海とドナート神官
海沿いの細い道にある脇道は、馬車が辛うじて通る事ができる幅しかなく、人々が通うであろう教会へ続く道とは、とても思えない。
かつては多くの人が通ったのだろうか、その道に敷かれている、すり減った石畳は今、雑草を防ぐだけの代物になっていた。
小高い丘の上には、教会以外の建物はない。
その教会が、まるで私たちの訪れに興味がないように見えるのは、入り口が道に面していないせいだろう。
道を外れて教会の裏で馬車を降り、入り口へ回り込む。
私は教会も前に立って、振り返った。
「この教会は、民のためではなく、海のためにあるのでしょうか?」
「どうして、そう思われたのかな?」
「だって、海の向こうの誰かを、恋しがっているように感じるもの。あっ、失礼いたしました」
思わず聞かれるがままに答えてしまったが、初めて見る紫色の神官服の老人は、ダニエル様の師匠なのだろうと思った。
長い髪と髭は白いが、元は茶色だったのだろうか、その色が幾筋か残っている。
瞳は黒いが、その輪郭は年を重ねたせいか、奇麗な円を描いてはいなかった。
「ご無沙汰いたしております、師匠」
「おお、ダニエル様。ご健勝そうで何よりです。おいでになると連絡がまいりましたので、こうしてお迎えにあがりました」
なんて優しく、ダニエル様を見る方なのだろう。
『ドナート、久しいな。我は今、ルベウスと名乗っておる』
「はい。ダニエル様からのお手紙で、伺っております」
『そうか。苦労を掛けたな』
「もったいない、お言葉でございます」
ルベは誰にでも、偉そうな物言いをするが、どうやら迷惑をお掛けしたようだ。
「師匠。彼女がエリザベスです」
「初めてお目に掛かります。エリザベスと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
ダニエル様に紹介されて、私はご挨拶をした。
「ドナートです。この教会に長く居着いております」
ドナート様はそう言って、面白そうに小さく笑った。
「ドナート様、また、そのようにおっしゃって」
「彼はデビット神官。私の後任者になる者です。お見知りおきください」
デビット神官は自己紹介をしてくださった。
私もご挨拶をしたが、初対面は私だけだったようである。
皆と礼拝堂で祈った時、私は最古の教会の女神像と対面して驚いた。
大きな女神像と、その膝丈ほどの神獣の像しか見た事がなかったが、ここの像は違っていたのである。
前世の友人たちと変わらない身長だから、百六十センチ前後だろうか、明るく優しそうな女神様には、親近感を覚えた。
しかし神獣は、四つ足なのに、その背中は女神様と同じくらいはあるのだ。
大きすぎて怖い。四神獣というのだから、あれが四頭もいるのだろうか。
種類が違うと思いたいが、私は同じ姿をした、三頭の神獣を見ているのである。
空を飛んでいたので、大きさの見当はつかないが。
「ダニエル様、お部屋はお任せしてよろしいでしょうか」
礼拝堂から出る時、デビット神官が言った。
「ええ。自由に使わせていただきますので、お気遣いなく」
「助かります」
古い教会には、元々客室はなかったようで、使われていない病室で、客は寝泊まりをするようだ。
病室は四人用が二つあったが、一部屋だけを使わせてもらう事にした。
ベッドとサイドテーブルが四組みしかない部屋は、就寝時以外に使う事はなさそうだった。
部屋を決めて寝床を整えると、ダニエル様はドナート様に話があるようで、部屋をでて行った。
ドナート様とデビット様の、身の回りのお世話をしている管理人さんは、ジョンもよく知っている人らしい。
急に人数が増えて大変だろうと、ジョンは早速、手伝いに向かった。
ゆっくり、休んでいろと言われたが、休むって何をすれば良いのだろう。
ベッドの上で、体育座りをしてみた。
私の休む姿勢はこれだろうか。
『ルベ、海が見える。そういえばここから見える海に、名前はないの?』
『山は区別がつかないから、名前が必要だろうが、海は一つなのだから、名前はいらぬだろう。第一どのように分けるのだ?』
大陸間の戦争を神獣が許さない世界で、漁業権の主張をしたら、神獣に怒られそうだと思った。
ルベは古い地図を出した。
『暇なら、少し話をしようか、ベスはこの世界が丸いと知っているな?』
『うん』
『だが、世界を描いた地図の上は白、下は赤、右が必ず青で左が黒の大陸。それ以外の地図はない。そして、船はこの地図からは出ないのだ』
『なぜ? 青の大陸のベルナーダ国と、黒の大陸の二区や四区は近いと思うわ』
『そうだ。だが、それはできないと海に携わる者は皆、知っている』
地図にはない海には、船が通れない場所があるとルベは言う。
その場所は“神の海域”と呼ばれているようだ。
その海域に挑んだ船の乗組員は、生きては戻らないらしい。
運良く生き残った者たちは、呼吸ができない場所だったと、必ず証言をするようである。
彼らは皆、どこかの大陸付近で、仲間の遺体と船ごと漂っていて、助けられるのだと言う。
『そんな怪しい場所を、教会本部が放置するとは思えないわ。だけど教会が動かないと言う事は、そこに秘密があるからでしょう?』
『ほう、そう取るか』
それ以外は考えられない。
興味本位で行ったにしても、人が命を落とすような場所である、自ら出向かなくても、教会本部の大神官は神の言葉が聞けるのだ。
『うん。その秘密をルベは知っているでしょう? で、何があるの?』
