ジョンの故郷
「良い馬ですね」
「こいつは二区で見つけて、五区まで乗って来たやつです。取っておいてもらったんですよ。四区に行くと分かっていましたからね」
ダニエル様の言葉に、得意そうにジョンが馬をなでた。
「初めまして、よろしくね。黒いたてがみは私と同じね」
黒毛の馬はまるで、なでろと言っているかのように、私に鼻先を押し付けた。
「ベスは、馬に好かれるようだね。前の馬も、ベスにはそうして甘えていた」
馬をなでる私をみながら、ジョンは目を細めた。
「だって、私は馬のお世話しかできないから」
「馬は嫌いな人に触られるのを、ひどく嫌がるものだよ。こいつは結構、気難しい馬だと思う」
「そうなの? それなら、気に入ってもらえて良かったわ」
山道は馬の休息を幾度も挟むので、嫌われると世話がしにくいだろう。
幸い、性格の良い馬にあたっているのか、今まで困った事はない。
街道が広かったせいか、山道はとても狭く感じる。
二区へ向かう馬車が多かったのか、途中から他の馬車は見えなくなった。
「ダニエル様、近道を行っても良いですか?」
「ルベがいるから、大丈夫ですよ。ただ、崖から落ちるのは二度とご免です」
落ちたのか……。
「あの時は、大変でしたよね。あれはオレや馬のせいではありませんよ。まさか、魔物が滑り落ちてくるなんて、普通は思わないですよ」
「魔物が滑り落ちてきたのですか?」
私は驚いて、ダニエル様に尋ねた。
「ええ、崖の上で魔物同士が、争っていたらしいのですが、落ちてきましてね。ルベがいなければ、全員がけがでは済まなかったでしょうね」
『我もまさか、落ちてくるとは思わなかった。腹がたったので、落としたやつも食ってやったわ』
食ったのか……。
一番恐ろしい思いをしたのは、この場合は魔物だと私は思った。
「あれはうまかったですよね。熟成させなくても柔らかで、もう一度食べたい肉ですよね」
「死ぬかと思ったのですよ。もう、味なんて覚えていません」
ジョンの笑顔と、ダニエル様の嫌そうな顔が対照的で笑ってしまった。
『ベス、食いたいか?』
『安全が一番。ルベはそばにいてね』
私はそう言って、ルベの背をなでた。
走り回っていると言っていたジョンが、それ以来食べていないと言うのだ。
間違いなく、危ない魔物に違いない。
味の問題ではなく、命の問題である。
うまい物はたくさんあるが、命はひとつだけなのだから。
四区までの道を熟知しているジョンでも、山は三度も越えなくてはならない。
馬の休憩に人間が合わせて、最初の夜を迎えた。
ルベの空間で、馬を自由にしてやる事は、どの馬もとても喜ぶ。
平地に川の水と新鮮な食料があり、危害を加える生き物もいないのだから、当然ではある。
一方、私たちの食事は、昼間はルベに保存をしている物を食べるが、夜は炊事になる。
ダニエル様とジョンが二人で話し合い、今夜はダニエル様がスープを作り、ジョンが肉を焼く事になった。
「四区に行くから、これはもう食べてもいいかな」
そう言ってジョンが出したのは、なんと米だった。
私はきっと、その米をしばらく見つめていたのだろう。
「ベス? これは四区の食べ物なんだよ。不思議だろうけど水からゆでると食べられるんだ」
知っていますとも。
おまけにその料理法はゆでるではなく、炊くと言う事も。
『ベス、どうした?』
『ジョンが出した食材は、前世では米と言って、主食だったの』
心配するルベに、私はそう説明をした。
『そうでしたか、あれはライハですよ。とても手が掛かる植物で、四区でしか作られていません。ジョンはパンより保存が利くと、持ち歩いていますが、あの量を見ると、しばらく忙しくて戻れなかったのでしょうね』
ダニエル様はそう言うと、出来上がったら、私にも食べさせて欲しいと頼んでくれた。
「好きになってくれると嬉しいな。オレの荷物の半分はライハなんだよ」
「楽しみにしています」
ジョンの言葉に、私はそう言うしかなかったが、楽しみにしているのは、事実だった。
ダニエル様のスープは旅に出ると、健康を考えて急に具沢山になる。
ジョンは肉を、岩塩とコショウだけでシンプルに焼くが、それぞれの好み通りにとても上手に焼き上げた。
ルベはほとんど生だが、中までちゃんと温かかった。
私はルベと一緒に食べる事が多いので、今ではすっかり焼き加減はレアが好きになった。
レアの柔らかい歯ごたえと、肉の甘みを覚えてしまったら、もう、硬い肉には戻れないと思っている。
私にとって、今夜のメイン料理は炊きたてのご飯だった。
ジョンはふっくらと、とても上手にご飯を炊く。
ああ、こんなにご飯って甘かったのだ……。おいしい。
両親が共働きだった、我が家の唯一の贅沢品。
ばあちゃんが上等な米を購入していたせいで、亡くなった後も米だけは、質を落とせなかったのである。
その味覚がまだ残っているのか、忘れてしまったのかは分からないが、ジョンの炊いてくれたご飯は、香りや艶、味も申し分がなかった。
