五歳児の愛
まるで私の小さな分身のようだと、ダニエル様に笑われると、得意そうにこちらを見上げるフルビア。
褒められてはいないと思うけれど……。
寝食をともにしていると、ふと弟を思い出す。
弟のエルモはフルビアの一つ上である。
かわいい盛りを、ともにいられない事を残念に思う。
男の子と女の子は違うだろうが、それでも、たった一人の弟に会いたいと思う。
元気にしているだろうか。
ダニエル様は、体調を崩した乗客や船員を診た後、フルビアの祖父母の元にいる事が多い。おじいさんはかなり元気になったようだが、おばあさんは思わしくないようである。
フルビアを日に一度連れて行くが、それぞれの気持ちが、私の目にはほんの僅かだが、ずれているような気がしてならない。
彼女もそれを感じているのか、面会の後は表情が晴れない。
部屋に戻るとすぐに食事が届き、フルビアの顔が輝く。
もちろん、自分が食べるためではない。
ルベと自分の皿を、向かい合わせに並べると、自分のスープを飲んで、おいしさを表現しようと必死だ。
今日はミルクのシチューで、フルビアの好物である。
頬を押さえて、うっとりとする姿に、私は笑いを何とか押し殺した。
名演技というか迷演技である。
五歳児にしては見事な演技力ではあると思う。
私がルベに“アーン”と言って食べさせるせいか、フルビアもスプーンをルベに向けて、声は出ないが口を開けるので、本人は心の中で言っているのだろう。
今日はムニエルがある。
私は声を掛けずに、様子を見ながら、食事をしていた。
フルビアは少しも迷う事なく、それを口に入れて、おいしそうな顔を見せた。
ルベもしっかりと食べて、得意気な顔をしてみせる。
“ねえ、僕、食べたよ。偉いでしょうご主人様。褒めて! なでて”とでも聞こえているのだろうか、彼女は優しくうなずきながら、ルベをなでている。
『クソ、魚か。油の匂いでだまされた。我はそろそろ肉が食いたい』
『フルビアはまだ無理だから、我慢してね』
『分かっておる。人の子は食さぬ』
『そんな意味じゃないから!』
かわいいカーバンクルの裏側は、こんなものである。
フルビアには決して言えはしないが。
私とフルビアとルベが寝るために、ダニエル様が狭いベッドに移って、五日が過ぎていた。
夜中にダニエル様の気配を感じて、私は目を覚ました。
フルビアを起こさないように、私は魔力を使ってダニエル様に話し掛けた。
『おかえりなさい』
『起こしてしまいましたか?』
『いいえ、先程まで、図鑑を見ていましたから。お二人は良くなりましたか』
私の問いにダニエル様は、困った顔をして首を振った。
『おじいさんは、もう大丈夫でしょうが、おばあさんは、息子さんを亡くされた悲しみが今、来ているようです。心を癒やす魔法はありません。食が戻れば体力は付くと思うのですが。ベスのように不意打ちで、スプーンをだしましょうか』
そう言って、ダニエル様は苦く笑った。
『少し試してみたい事があります。おばあさんの食事ですが、明日の昼食は柔らかい野菜の入った、スープにしてもらえますか?』
『どうするのです? 召し上がりませんよ』
それは知っている、お婆さんは日に一度お会いするが、物静かで繊細な感じが、フルビアに似ていると思ったのだ。
『フルビアと三人で、食事をしてもらいましょう』
ダニエル様はしばらく考えて、弾かれたように私を見た。
『なるほど。ベス、お願いできますか?』
『フルビアは賢い子ですから、協力してくれると思いますよ』
私はきっと、とてもずるい顔をして笑っていると思う。
船はあと三日で、黒の大陸に着くのである。
五歳の子供にやらせるのは、少し酷だと思うが、多少の荒療治はこの際、許して欲しいと思った。
次の日の昼、私はフルビアと彼女の祖父母がいる船室にきていた。
彼女には祖母が食欲がなく、このままでは病気になるので、助けて欲しいと言っておいた。
もちろん、ルベの食事も上手に食べさせているのだから大丈夫だと、何とも無責任な助言も忘れずに添えた。
五歳の彼女は、両親を亡くし、初めて祖父母に会った。
大切にされているのは、分かっているはずである。
初対面で言葉も交わさず、意思の疎通を図る事は、大人でも難しい。
だが、フルビアは祖父母を肉親と自覚し、大切に思っている。
私は彼女と祖父母の部屋に通って、そう確信していた。
五歳児が家族を愛せる事を、忘れてしまった大人は多いのかもしれない。
その船室の窓からは海が見えていた。私たちは招待でただ乗りだが、老夫婦とその孫は正規の運賃を支払って、この上等な部屋を使っている。
とは言え彼らは貴族ではなく、黒の大陸では有名な商家らしい。
現役を退いた老夫婦は、末の息子家族の身に起こった悲劇から、立ち直る暇はなかったのだろう。
忘れ形見であるフルビアを生かす事に、無我夢中だったのだ。
老人がここまで頑張って、疲れて倒れた事を誰が責められるだろうか。
ベッドの横に用意されたテーブルに、祖父とフルビアが座る。
ダニエル様が手慣れた様子で、老婦人の身を起こして、その背に枕を差し込んだ。
老夫婦は、孫娘の前に置かれたスープを、黙って見つめた。
フルビアは祖父が食事を始めると、スープを一口、口にして私を見た。
「お食事が始まったばかりの所を、失礼いたします。今回はフルビアが少々、礼儀を欠く行動をいたしますが、お許しをいただきたいようでございます」
