑った。
宿は看板に馬や馬車が描かれている所を選ぶ。
何件かに寄ったが、部屋は空いていても、馬車をとめる場所に空きがなかった。
ジルは私を連れているからだろう、安宿には近付こうともしない。
「ジル、私にはジルもルベもいるから、何も心配していないし、汚いところだって一泊だもの、平気だよ?」
ジルは少しうなってから言った。
「安全はきっとこの町で一番なんだが……。あいつらは品性をお袋のはらに置き忘れてきちまったからなぁ」
「ジルがよく泊まるところなの?」
「ああ。小汚いが、飯はうまいからな」
ジルが何を気にしているのかが、分からなかった。
「そこにしようよ。私はそこがいい。ジルの知り合いなら安心だもの」
「いいのか?」
「うん。私はセルジオとエリーの娘よ。お嬢様じゃないもの」
「そうだよな。んじゃあ、行こうか」
着いた場所は酒場だった……。
「ジルベルトじゃないか。朝までか?」
「ああ。頼めるか」
「お前の事ならごめんだが、馬は任せておけ」
「頼んだ、爺さん」
「おぉおぉ。よしよし。疲れただろう。たくさん食ってゆっくり休め」
馬に話し掛けながら歩く老人の背中は、とても優しそうに見えた。
「馬以外に、興味がないんだ。ただ、馬は元気にしてくれる」
「うん。それで私たちを元気にしてくれるのはお酒? 飲めないよ?」
「あん? ああ、悪いな。上の部屋を貸してくれるが、少しうるさいかな」
扉を開けるとそこは、ただの路地裏の酒場だった。
暗い店にテーブル席が六つ。後は長いカウンターだが、そこには椅子はなく、男たちは立って酒を飲んでいた。
「ジルベルト、生きていやがったか!」
カウンターの中にいる男が、白い歯を見せた。
「死ぬほど危ない仕事はしていねぇ」
「そんなつまらん仕事は蹴飛ばせ。逝く前に死んでどうするよ」
ジルはあきれたように首を振った。
「ほっとけや。店主、一番静かな部屋をくれ」
男はこの店の主人のらしい。彼は私にようやく気がついたようで、カウンターから身を乗り出した。
「ん? さらったのか?」
「だからよぉ、俺をなんだと思っていやがる。恩ある人から一晩、預かったんだよ。なんだって看板を出している宿が、どこもかしこも満員なんだ?」
「ああ。貴族が貸し切っているんだ。国境は今、貴族を出さないからな。他国の関係者の迎えを待っているのさ。当主は出られないがな」
「はあ? 貴族は全員、出国禁止なんだろう?」
店主は呆れたように、少し肩を上げた。
「他国からわざわざ迎えに来るんだぞ? 他国の貴族と争う暇はねぇだろ?」
「なるほどな。他国から嫁に来てる事もあるからな」
「うちの一等室だ。風呂にでも入れてやれ。飯は運ばせる。ここはかわいい娘が飯を食う店じゃねぇからな。嬢ちゃん、ゆっくりやすみな」
店主はそう言うと、優しい表情で私を見た。
「ありがとうございます。お世話になります」
「ほおぉ。大したもんだ」
何が大したものなのかが分からない。
ジルは宿代を払うと、私の肩に手をおいて歩き始めた。
その部屋は二階の、一番突き当たりにあった。
ベッドが二つと、木のテーブルと椅子がある。
私はこの世界の宿屋を知らないが、不快な感じは全くしなかった。
「へえ。こんな小綺麗な部屋があったんだな」
「他の部屋はひどいの?」
「小さい部屋にベッドが一つ。風呂はない。便所は酒場と共同だ。飯はテーブルに空きがなきゃ立ち食いだな」
別に温泉旅館や観光用のホテルではないのだから、それ程の期待はしていないが、その話に私は大きな問題を見つけた。
「立ち食いは厳しい……。私ではカウンターに届かないわ」
「だな? そんな時は誰かをたたき出しゃあ済むけどな」
「そう言えば、ジル。二階のお風呂ってどうやって沸かすの?」
「ああ、そうか。こっちに来てみな」
風呂場にはバスタブがあり、魔導具が付いていた。
魔導具は微量の魔力を流すだけで使えるらしく、すぐにお湯は溜まった。
ジルの後で、ルベとお風呂に入った。ルベはお風呂が気に入ったようで、幸せそうに浮かんでいた。
入浴後はなんとルベが髪を乾かしてくれたのである。
「ルベ、ありがとう」
「ダニエルのを見ていたからな。我を見ろ、あれは下手なのだ」
確かに、膨らんではいなかったが、面白みは半減していた。
ジルは前回のルベを思い出したのか、また笑っていた。
夕食はスープとパンとステーキだった。
この世界は肉料理が多く、岩塩と香辛料を塗り込んで、とりあえず焼く。
焼き方もうまいが、ステーキのソースには、こだわりのある人が多い。
肉の種類は魔物の数だけある。
「この肉、おいしい」
「高レベルの冒険者も顔を出す店だから、良い肉が手に入るらしい。ここは煮込みもうまいんだ。朝からでも食える」
「明日の朝は、煮込みが出るといいね」
「そうだな」
その夜はルベとゆっくり眠った。