『それはまだ、教える訳にはいかん。そして教えるのは我ではない』
ルベでなければ、ダニエル様しかいない。
ルベは、まだと言ったのだ。
そしてどうやら、いつかは教えてもらえるようだ。
別に船乗りになろうとは、思っていない。
ならば今は“神の海域”があるとだけ覚えておこうと思う。
夕食が、土間にあるテーブルに並べられた。
「四区の料理ですから、お口に合うかどうか……」
教会の管理人さんが、そう言って笑顔を向けた。
魚がぶつ切りで、たくさんの野菜と煮込まれていた。
大豆のかけらは少し大きいが、これは間違いなくみそ仕立てである。
米酢が利いている酢飯の中には、しょう油で煮た具材が混ざっていて、食べた事のない混ぜ寿司を懐かしいと思った。
「すごく、おいしい。このスープは体が温まりますね」
みそ汁より鍋に近いと思うのだが、ここはスープと言うのが、正解だろう。
「ベスは、四区の食い物を本当に嫌わないな」
ジョンはそれが嬉しいようだ。
ルベの深いスープ皿にある、魚の骨を外していると、ダニエル様と目が合った。
「魔物の骨すら噛み砕くのですから、そのままで良いでしょう?」
『汁につかった骨は、味が悪い。ベスが手を掛けると、食い物が一段とうまくなるのを、知らんのか』
『知りませんよ。わがままな……』
ドナート様には、ルベの話が聞こえるので、少し困った顔でダニエル様を見てから、小さく笑った。
「ルベウス様のスープには、エリザベス様のお気持ちが、込められています。私たちのスープより、きっと良い味になることでしょうね」
私は食事をしながら、そっとダニエル様を盗み見た。
悪態をつくのはいつもの事だが、今夜は少し何かが違う。
まるで、ルベに不信感を抱いているかのように、その言葉に冷たい物を感じたのである。
何かがあったのだろうか……。
テーブルの食器が片付けられて、良い香りのハーブ茶が配られた時、ドナート様が席を立たれた。
「エリザベス様。少し私の部屋でお話をいたしませんか? 最近、若いお嬢さんとお話をする機会がありませんので」
「はい。若過ぎて子供ですが、喜んで」
ドナート様のごまかしに、気が付かないような振りをして、私は立ち上がった。
「師匠、私もお話を」
『我はベスのそばにおる』
ダニエル様とルベは子供か……。
「私は若いお嬢さんと、楽しくおしゃべりがしたいのですよ。邪魔はしないでください。さあ、エリザベス様、参りましょう」
私は肩を落としている二人に、小さく手を振った。
ドナート様の執務室は、壁が見えない程の本があったが、奇麗に整頓がされていて、落ち着きのある雰囲気だった。
唯一、執務机の前にある窓からは、海が見えるのだろうが、今はランプの明かりに照らされた、私の姿が映っている。
私たちの後から入ってきた管理人さんが、小さな机にお茶を置いて退室した。
ドナート様は、椅子を引いて私を座らせると、ゆっくりとテーブルの向かいの椅子に腰を下ろした。
「ダニエル様は、本当にエリザベス様がかわいくて、仕方がないのでしょう。困ったものです。ルベウス様にあのような態度をおとりになるとは」
やはり、今日の悪態は違ったのか……。
「残念ながら私にはもう、ダニエル様を見守る時間がないのです。来年の春には、旅立たねばなりませんからね」
察してはいたが、旅立ちとはこの場合、死を意味する言葉だろうか。
「その旅の出発を、遅らせる事は不可能なのでしょうか?」
ダニエル様の魔法は、きっと使えないのだろう。
それができるのならば、迷わずに使用するに決まっているのだから。
「ええ。早くなっても、遅くはなりません。もう、私は十分に生きたのです。人間はいくつになっても、この世に未練があり、やり残している事はあるのです。どこで見切りを付けるか、それだけのようです」
年を取ると人は悟って、この世に未練は無くなるものと思っていた。
「私には、神からお預かりした力があるのです。この紫の神官服を着用しているのが、送り神官の証なのですよ」
「送り神官?」
神官補、神官、主神官、大神官に獣神官。教室で教わるのはそれだけだ。
「ええ。世界でただ一人の仕事です。私は神や獣神がお呼びになった方を、送って差し上げるのが仕事なのですよ」
殺すのだろうか。神と会う機会は、それ以外にはないと思うのだが。
「どこへ? どのようにして?」
「送り神官は、神からその力を授かるのですが、それは、死期が近付くとだんだんと薄れてしまうのですよ。次の送り神官になるデビットは、まだ、その力を有していません。後十年は修行を積まなければなりません。デビットはそれを成し遂げるでしょうが、その間、送り神官の席が空きになるのです」
それは分かったが、聞いたところで、十二歳の私に何ができるだろう。
しばらく考えてはみたが、私が役に立てるとしたらデビット神官に、頑張れと声援を送る位しか思い浮かばない。
そして、きっとそれは“ありがた迷惑”とよばれる類いの物だと思う。
「私がエリザベス様と、お話をしたかったのは、教会本部と、ダニエル様の言わないであろう本音の話です。本来ならば、それはまだ先でも良かったのですが、それを良しとしない、大きな力が動きだしてしまったのです」
教会本部の思惑が何かを、私は知らない。
だが、ダニエル様がそれから、私を守ってくれている事は知っている。
大きな力が何かは分からないが、私はこれ以上、ダニエル様の陰に隠れていてはいけない気がする。
私自身の事ならば、自分で解決をする努力は、するべきだろうと思った。




