眩んでみたい
「ベス、そんなに浮かない顔をするものではないわ。かわいい顔が台無しよ」
ルーシーさんは二日に一度、この言葉を口にする。
「だって、少しも楽しくないのよ。先生の真似をすれば、褒めてもらえるから、言う通りにしているけれど、架空の相手をそうそう敬えるものではないわ」
私の髪をまとめながら、鏡の中のルーシーさんが笑う。
侍女見習いの服と、証明書があれば、城内に入る事ができるのだ。
髪をまとめて、お仕着せを身に付けてまで城に入るのは、別に侍女になろうとしている訳ではない。
行儀作法を習うためである。
「確かにそうね。でも、どなたにどんな場所でお会いしても、ベスがベスでいるためには、礼儀作法は覚えて置くべきよ。あなたの周りの人たちに、恥をかかせないためにもね」
ルーシーさんは、鏡の中の私を諭すように言った。
同感ですとも……。
私の後見人は一見、容姿端麗で後光すら差していそうな、主神官様ですからね。
中身は悪態大魔神だとは、身内は知っているが、他の人には分からない。
私が言葉を話せる、二本足の魔物だと思われては、まずいに違いないのだ。
城には、行儀作法を教える教師がいる。
その教師は髪の毛の一本から、小指の先にまで目を配らせて指摘する。
美しい人が厳しい物言いをすると、冷たい人に見えて近寄りがたい。
始めたばかりの頃は、背中が筋肉痛になったり、どこかの筋肉が痙攣を起こしたりしていたのだから、体の順応性とは素晴らしい。
だが、気持ちには順応性はないようで、情けない事に気持ちはどんどん、沈んで行くばかりだった。
いつもの部屋で先生を待っていると、一人の女性が入ってきた。
先生より少し若いだろうか。
彼女もまたお仕着せではなく、ドレス姿だった。
一応、侍女見習いの私は慌てて立ち上がった。
「ええと、あなたがベスさん?」
「はい。侍女見習いのベスでございます」
「ああ。いいよ、いいよ。侍女見習いにあの人が、会う訳がないからね。私に付いてきなさい。今日から別の勉強をしてもらう」
「はい」
行儀見習いは、もういいのか。
他の勉強は望んでいないのだが。
「靴を脱いでね」
広い音楽室だと思ったのは、楽器が並んでいるせいだ。
靴に砂が付いていては、楽器に良くないのだろうか。
私は急いで靴を脱いだ。
「片方で良いよ。靴の大きさを知りたかっただけだからね」
「はい」
靴のサイズを知ってどうするのだろう。
私はだされた靴を見て、その女性を見た。
ヒールは高いが、太さがあるので、何とかなるだろうか。
「ダンスを覚えてもらうよ。基本の曲だけでも教えるように言われている。ベスはとても飲み込みが早いと聞いているから、教えがいがありそうだね」
多分フォークダンスではない。
テレビでしか見た事のないあれを、踊れと言うのか。
日本の女子高生の、社交ダンス人口すら知らないのだが。
「ダンスの先生でいらしたのですね」
「先生ねえ。王も本当に人が悪い。私はダンスが得意なだけよ。ちなみに礼儀を教えた人は、とある国の元王女。厳しかったでしょう? 何も聞かされていないのね。ベスはここで男性を一人でも見た?」
「いいえ」
城にはいくつも入り口があるようで、私が入る入り口と時間は決まっていた。
いつも同じ侍女さんが、待っていてくれたのだが、そう言われれば、兵士の一人も見てはいなかった。
「ここは、妃の宮なのよ」
私は慌てて、礼の姿勢をとるしかなかった。
「知らぬ事とはいえ、ご無礼をいたしました」
「お止めなさい。私はベスと楽しくダンスを踊りたいだけ。かしずかれるのは、侍女たちだけでたくさんなのよ。だから、顔を上げて笑顔を見せてちょうだい」
このお妃様は、本気で言っていると思った。
その声の温もりが心地よくて、私は顔をあげた。
笑顔は気に入ってもらえただろうか……。
その日からは楽しくて、ルーシーさんが呆れる程元気に、城へでかけた。
靴はもらい物で、靴になじむ前に足が悲鳴をあげたが、城の薬師は優秀で無事に乗り越えられた。
休憩時間には、楽器も触らせてもらった。
今はハープの音色がお気に入りだ。
ピアノは指が全く付いて行かなかった。
体が別物なのだから、仕方が無いが基礎は覚えているので、指を動かす練習をしようと思った。
家に戻り自分の部屋に入って、私は立ち尽くした。
『随分と楽しそうだな、ベス』
一歩も前に進めなかったのは、涙で前が見えなかったからである。
「ルベ……?」
『泣かせるつもりはなかったのだ。元気だったようだな』
いつものように、肩まで飛んできてくれたのだろう。
涙を小さな舌が拭う。
「うん。会いたかったよお」
私はルベを抱きしめて、そのすべすべとした毛をなでた。
『我もだ。だから、ダニエルを放って先に帰ってきたのだ』
「お仕事は終わったのね?」
ダニエル様を放ってきては、駄目だと思うが。
『あれは部下と、ここまで十日は掛かるだろう。人は不便過ぎる』
ハーゲンたちとダニエル様の様子を、想像すると楽しくなってくる。
「一人で来ちゃったの? 危なくなかった?」
ルベは強くても小さいのである。
鉱山から王都までの砂漠を、私に会うために、飛んできてくれたのだと思うとたまらない。
『我は強いからな』
そう自慢げに胸を張る姿は、やはり頼もしいと言うより、かわいいが相応しい。