フルビアは祖父母を交互に見た。
「フルビア、許しなど得なくとも良い。そのように元気な姿になってくれたのだ。他に何も望まぬよ」
まあ、大人はそう言いながら、明日には何かを望むのだが。
船は少し揺れるので、私がベッドにスープの器を運んだ。
フルビアは大きな口で、スプーンの上の野菜とスープを食べ、小さな手を頬にあて、幸せそうに飲み込んだ。すごくおいしい事を表現しているようである。
私には妙な芸を教えた、後ろめたさはあるが、ここは知らない振りをする。
それから、スプーンでスープをすくい、祖母の口の前に持っていった。
「アーン」
祖母はそれを慌てて口に入れると、口元を押さえて泣き出した。
祖父は天井を見て、幾度か瞬きをすると、妻の肩を抱いた。
「フルビア、彼女は嬉しくて泣いているのだよ。ありがとう」
祖父は空いている方の腕で、フルビアを抱きしめた。
「おばあさまは、元気になる?」
「ああ、フルビアの声が聞けたのだ。すぐに元気になるだろう。こうしてともに食事ができる日を、どれだけ神に祈った事か……」
『フルビアが話せるようになったのを、隠していたのでしょうか。驚きました』
『そんなめでたい事を隠したりしません。五歳児の愛の奇跡でしょうか』
『声は出していた。夜泣きをする時に、母親を呼んでいただろうが』
ルベの言葉に、ダニエル様と私は、幾度も頭を縦に振った。
誰も見ていないが、突然無言のまま首を振る二人は、きっと怪しいと思う。
それから、フルビアは祖父母の部屋に戻り、楽しく食事をしているようで、私のそばでルベを抱きながら、報告をしてくれた。
私が感じた奇妙なずれは、どうやら、修正されたようである。
午後には黒の大陸の港に着く日、部屋に顔を出した彼女を、甲板に誘った。
ルベは外に出る事ができないから、お留守番だと言いながら、見えない場所でカバンに変わったルベを私は肩にかけた。
フルビアは迷わず、船首に向かって歩きだした。
私はやはり、今でも船尾に行きたくなる。
船長が初対面で言ったように、今回は残してきた人も心残りもないが、やはり見た事のない未来より、誰かとの思い出がある過去の方が、心が落ち着く。
「まだ、黒の大陸は見えないわね」
「ルベとベスはお家にくる?」
五歳の子供に、ここで別れるのだとは言いにくい。
泣かれたくはない。せっかく戻った笑顔なのである。
「私は学園に、勉強をしに行かなければならないのよ」
「勉強?」
「そう、フルビアももう少し大きくなったら、勉強をするのよ」
「勉強を?」
私はフルビアの横にしゃがんだ。
「フルビアは自分の名前が書ける?」
フルビアは首を横に振った。
「字を覚えるとね、名前が書けるようになるのよ、本も読めるようになる。今はお話を読んでもらっているでしょ? 世界中にたくさんのお話があるのよ。それを全部、自分で読めるようになるの。すごいでしょう?」
フルビアは、本の読み聞かせを、寝る前にねだる子だった。
「分からない事は、本が何でも教えてくれるのよ」
私はカバンから、図鑑をだした。
「例えばこの本は図鑑といって、世界中のお薬になる草や花が書かれているの。薬湯はたくさん飲まされたでしょう? 薬湯には、どんな草が入っているのかも、分かるのよ」
私がめくる本を、フルビアは面白そうにのぞき込んだ。
「フルビア、元気でいるのよ。私も元気でいるわ。私たちはいつでも会えるのよ。私を忘れないでいてくれるかしら?」
フルビアは大きくうなずいた。
「大好きよ。フルビア」
「ベス、大好き!」
「ありがとう」
甲板がにぎやかになってきた。
船旅から解放されるのが、嬉しいのだろう、どの顔にも、笑みがあった。
黒の大陸が、水平線にその姿を現した。
私はフルビアを彼女の祖父母に送り届けて、ダニエル様のもとへ急いだ。
「黒の大陸が見えてきましたよ」
「甲板はにぎやかでしょうから、停船してからでましょうか」
ダニエル様は、人目のある所は好まない。
世話になった人たちの挨拶を受けるのが、面倒なのに違いない。
「そういえば、あの奇麗なお姉さんは、どうしたのでしょう? 見かけませんでしたね?」
「狭い船の中で、そうそう問題を起こせませんからね。ご主人のそばにいたようですよ。いろいろと人生の計算もあるのでしょう」
計画をあえて計算と言う所をみると、彼女はダニエル様の、好みではないようである。
船が泊まり、私たちはゆっくりと客室をでた。
「エリザベス、話を聞きましたよ。大活躍だったようだね。それで、船は楽しめましたか?」
「はい。お陰様で、快適な旅でした。ありがとうございます」
フルビアたちの事を、ダニエル様に頼んだのは船長だったようで、報告を受けていたらしい。
ダニエル様が船長や、乗客と挨拶を終えて、私たちは船をおりた。
「ここが黒の大陸ですね。空気がおいしい」
「そうですね。赤の大陸とは気候も違いますからね」
どんな大陸なのだろう。
港町の中にある、草木の緑が鮮やかに目に飛び込んでくるのが、嬉しかった。
お読み頂き、ありがとうございます。
第二章 赤の大陸 はこれで終わります。
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第三章も引き続き、よろしくお願いいたします。




