ミルクティーの真実
「また、お会いできる日を、楽しみにしていますよ」
ヒラリーさんは、そう言って大きなバスケットを手渡してくれた。
「また、来ます。どうかお元気で、ヒラリーさん」
私はそう言って、馬車の幌の中に入った。
五区を抜けるには、最短距離でも三日は掛かると聞かされた。
最後の村で馬を替え、必要な物を補充して、山を幾つか越えるらしい。
なかなかハードな旅になりそうだが、馬車に長時間揺られていても、私の体はもう、悲鳴を上げる事はない。
それどころか今は、山で見つける植物が楽しみで仕方がない。
三区と四区から港のある六区へ向かうには、五区を通らなければならない。
五区は畜産が盛んなので、大きな荷馬車も多く、街道は追い越しができるように、幅が広くなっていた。
私たちが乗っているのは、一頭立ての小さな幌馬車で、独立した御者台はない。
幌の前部で馬の手綱を操作する仕様だが、これは皆がそばにいるようで、狭いがなかなか良いと思った。
荷物がない分、身軽なせいか、馬の足取りは軽やかだった。
「お昼は止まらずに、これかしら」
私はヒラリーさんから持たされた、バスケットの布の端を、少しめくって中をのぞいた。
『我はベスのこの状態を知っておる』
『え?』
『オアズケ、と言うのだ』
何を言い出すかと思ったら……。
「ダニエル様、笑ってもいいですよ?」
本当に大笑いをするダニエル様は、遠慮という言葉を知らないと思う。
喜怒哀楽が顔に出なかったと言った、ヒラリーさんの会ったダニエル様は、本物だったのだろうか。
面影がなさ過ぎると思う。
「そう言えば、蜂蜜とミルクをたくさん持たされましたが、ダニエル様がミルクティーが好きだとは知りませんでしたよ。それも蜂蜜まで入れて」
私は初日だけ蜂蜜を入れたが、次の日からは入れなかった。
しかし、ダニエル様の分はヒラリーさんが、当然のように大きなさじで蜂蜜をすくい、毎日必ず入れていたのである。
「本当に、根にもつタイプなのでしょうか……。あれを飲む事だけが苦痛です」
「ええ?! 二人の思い出のミルクティーでしょう?」
首をかしげるダニエル様に、私の方が首をかしげたくなる。
嵐の夜、二人のほっこりとする話を、なぜか私が本人に話す事になった。
「ああ、その話はオレも聞きましたよ。あれを出されるのは、ダニエル様だけですよ、知っていましたか?」
ジョンは、手綱を操作しているので、前を見たまま少し声を張って言った。
「ヒラリーのお母さんは、とても料理上手だったのですが、おおらかと言うか、こだわりがないというか、よく食材を駄目にする人だったのです」
そう言って、ダニエル様は話しだした。
嵐の夜、ヒラリーさんがテーブルに顔を伏せて寝てしまったので、ダニエル様は一人で後片付けをしたのだと言う。
その時、テーブルが拭けないので、ヒラリーさんを起こそうとしたらしい。
そこでお茶を入れて起こそうと、カップを取りに行った時に、見つけてしまったのだとダニエル様は言った。
「何を?」
「何をですか?」
私とジョンの頭の中は、きっと同じ物が浮かんでいると思う。
「明日までは、持たないと思ったのです。そのミルクは、ほんの少しにおっていましたからね」
「ひどい!」
私の感動を返して欲しい。
「よく、無事だったな……」
ジョンはきっと、ヒラリーさんを思っているのだろう。
ミルクは混ぜずに沸かして、分離しなければ腐っていないと、ダニエル様は師匠に教わっていたようだ。
そこで分離していないミルクの、臭い消しに茶葉を使い、殺菌のために蜂蜜を加えたようである。
「どうして、そこまでして、ミルクを飲ませようとしたのですか?」
「ですから、テーブルを拭きたかっただけなのです。ヒラリーはいつまで怒っているのでしょうね。怒りが収まるまで飲み続けようとは、思っていますけれど」
馬の手綱を持ったまま、ジョンが苦しそうに身をよじって笑っている。
「許してくれるまで、頑張って飲んでくださいね」
私はそう言って、できるだけ優しい笑顔を作った。
ずれているにも程があると思うが、二人はどこか似ている気がした。
ヒラリーさんは心を込めて、ダニエル様の好きなミルクティーを、入れているのである。
彼がそれに気が付くまで、私は教えてあげない事にした。
こんな裏話を聞いても、きっとヒラリーさんは怒らないだろう。
そんな彼女の大切な思い出は、そっと大事にしておきたいと思うのである。
知らなければ幸せな真実ならば、黙っている事は裏切りではない。
それは、いたわりや愛だと思う。
真実を知りたいと、ルベやダニエル様を困らせていた自分を振り返り、思わず苦く笑ってしまった。
『ルベ、ごめんね。ありがとう』
私は、いつも困らせているであろうルベを、なでながらそう言った。
『どうした? 眠いのか?』
