ジョンが来るまで
ヒラリーさんの下宿屋にきて、四日目の朝。
剣の稽古のために、ダニエル様が待っている一階に下りた。
「ベス、今日の稽古は夕方にしてください」
ダニエル様が、魚を片手で持ち上げて、私に見せた。
「朝からどうしたのですか?」
「ルベウス様が明け方、大量の魚をくださったのよ」
ヒラリーさんはそう言って、少し困った笑みを浮かべた。
その気持ちが、とても良く分かるので、私も同じような顔をしていると思う。
「そろそろ、ベスに魚を食べさせようと思ったのでしょう。ここは昔から、冷凍の設備があるのを、ルベは知っていますからね」
いや、それにしても魚屋さんが、恥ずかしがるような量ですが……。
『その青い魚がうまいぞベス。元気がなくなる前に、あれを焼いてもらえ』
『ルベ、ありがとう。でも、とりあえずお手伝いをするから、少し椅子で休んでいてね』
気持ちは嬉しいが、知らぬ振りはできない。
『刃物を持つなら、気をつけるのだぞ。手を切りそうになったら言うのだぞ』
ダニエル様はそこで吹き出した。
そんな瞬間に助けを求める時間があれば、手を切る事は避けられると思う。
笑っているダニエル様だって、過保護に関しては似たり寄ったりなのだが、自覚はないようである。
港のある六区と、海がある四区に挟まれている五区には、海が無い。
五区は昔から塩で漬けた魚か、干物を食べていたのだと、ヒラリーさんは教えてくれた。
一方、一年中雪と氷に覆われている白の大陸では、魚は凍らせたまま保存していたのだと言う。
ここの主のために、魔力の高い主神官は、凍った魚を届けて、保存する方法を考えたようである。
『氷の魔法を使うだけでしょう?』
私はダニエル様に、そう尋ねた。
『ベスの使っている氷の魔法は、水魔法です。水の魔石と風の魔石を合わせても凍りませんよ』
ダニエル様に言われて、グープ車を思い出した。
あの箱車には水と風の魔石が付いていたから、砂漠地帯でも快適だったのだ。
『氷の魔法を使うには、高い魔力が必要なのだ。それに耐えられる大きくて強い魔石はそうそう手には入らぬ』
ルベは私を見てそう言った。
『だから、冷凍庫は少ないのね。ああ! ひょっとして、教会本部が資金源のために、主神官様たちに魔石を作らせているとか?』
『本部は忙しいのですよ。主神官が内職をしている時間はありません。白の大陸には魔石の補充工場はありますが』
あるのね……。確かに内職などをさせられたら、ダニエル様の悪態は止まらないだろうとは思う。
ヒラリーさんは大量の魚を、料理別に処理したいようで、ダニエル様と私はその指示通りに、魚をさばいていった。
『魚は内臓を食う物だというのに』
ルベの言葉は、聞こえなかった事にした。私はサンマの内臓は除く派なのだ。
そんな派閥があるかどうかは知らないが。
魚の生臭いにおいは、出がらしの茶葉で落として、朝食になった。
新鮮な魚の塩焼きは、やはりおいしい。
ルベの食器にも、ほぐした魚の身を入れながら、表面をカリッと焼いたパンとともに食べた。
塩焼きの魚には、トーストしたパンがなぜか合う。
私とルベとの朝食を済ませて、ダニエル様は教会に出掛ける。
ジョンさんと合流して四区に向かう予定らしく、彼が到着するまで、教会の仕事をするようである。
ダニエル様が戻るのは夕方になる。
私は午前中だけ図書館で、勉強をする事にしている。
イーズリ第二学園で、私はいずれ修得しなければならない課題を、この機会に学ぼうと思ったのである。
私は五区の住人ではないので、図書館では、半日で銅貨五枚を支払わなければならない。
銅貨三枚もあれば、大人の靴ほど大きなパンに、肉や野菜をたっぷりと挟んだサンドウィッチが買える。
大きな器に入った果実水は銅貨二枚で買えるのだから、銅貨五枚あれば、昼食を食べる事ができるのである。
なかなか痛い出費だが、私は魔物を倒したり、盗賊を倒したり、事件の解決に協力したりと収入があったようである。
お金は学園に行っても、お釣りがくるほどあるのだといわれた。
偶然に得たお金は、周りに迷惑を掛けた自覚もあるので、受け取れる訳がない。
私の食いぶちとして、ダニエル様に使って欲しいと言ったが、本部からもらっている分が余っているから、欲しい物があるなら購入するようにと言われた。
テレビやファッション雑誌もない、古着屋を覗いても、積み上がった服の山を見ると、それを崩す気にはなれない。
武器や宝石は、手を出して良い年齢ではないと思う。
欲しい物って何だろう。
前世では、ショッピングモールに行くと、必要か否かは別にして、欲しい物はたくさんあった気がする。
お財布はルベなので、落とす事も盗まれる事もないが、外で食事をしないのは、ルベがカバンのままだからである。
お昼は、それを理解してくれるヒラリーさんと、食べる事にしている。
五区は海がなく、畜産業が盛んなので、乳製品や卵を使った料理が多い。
メインの肉料理はしたがって、野生の魔物の肉だけではない。
雌は子を産みミルクを出すが、雄は皮と肉になる。
五区は食料品の価格が安定していて、おまけに安価なようである。