ルベと風呂に入ったり、一緒に食事をしたりする姿を見て、リュアンさんもルーシーさんも初めは驚いていたが、すぐに慣れてくれて、一緒に楽しんでくれるようになった。
私とルベが会話をしているとは、思ってもいないようで、私は生き物好きの優しい子なのだと信じているようだった。
ダーは好きだが、ルベとは別枠なのだが、あえて否定をする事でもない。
ルベが帰ってきた事で、ダニエル様も近々戻るだろうと、行儀作法の勉強は終わりになった。
妃の宮に挨拶に伺った後、見た事のない侍女さんに呼び止められた。
案内された庭には緑があり、花が咲いていて、ここが砂漠の真ん中であることを忘れてしまいそうになる。
珍しそうに辺りを見回している私に、侍女さんは城に幾つかある庭の、一つだと話してくれた。
彼女は小さく笑っているが、私の反応はきっと普通だと思う。
侍女見習い姿の私が、本物の侍女さんたちに、お茶や菓子を用意してもらっている光景を、人が見たら驚くだろうと思う。
それよりもっと驚くのは、見習い侍女の前にウイリアム王子がいる事だろう。
「父上にお聞きした。今日から城にはこないのだな」
「はい。行儀はまだまだですが、もうじき迎えもきますので」
ダニエル様のお茶よりは劣るか……。
茶葉がいまいちなのかもしれない。
「父上には、ベスを侍女として雇うのは、無理だと言われた。だが、私はベスをそばにおきたいと思っている」
「無理でしょう。私は庶民ですから」
何を言い出す事やらです。
侍女さんたちに失礼と言うものです。
「だが、ベスの髪と瞳は黒い。私のために魔力を測ってくれないか。魔力が高ければ、庶民とて妃候補にはなれるのだ。そうすれば、私たちは離れずとも済む」
茶を吹き出さなかった私を、褒めてもらいたい。
こいつ、十二歳の子供相手に、今、妃と言ったか?!
十二歳らしく、とぼけておくべきだろうか。
体毛の一本までが、全力で拒否しているが、この手の男には、はっきり断らねばならない気がする。
「私は白の民ですから、他国での魔力測定は禁止されております。申し出はありがたいと存じますが、私は学びたい物がございます。誰かの元に嫁ぐつもりはございません」
「私にはベスを幸せにする自信がある。学び終わるまで待っていよう。ベスにとってこんな良い話はないのだよ」
はっきり断っても、分からない人もいるのね……。
「私は今でも、幸せでございます。私はまだ未成年ですので、これ以上のお話は、後見人にお願い致します」
私は後の事はダニエル様に丸投げして、お茶のお礼を言ってから城をでた。
『ふん。王子ごときが、ベスと番いたいとはな。安く見られたものよ』
『えっ? いやいや、庶民にはもったいない話だよ、きっと』
王子様との結婚は、おとぎ話だから少女たちは憧れる。
ただし、それにはとんでもない美人という条件が必要だ。
王子と美しい女性だから結ばれる話だと、気付いたのは小学生の時だった。
シンデレラも白雪姫も不細工では、きっと幸せになれなかったのだ。
おとぎ話は、王子たちの一目ぼれの話なのだから。
要は、王子にとってお得な条件が必要なのだ。
『では、なぜ受けなかったのだ』
『私に魔力がなければ、妃になれないと言っていたのよ。私は夢見る乙女ですからね。恋愛をしてから、結婚したいわ』
『そんなものか……』
魔物の恋愛事情は知らないが、人間の庶民が結婚するのは、そんな物だろう。
数日で使い果たせそうな小金や、餌よりまし程度の料理で、人生を決めるとは思えない。
そこに愛だの恋だのが輝いているから、目が眩むのだと思う。
乙女なら、眩んでみたいものである。
『エリー母さんが言っていたのよ。夫婦喧嘩をしても、私はこの人に剣は向けられない、そう思ったから結婚したって。私、あの王子と喧嘩をしたら、剣どころか魔法まで乱れ打ちしそうだもの』
『そっ、そうか。それは気の毒だな……』
私はその答えに、吹き出した。
確かに王子には気の毒だから、マニージュ国の幸せのためにも、お断りをして正解なのである。
その日、ダニエル様が帰ってきた。
リュアンさんとルーシーさんに挨拶をしてから、優しい目を私に向けた。
「ベス、元気そうで安心しましたよ」
「お帰りなさい。ダニエル様」
思い切り抱き付いた。
待っていたのだから、その権利はある。
ルベに王子の話を聞いたようで。泣くほど笑っていた。
「明日の朝、報告に行きますから、やんわりと締めておきましょう。付きまとわれたら、面倒そうな相手です」
「嫌いですが、そんなに悪い人だとは思いませんが」
ダニエル様の言葉に、一応、援護はしておいた。
「いいえ。付きまとわれたら、私の兄が黙っていないでしょう。あの人を怒らせるのは危険ですからね。相手が王子ならば、面倒な事になるのです」
どんな兄だ……。
そう言えばダニエル様とは、叔父と姪の設定だった時があった。
「そんな怖いお兄さんを、嘘でも父親役にしたのですか?」
「そうですよ。脅しには最高でしょう? ただ、困った事に、本人が大喜びのようなのです。会うのを楽しみにしていますから、その前に結婚の話はできないでしょうね。そんなに娘を望んでいたとは、私も知りませんでしたよ」
『あれが、付きまといそうな気がするが……』
ダニエル様が、一瞬、顔を歪めて舌打ちをした。
どちらにしても、仲良し兄弟なのだろう……。
“混ぜるな危険” の文字が頭に浮かんだのは、内緒にしておこう。