確かに夜は眠りにつくまで、ルベをなでてはいるが、午前中に眠れはしない。
ダニエル様がジョンと、何やら話し込んでいる姿に視線を向けてから、ルベは私を見た。
『あのミルクは腐ってはいなかった。ミルクは周りの臭いを吸うのだ。あの時は横に変な色のチーズがあったからな』
『そうなの? ダニエル様が罪悪感を抱く必要はないのね』
『子供だったダニエルに、我が罪を犯させる訳がなかろう』
ヒラリーさんの飲んだ物とダニエル様が飲み続けた物。
いろいろな思いがこもってはいるが、ルベだけはただのミルクティーだと知っていたようである。
後でジョンだけには、教えてあげようと思った。
黒の大陸は他の大陸とは違い、どこの町に入るのもお金が必要になるせいか、街道の脇には野営の跡が幾つも見受けられた。
魔物や盗賊がいるので、護衛のいない人たちは使わないだろうが、野営の跡は、様々な攻撃から身を守るのに適した場所が多い。
ルベの空間は、人通りの多い場所には適さない。
私たちは、他の旅人と同じように、野営をしながら進んだ。
ダニエル様と、薬草や食材を見つける楽しみがあるので、私は野営も好きだ。
ジョンは植物に詳しく、図鑑には載っていない事を、たくさん知っていた。
「ジョンは、どこで植物の事を習ったの?」
「ああ、オレは四区の出身だからね。ベスは四区の人間に会ったのは、初めてかい?」
「うん。あまり出身を気にした事はないの」
自分の出身も怪しい身の上で、人様に出身を聞ける訳がない。
「マニージュ国と四区の人間は一目で分かる。肌の色が違うからね」
肌の色での人種差別は、なくなったと聞いていたが、何と答えるべきだろう。
「言われれば、そうだけど」
「まあ、四区の人間に会う事は少ないと思うから、オレの色を覚えておくと良いよ。四区の人間はあまり区の外には出ないからね。外の区にいる四区の人間は、肌の色が白い者が多いんだ」
「あのぉ、失礼だとは思うのよ。でも、分からないから聞いてもいい?」
ジョンが笑顔でうなずいてくれたから、ここは遠慮はしない事にした。
「区から出ると、肌が白くなるの? 肌の色は、そんなに変わるものではないでしょう?」
「そうか、本当に何も知らないんだね。四区の人間は魔力がほとんど無いんだ。外の血が入った子供は魔力が普通にあるから、肌の色が違う。そんな子は十五歳で区から出されるんだよ」
「十五歳で親から離されるの?!」
親から離される話には、つい敏感に反応してしまう。
「いや、違うよ。四区は空気中の魔素が少ない場所だから、魔法が使いにくいんだ。せっかく、魔法が使えるなら、外でも暮らせるだろう? 魔力がほとんど無い者は、学業も仕事も制限があるからね」
確かに、魔力を使う仕事には就けないだろう、おまけにこの世界は、魔力ありきで動いているのだから。
「魔力があっても、区から出たくない人はどうするの?」
親や兄弟から、離れるのを望まない子供はいるだろうと思う。
「生涯、昇級しない警備兵になりたい者は少ないよ。外で暮らしても、家族との行き来ができるからね。魔力がある家系は、外の区に親戚がいる場合が多い。四区の魔力持ちは、縁談も来ないからね」
魔力を持つと言う事は、四区から離れる将来につながるのだろう。
結婚が敬遠されるのは、納得はできないが理解はできる。
他の大陸や区で、魔力が微量と判定された者の、受け入れや保護もしていると聞かされれば、ますます不思議な区に思える。
旅は順調で、いよいよ五区の最後の村に着くようだった。
街道の両横に村があるのか、村の中を街道が走っていると言うべきか、五区最後の村は、そんな様子ではあるが一つの村だとジョンは言った。
「山を越えてくる者は、この村を目指してくるんだ。この村の半分は入村が無料なんだよ。馬屋と小さな店があるだけだけど、野営場所もあるから、重宝されているんだよ」
ジョンはそう言うと、迷わず無料の方へと馬車を入れた。
ダニエル様は神官で、私は五区に入ってひと月もたってはいないので、村には入れるが、ジョンは金を払った事がないようだ。
「私が資金を、出し渋っているように思われるでしょう?」
今まで本を読んでいたダニエル様が、不服そうな顔をした。
「見つかったら、払えばいいんですよ。オレたちみたいに、黒の大陸を動き回る者には、家族という名の仲間がいますからね。素通りする村に金貨一枚なんて、払いませんよ」
彼はそう言うと、村の野営場だろうか、井戸のある広場で私たちを下ろして、馬屋に向かった。
「ジョンには魔力がほとんど無いのですよ。ただ、それを補う程の知識で、黒の大陸の仲間をまとめているのです。魔法に後れを取らない剣とナイフを使います。それは見事なものですよ」
ジョンが見えなくなってから、ダニエル様はそう言って顔をほころばせた。
その横顔に、ダニエル様のジョンに対する信頼を、見たような気がした。