今日の昼食は、ゆでた野菜と肉に自家製のソースをかけた物だったが、それがとてもおいしい。
「このソースは本当に、おいしいですよね。ダニエル様も大好きみたいです」
「これは両親の時代から、野菜や肉汁をつぎ足して火を通しているの。同じ味の物を新しく作るのは無理ね。ダニエル様もきっと懐かしい味なのでしょう」
飲食店ならば分かるが、個人でそれをするのは大変だろうと思う。
「そう言えば、私と同じ年ごろに、あの部屋を使ったと言っていました」
「ええ。ルベウス様もご一緒でしたよ。お食事はされなかったですがね」
「ルベが人間と食事をするようになったのは、最近ですからね」
私が強引に、食べさせたのが始まりである。
「ベス様とのお食事が、楽しいのでしょう。見ているとこちらまで、楽しくなりますよ。こんな日がくるなんて、思ってもいませんでした」
「ヒラリーさんは大げさです」
「そうでしょうか、ですが昔のダニエル様は、今とは別人のようだったのですよ」
ダニエル様は、ほとんど話をしない子供だったようで、ヒラリーさんは、面倒を見るようにご両親に言われて、困り果てたのだと笑った。
ルベをいつも肩に乗せていて、時々ルベにほほ笑む以外、喜怒哀楽を顔に出す事もなかったらしい。
「ヒラリーさん、そんな子は怖いです」
「大きな声では言えませんが、私も最初は少し怖かったの。でもある日、ダニエル様とお話をするきっかけができたのよ」
その日は雨が急に強くなったのだと、ゆっくりと過去を振り返るように、ヒラリーさんは言った。
ご両親が仕入れのために、遠くの村に出掛けたが、橋が流されて遠回りを強いられていると、ダニエル様が教会で、聞いてきたようである。
当時は四人の下宿人がいたので、ヒラリーさんは急いで、夕食の支度をしたようである。
ダニエル様が手伝って、何とか夕食は無事に終わったらしい。
ヒラリーさんは手伝い程度しか料理経験がなく、ほぼ、ダニエル様がしてくれたのだと笑った。
ヒラリーさんは、ご両親を心配しながら、眠ってしまったらしく、ダニエル様に起こされたようだ。
“二人の無事は、教会が確認済みだから、安心してベッドに入るといいよ”
ダニエル様はそう言って、蜂蜜入りのミルクティーを目の前に置いたという。
「それがね、後片付けも全部終わって、台所は料理前より奇麗になっていたの」
「そういう人ですよね。神経質のくせに、その神経の一本が丈が足りていないみたいな……」
「そうね。本当にそうだわ」
ヒラリーさんは、私の言葉が気に入ったようで、しばらく笑っていた。
私は毎朝、決まって出されるミルクティーの謎が、ようやく解けた。
ダニエル様とヒラリーさんの思い出の飲み物だったのだ……。
その日の夕方、下宿に帰ってきたダニエル様は、私と剣の稽古をして、いつもと同じように一日の報告を聞きながら、食事を済ませた。
私は話をしながら、一つ気になる事があって、集中ができないでいた。
『ルベ、木と布のすれるような変な音がするの。何かがいるわ』
『ふん。ダニエルに言え』
『大丈夫ですよ。音の持ち主はすぐに現れます』
「ジョン、ヒラリー以外には見つかっていますが、まだ続けますか?」
「まあ、相変わらずねジョン。夕食は済んでいるの?」
ダニエル様の言葉に、ヒラリーさんは顔に笑みを浮かべて、辺りを見回した。
「久し振り、ヒラリー。腹ぺこだよ、何か残っている?」
彼は部屋のドアから入ってきたが、どこにいたのだろう。
「ええ。すぐに用意をするわ」
どうやら、彼のこの行動を不思議に思っているのは、私だけのようである。
「ルベウス様、ダニエル様、お久し振りです。こちらがエリザベス様ですか?」
「初めまして、エリザベスです」
「オレはジョン。よろしくね」
深い茶色の髪と目。そして、透明感のない象牙色の肌。
何より驚いたのは、その少し浅い面立ちだった。
日本人だと思った。
いや、日本ではなくても、地球の東南アジア系の懐かしさがある。
それは当然口には出せない事なのだが。
私がこちらに持ってきたのは、記憶と黒い髪と目だけである。
前世の顔を知っているのは、ルベだけなのだ。
「三区はとうとう民衆が動き出しましたね。皆からも連絡が来るでしょうが」
「やはりそうですか。前の代表は二期務めましたから六年ですよね。仕事熱心な方だったのでしょうか、そのような話は、聞こえてはきませんでしたが。何とか穏やかに済むと良いのですがね」
ダニエル様とジョンさんが、話し込んでいるうちに、ヒラリーさんの料理が完成した。
ダニエル様は酒をのみながら、お付き合いをするようだ。
久しく会っていなかったのだ、積もる話もあるだろう。
私は、皆にお休みの挨拶をして、自室に戻った。
『ジョンの話を聞きたかったでしょう? 同じ家にいるのだから心配はないのに』
『ダニエルとジョンもいるから、心配はないが、三区の話なら人より正確に知っている。魔物は人の争いに、敏感にならざるを得ないからな。それより、あれが来たなら、四区へ向かう旅になる。ベスはゆっくり休め』
ルベは魔物だったのよね。時々、忘れてごめんなさい……。