「おいしい……。ジョン、ありがとう」
「そうか、うまいか。秋には採れたても食わせてやるよ。うまいぞう」
おいしい新米が、この世界でも食べられると思うと、嬉しかった。
米の中に水分がある新米こそ、少し固めで楽しみたいと思うのは、ぜいたくだろうか。
「はい。楽しみにしています。ちなみに、ライハでお酒も造っていますか?」
「ああ。造っているぞ。ベスはいける口か?」
いけない口ですが……。
「馬鹿を言わないでください。ベスに飲ませたりは、していませんよ」
ニコニコと会話を聞いていたダニエル様が、慌てて否定した。
「だってダニエル様、ライハの酒は造り方が特殊で、秘伝なんですよ? 聞かれる事はまずありませんからね」
酒があると言う事は、麹があると言うことなのだ。
ならば、みそやしょう油に類似した物があるかもしれない。
みそやしょう油はなくても、私は大丈夫なのだが、生の魚に岩塩やコショウ、シードオイルを掛けられては、刺身が恋しくなる。
この世界の肉は、種類がたくさんある。
肉の種類と同じだけ脂の種類もあり、それがとてもおいしいのである。
脂の味が良い魔物の肉に出会ったら、私は迷わず豚汁だと思ってしまう。
ああ、ひょっとしたら私、みそとしょう油が好きなのかも……。
ダニエル様とジョンが、お酒を飲み始めたので、私は後片付けをした。
ルベと私はお酒を飲まないので、ダニエル様がお酒を楽しむ相手がいる時は、邪魔をしたくはない。
いつものようにルベにお風呂を出してもらって、私はルベとお風呂を楽しむ事にした。
小川の音と、満天の星。
温泉ではないが、露天風呂である。
「あぁ。極楽、極楽」
『ゴクラクとはなんだ?』
うは。そこを聞きますか……。
「前世にはいろいろな宗教があってね。こっちでいう教会みたいな物を建てる時、お風呂も建てていたらしいのよ。体を清潔にすると病気になりにくくて、幸せが来るという教えがあったって、ばあちゃんが言っていたわ。極楽は神様のいる場所の事だから、そんな場所にいるような、幸せな気分という事かもしれないわね」
ばあちゃんは良く語る人だったけれど、半分くらいは創作だったから、真実かどうかは限りなく怪しいのだけれど。
『ゴクラク、ゴクラク』
ルベは極楽という言葉が、気に入ったらしく、言葉と一緒に尻尾を揺らした。
テントの中には、ダニエル様のこだわりのベッドマット。
洗ってフカフカでスベスベになったルベは、抱き心地が最高に良い。
いつものようにルベをなでながら、私はゆっくりと目を閉じた。
それから私たちは二つ目の山で、一日中薬草や山菜の採取をした。
急ぐ旅ではない。
それよりも、この地方のこの時期にしかない、珍しい植物を見つける事が楽しかった。
三つ目の山から、四区が見えた。
「畑が……。きれいですね」
「見えている場所は農業地だからね。四区は別名、四の国と言われているんだよ」
ジョンが明るい笑顔で言う。
「黒の大陸中が戦争をしていた頃、四区だけは戦争をしなかったのです」
「魔法を使えない人が多ければ、攻め込まれるでしょう?」
ダニエル様の言葉に、私の問いは間違ってはいないと思う。
「この山々が砦になったのですよ。ごらんなさい。四区は崖に囲まれているのです。抜け道は二箇所だけなのです」
自分のいる山の麓は見えないが、切り立った岩肌が遠くに見えていた。
「四区が国と言われるのは、入り口を塞いで、外との関係を閉ざしても、少しも困らないほど全てが揃うからなんだよ」
「全て?」
ジョンの言葉に思わず反応をしてしまったが、考えてみると日本だって、鎖国時代があったのだから、それは可能だと思う。
「食べ物、衣類、金属、木材。その全てが揃うのですよ。昔から、魔法を使わない人たちが暮らしていましたから、独自の文化が発展したのです」
「でもダニエル様。魔法を使わないでできる事なら、他の区でもできますよね」
ダニエル様は、楽しそうな笑みを浮かべた。
「魔法で火起こしができるなら、魔法で鍋に水が張れるなら、あえて苦労はしないでしょう? 四区の人たちは独自の文化を代々受け継ぎ、進化をさせてきましたからね。真似をしようとしても、そう簡単にできない物がたくさんあるのですよ」
おお、匠か……。
魔法のない世界を知っている私には、四区の暮らしの方が、普通に受け入れられると思った。
『ベスにはきっと、普通の生活に見えるだろうな』
『うん。魔法がない世界で、十六年も生きていたからね』
『四区は魔法が発動しにくい。おまけに必要以上の魔力を使うから、魔法は極力、使わぬ事だ』
『うん。使わない人たちの前では、使えないでしょ?』
四区の人たちが、魔法をどのように考えているのかが、分からない以上、無闇に使用して、反感を買いたくはない。
ダニエル様が笑顔でうなずいて、私の頭をなでたのが答えだと思った。




